異議
「おはよう!」
講堂へ向かう生徒の列の中、誰と話すでもなく、一人で歩いていたクエルは、背後から聞こえた声に振り向いた。学校の制服を着たフリーダが、大きくクエルへ手を振っている。その背後から、侍従服を着たセシルが続いているのも見えた。
セシルはクエルの視線を捉えると、フリーダの影からクエルへ向かって、己の唇を舌で嘗め回して見せる。その姿に、クエルは思わずのけぞりそうになった。どうやらこいつは、またも幻になって、こちらの宿舎へもぐりこむ気満々らしい。
「何をそんな驚いた顔をしているの?」
クエルの表情を見たフリーダが、怪訝そうな顔をする。
「急に声が聞こえたから、びっくりしただけだよ」
クエルは慌てて答えた。だが首をひねって見せるフリーダの顔色が、少し、いや、だいぶ青白く見える。
「フリーダ、なんかとっても疲れている気がするけど、大丈夫?」
「えっ! そ、そう?」
クエルの言葉に、フリーダが驚いた顔をした。思わずセシルの方へ視線を向けると、口元に怪しい笑みを浮かべている。やはり、あの黒髪の少女などより、こいつの方が絶対にやばい。
「ま、枕が変わったせいかしら。よく眠れなかったのよ。そう言うクエルだって、どうしたの? 目の下に思いっきりクマが出ているけど……」
「ぼ、僕も緊張したせいかな。よく眠れなくって……」
「そうよね」「そうだよね」
フリーダと一緒に、クエルも乾いた笑い声をあげた。幻とは言え、セシルに添い寝されて、一晩もだえ苦しんだなんてばれたら、間違いなくフリーダの手で地獄へ落とされる。
「朝からずいぶんとご機嫌ね」
不意にクエルたちへ声が掛かった。振り返ると、書類挟みを手にした、イフゲニアが立っている。
「朝から仲がいいのもいいけど、今日は講堂の中に班分けの紙が貼ってあるから、それを確認の上で着席してね」
そう言うと、イフゲニアは敬礼をするクエルたちへ、講堂の後ろを指さした。そこには大きな紙が張り出されており、大勢の生徒たちが、ガヤガヤと話をしているのが見える。
「イフゲニア教官殿、了解です!」
そう元気に答えたフリーダが、クエルの手を取った。
「クエル、行くわよ!」
その手をひっぱりつつ、人込みをかき分けるように、張り紙の前へ進み出る。
「クエル・ワーズワイス……」
フリーダは自分の名前より先に、クエルの名前を探しているらしく、左から順に手を動かしていく。一番右端まで動いたところで、その手が止まった。
「何これ?」
フリーダのつぶやきに、クエルはその指先へ視線を向けた。そしてフリーダと同様に、その場に凍り付く。
「特別班?」
「く、クエル……。王女様と二人っきりの班って……」
そう告げるフリーダの指が、小刻みに震える。フリーダがクエルの胸元を掴もうと、腕を伸ばした時だ。その前に、一輪の赤い薔薇が差し出された。
「フリーダさん、やはり貴女には、この花が一番よく似合います」
それを聞いたフリーダの目が点になる。そして薔薇を差し出す人物を、恐る恐る眺めた。
「フィリップさん?」
「はい。同じ班の者からの、ささやかな貢物です」
フィリップは片手でその黄金色の髪をかき上げつつ、バラで張り紙の左端に近い場所を指さす。そこには第三班と書いてあり、フィリップ・チェスターの名前のすぐ下に、フリーダ・イベールの名前が見えた。
「第三班と言うのは、いささか気に入りませんが、フリーダさんと一緒ですので、まあ我慢することにしましょう」
フィリップが小さく肩をすくめて見せる。その肩へ、誰かがそっと手を置いた。
「フィリップ殿、君が祖父殿と相談して、入学式に遅刻しそうになった件は、これかい?」
フィリップが肩に手を置いた人物、マクシミリアンを見上げた。その顔は、フィリップより頭半分ほど高い位置にあり、朗らかな笑みを浮かべている。
「マクシミリアン殿、もしかして、私に嫉妬しています?」
「いや、君のあまりにもあからさまなやり方に、少々驚いているだけだ」
マクシミリアンの台詞に、フィリップは小さく首を傾げた。
「率直に言わせて頂ければ、マクシミリアン殿も、相当な横やりを入れていると思いますけど。それとも、兄上のご意向ですか?」
そう答えると、再びバラで張り紙の左端を指さす。そこには第二班と書いてあり、一番上にはマクシミリアンの名前が書いてあった。その一番下、五番目に書かれた名前にクエルは驚く。
「セ、セシル!」
「あ、ありえん!」
クエル同様に驚いたらしく、セシルも珍しく素の言葉を漏らした。それを聞いたフィリップが、クエルに向かって、意味深げに頷いて見せる。
「クエル君、気を付けた方がいいよ。どうやら君の侍従は、彼から目を着けられている様だ。いや、彼の兄上かな?」
「これって、どういう事?」
フリーダが呆気に取られた顔で、クエルを眺める。それに答える事なく、クエルはただ茫然と張り紙を見つめ続けた。
「あら、何かご不満でも?」
その問いかけに、マクシミリアンとフィリップが、素早く敬礼をする。振り返ると、書類挟みを手にしたイフゲニアが立っていた。フリーダがその前へ一歩進み出る。
「イフゲニア教官殿、こちらは公平な判断結果によるものでしょうか? それとも各家の意向に準じた結果でしょうか?」
フリーダは自分以外には丁寧に接するし、むやみにいさかいを起こしたりはしない。しかし昔から例外が一つだけある。クエルの身に起こった、不合理な事についてだけは容赦しない。
だけど今回は相手が悪すぎる。クエルはフリーダの裾を引っ張った。しかし、フリーダはクエルの手を振り払うと、さらに一歩前へと進む。
「私たちは商品ではありませんし、合理的でもありません」
クエルは焦った。いきなりこんな事を教官に言うだなんて、どんな叱責を食らうか分からない。けれども、イフゲニアは特に怒る様子もなく、フリーダへ向かって、仕方なさそうに肩をすくめて見せた。
「そうね。確かに合理的ではないわね……」
「ちょっとニア、何を納得しているのよ。それに生徒が学校の方針に首を挟むなど、あり得ません!」
「あら、アイラはそう思わないの?」
イフゲニアが、声をかけてきた人物の方を振り返った。
「ニア、あなたは教官でしょう? 生徒と一緒になって、何を馬鹿なことを言っているの?」
「正直な感想を言ったまでよ。それか、あなたの心のつぶやきが漏れる
「あ、あんたね!」
「何を騒いでいる」
不意に男性の覇気に満ちた声が響く。数多くの勲章をぶら下げた、王都守護隊の制服を着た人物が、こちらをじっと見つめている。
「失礼いたしました」
その人物に対して、アイラもイフゲニアも、瞬時に見事な敬礼をした。クエルたちも慌ててそれに倣う。
「ここは軍じゃない。それに全員が軍に入るわけでもない。明確な作戦行動以外での軍隊式の敬礼は、この時点をもって禁止する。俺にも少しは娑婆の気分を味わせてくれ」
「校長先生、了解しました」
そう答えつつ敬礼をしたアイラへ、アルマイヤーが苦笑して見せる。
「それよりも、何をもめていたんだ?」
「はい。一部の生徒が、班分けについて異議を申し立てたため、その対処に当たっていました」
アイラがフリーダの方へ、視線を向けつつ告げる。
「校長先生、フリーダ・イベールです。発言をお許しいただけませんでしょうか?」
フリーダはそれを真っ向から受けつつ、声を上げた。
「ちょっと、何のつもり?」「フリーダ!」
それを咎めようとしたアイラだけでなく、クエルの口からも思わず声が出る。
「フリーダ君、発言を許す。自分の言葉でしゃべり給え」
「校長先生、ありがとうございます。今回の班分けについてですが、合理的とは思えません。意図的に、相性のいいもの同士を分断しているように思えます」
「相性のいいもの同士というのは、君とそこにいる彼の事かね?」
アルマイヤーがおもむろにクエルを指さす。
「はい。そうです」
「なるほど。これは人形省が学校にしてきた提案に基づくものだ」
「ですが――」
そう声を上げたフリーダを、アルマイヤーが片手を上げて制する。
「フリーダ君、そう結論を急ぐな。私としても、一部の班分けについては、若干の違和感を感じなくもない。君の提案する班分けの方が、合理的である理由を示すことが出来れば、それを尊重するのもやぶさかではない」
「どのように示せば、よろしいのでしょうか?」
フリーダの問いかけに、アルマイヤーがニヤリと笑って見せた。やはりその笑い方を、クエルはどこかで見た気がする。しかしアルマイヤーはすぐにその笑みを消すと、軍人らしい表情へと戻った。
「そうだな。フリーダ君たちが先の選抜、この学校の卒業生に勝てるのであれば、新しい方法を試す理由の一つになるかもしれない。では諸君らの検討を祈る」
そう告げると、アルマイヤーは踵を返して、クエルたちの元から去って行った。
人形の涙 〜 The Master of Marionette 〜 ハシモト @Hashimoto33
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