姫様がさらわれました

鍵崎佐吉

姫様がさらわれました

「た、大変です! 姫様が、姫様がさらわれてしまいました!」


 そう言って部屋に飛び込んできたのは大臣だ。彼の顔色は悪く、放っておいたらそのうち卒倒してしまいそうだ。俺はあくまで冷静に彼に尋ねる。


「いったい誰が、どこへさらったのですか?」


「荒野の死霊術師です! きっと西の果てにある亡者の洞窟に姫様は囚われてしまっているでしょう。勇者様、どうか姫様をお救いください!」


「わかりました。行ってきましょう」


 亡者の洞窟なら何度か行ったことがある。俺は身支度を整えてから転移魔法を唱える。俺の体は光に包まれ、数秒後には巨大な洞窟の入口に出現する。するとどこからともなく不気味な声が聞こえてくる。


『よくぞ来たな勇者よ。姫を取り返したければ洞窟の奥へと進み、この私を打ち倒してみせよ』


「ああ、そのつもりだ」


 俺は臆することなく洞窟へと足を踏み入れる。洞窟の中は暗く、巧妙に仕掛けられた罠や死霊術師の創り出したアンデッドたちが徘徊している。俺はそれを蹴散らしながらただ洞窟の最奥を目指す。そして洞窟の奥にあった巨大な封印扉を打ち破ると、その先には異形の怪人と檻の中に囚われた姫様の姿があった。俺の姿を見つけると、不安そうな姫様の表情がパッと明るくなる。


「ああ、勇者様! 助けに来てくださったのですね!」


「私が来たからにはもう大丈夫です。今そこから救って差し上げます」


「フハハ! そう簡単にはゆかぬぞ、勇者よ。我が必殺の一撃を受けてみよ!」


 そう言って死霊術師は素早く詠唱を始める。この洞窟を満たす邪悪な気が一点に集まり、地獄の業火と見紛うほどの灼熱の光玉となって放たれる。俺はそれを正面から受け止めた。


「ああ!? 勇者様!」


 姫様の叫び声が聞こえる。俺は聖剣を振り抜き、灼熱の炎を両断する。少し服の裾が焦げてしまったが問題はない。そのまま一気に距離を詰めて死霊術師の体に聖剣を突き刺した。


「……さすがだな勇者よ。その聖剣であれば不死の我ですらもはや存在を保つことはできないだろう」


「不死の呪いか。難儀なものだ」


「クククク……同情せずともよい。これでようやく全てが終わるのだ。それに、お主の囚われている呪いの方が、よっぽど難儀だと思うがな……」


 そう言い残すと死霊術師の体は泥のように崩れて消えてしまった。それと同時に檻が開いて中から姫様が飛び出してくる。


「ああ、勇者様……! 私、怖かったですわ……」


「もう大丈夫です、姫様。さあ、城へ戻りましょう」


 その細く美しい手を取って、俺と姫様は洞窟を後にする。こうして再びひと時の平和が訪れるのであった。




「た、大変です! 姫様が、姫様がさらわれてしまいました!」


 そう言って部屋に飛び込んできたのは大臣だ。彼の顔色は悪く、放っておいたらそのうち卒倒してしまいそうだ。俺はあくまで冷静に彼に尋ねる。


「いったい誰が、どこへさらったのですか?」


「北方の蛮族どもです! きっと国境の川沿いにある奴らの砦に姫様は囚われてしまっているでしょう。勇者様、どうか姫様をお救いください!」


「ほう、蛮族とは珍しいですね。一刻も早くお救いしなければ」


「すでに飛竜を用意しております。今すぐ出立の準備を」


「わかりました。行ってきましょう」


 俺はさっそく飛竜に乗って北の国境へと飛んでいく。すると川沿いに巨大な集落のようなものが見えた。おそらくはあれが姫様が囚われている蛮族の砦だろう。俺はそのまま飛竜から飛び降り、砦へ奇襲を仕掛ける。すっかり油断していた蛮族どもを蹴散らし、そのうちの一人を捕まえて尋ねる。


「姫様をどこにやった」


 しかしその蛮族の男はすぐには答えようとしない。


「ば、馬鹿な……!? こんな化物みたいな奴が来るなんて聞いてないぞ!? いったい何がどうなってやがる……」


「質問に答えろ。死にたいのか?」


「ひっ……! あ、あの女はお頭のところにいる。道を進んだ先にある、ここで一番でかい建物だ」


「そうか」


 俺はその男を放り捨てて砦の中を進んでいく。蛮族たちは俺の行く手を阻もうと襲い掛かってくるが、こんな山賊もどきの連中が勇者である俺に敵うわけもない。固く閉ざされた鉄の扉を蹴破って奥に進むと、そこには大柄の屈強な男と手足を枷で拘束された姫様がいた。俺の姿を見つけると、不安そうな姫様の表情がパッと明るくなる。


「ああ、勇者様! 助けに来てくださったのですね!」


「勇者……!? まさか、お前が……」


 その大男は巨大な斧を手にしたまま一歩後ずさる。俺は聖剣を抜き放ち一歩進み出る。


「姫様を解放しろ。そうすれば命までは取らん」


「へっ……なるほど、そういうわけか。こいつはまんまと嵌められちまったみたいだな。あの狸爺め……」


「聞こえなかったのか? 姫様を解放しろ。お前に勝ち目はない」


「……確かにそうだろうな。いくらなんでも相手が悪すぎる。だけどな、こっちにだってプライドってもんがあるんだ。良いように利用されて、そのまま泣き寝入りってわけにはいかねぇんだよ!」


 男は手にした斧を俺目掛けて放り投げる。そして腰に差した短刀を素早く抜くと、その切っ先を姫様へと向けた。次の瞬間、飛び散った鮮血が姫様の白いドレスを汚す。


「きゃあああ!」


 姫様の悲鳴があたりに響く。男は声も出さずにうずくまっている。そばには切断された男の腕が転がっている。この聖剣であれば触れずに物を切り裂くことだって不可能ではない。俺は姫様へと駆け寄り、その手足の枷を破壊する。


「姫様、お怪我はありませんか?」


「え、ええ、大丈夫です。さすが勇者様、惚れ惚れするほどの強さですわ」


 その様子を見ていた男は失われた自分の腕を抑えながら言葉を絞り出す。


「やっぱ勇者には勝てねぇか……。でもわからねぇ……。なんであんたはこんなことをしてるんだ……? いったいあんたに何の得がある?」


「損得の問題ではない。姫様が助けを求めているなら命を懸けてお救いする。それが俺の使命だ」


「……ハハハッ。なるほどな、なんとなくわかってきたぜ。まったく、俺もついてねぇな」


 天を仰いで虚しく笑い続ける男を背に、俺と姫様は砦を後にする。こうして再びひと時の平和が訪れるのであった。




「た、大変です! 姫様が、姫様がさらわれてしまいました!」


 そう言って部屋に飛び込んできたのは大臣だ。彼の顔色は悪く、放っておいたらそのうち卒倒してしまいそうだ。俺はあくまで冷静に彼に尋ねる。


「いったい誰が、どこへさらったのですか?」


いにしえの邪神を崇める異教徒どもです! きっと南の砂漠にある邪神の祠に姫様は囚われてしまっているでしょう。勇者様、どうか姫様をお救いください!」


「そんな物騒な連中がいるとは知りませんでした。急いだ方が良さそうですね」


「この指輪をお持ちください。魔法の力で姫様のいる場所を指し示してくれるはずです」


「わかりました。行ってきましょう」


 南の砂漠まで転移魔法で移動して、俺は大臣からもらった指輪を空に掲げる。すると指輪から一筋の光が放たれ、まっすぐ南東の方角を指した。俺は光の指す方向へと全速力で駆けていく。するとほどなくして岩と竜の骨で作られた建造物が前方に見えた。きっとここが大臣の言っていた邪神の祠だろう。奇妙な絵の描かれた扉を体当たりでぶち破ると、そこには黒装束を身にまとった怪しげな連中と柱に縛り付けられた姫様がいた。俺の姿を見つけると、不安そうな姫様の表情がパッと明るくなる。


「ああ、勇者様! 助けに来てくださったのですね!」


 しかし俺が返事をする間もなく暗闇の中から吹き矢が放たれる。とっさにかがんでそれを避けるが、間髪を入れずに次々と矢は放たれる。どうもこの連中はかなりのやり手のようだ。その動きは先の蛮族たちよりも遥かに練達したもので、まるで一流の暗殺者を思わせる。俺は柱の陰に隠れて素早く詠唱をする。光の精霊を呼び出して使役する最上級の召喚魔法。祠の中は神聖な光で満ち、邪な心を持つ者は光を奪われる。俺は視界を失った異教徒たちを一人ずつ打ちのめしていった。


「勇者様、どこにいらっしゃるの……? 私、何も見えないわ」


 最後の一人を倒したとき、姫様の不安そうな声が聞こえた。俺はそっと彼女の側に近づきその拘束を解く。


「私はここにいます。数刻もすれば視力は元に戻るはずです」


「ああ、良かった……。でも勇者様のお姿が見えないとどうしても不安で……」


「わかりました。では姫様の視力が戻るまで、ずっとお側にいます」


 ゆっくりとその手を引いて、俺と姫様は祠を後にする。こうして再びひと時の平和が訪れるのであった。




「た、大変です! 姫様が、姫様がさらわれてしまいました!」


 そう言って部屋に飛び込んできたのは大臣……ではなく宰相だった。彼の顔色は悪く、放っておいたらそのうち卒倒してしまいそうだ。俺はあくまで冷静に彼に尋ねる。


「今日は大臣ではないのですね。それでいったい誰が、どこへさらったのですか?」


「そ、それが……姫様をさらったのは、その大臣なのです。大臣は姫様を人質にして、彼の私兵と共に屋敷に立てこもっています。しかし忠義に厚い彼がなぜそのようなことを……」


「なるほど、事情はわかりました。私が大臣と交渉しましょう。あなた方は手を出さないでください」


「そ、それは構いませんが……勇者殿はこの件について何かご存じなのですか?」


「いいえ。ですが姫様をお救いするのは私の使命です。大臣もそれをわかったうえで犯行に及んでいるはずです。そうであればやはり私が行くのが筋でしょう」


 俺は一人で大臣の屋敷へと向かう。そこでは数十人ほどの兵士たちが武器を手に立ち塞がっていた。するとその中の一人がこちらに近づいてくる。


「お待ちしておりました、勇者様。大臣からあなただけは通すようにと言われております。さあ、奥へどうぞ」


「ああ、わかった」


 俺は案内されるままに屋敷の奥へと進んでいく。どうやら大臣と姫様は屋敷の地下にいるようだった。見事な彫刻の施された扉を抜けると、そこには椅子に腰かけた大臣とベッドに横たわる姫様がいた。大臣はいつもとは違いとても落ち着いた様子で話し始める。


「ご安心ください。姫様には少々薬で眠っていただいているだけです」


「大臣、いったいなぜこのようなことを?」


「なぜ……ですか。強いて言うなら、この国のためであり、あなたや姫様のためでもあり、そして私自身のためでもあります」


「よくわからないな。早く姫様を解放してもらえませんか」


「そういうわけにはいきません。……勇者様、あなたは本当にこのままでいいと思ってらっしゃるのですか?」


「ええ。姫様をお救いするのが私の使命ですから」


「……私も老いぼれ、もうあまり先は長くありません。しかし私は姫様のことが気がかりでならないのです。あなたに救い出されるためだけに姫様は何度もさらわれる。そうすることでしか姫様は満たされない。しかし姫様の要求はどんどん過激になっていくばかりです。こんなことを続けても誰も幸せにはなれない。……もうやめにしませんか、勇者様」


「大臣、あなたは何か勘違いをしているようだ」


「と、言いますと?」


「我々には選択肢も決定権もないのです。ただ姫様の望むままに、与えられた使命を全うするだけです。姫様の意思を蔑ろにして自らの望みを果たすなど、おこがましいことだとは思いませんか」


「……やはりあなたにはわかってもらえませんか。しかしもはや私に退路はないのです。ここで全てを終わらせましょう」


 そう言うと大臣は手にした杖で床を軽く叩く。すると床に魔法陣が浮かび上がり、不気味な光を放ち始めた。


「これは悪魔を呼び寄せる邪教の術です。例の祠で見つけたものを前もってここに仕掛けておきました」


「するとやはりあれはあなたの差し向けた刺客だったのですね」


「ええ。あなたが死ねば姫様の望みを叶えられる者はいなくなる。このくだらない茶番を終わらせるためにはこうするしかないのです。今度こそ、私の全てをかけてあなたを殺してみせます」


 その時、魔法陣の光が増し、凄まじく邪悪な気配が解き放たれるのを感じた。




「馬鹿な……! 破壊の邪神たるこの俺が、人間の小僧ごときに敗れるなど……。ありえん、こんなこと、ありえるはずがない……!」


「しぶとい奴だ。そろそろ黙れ」


 俺は聖剣を投げ邪神の胸を貫く。この世のものとは思えぬ断末魔をあげながら邪神はゆっくりと消えていった。さすがにかなり手こずったが、これで姫様をお救いすることができるだろう。傍らでその様子をずっと見ていた大臣が呆れたようにため息をついた。


「まさか神すら殺してみせるとは……。どうやらあなたを殺すのは不可能なようですね」


「言ったでしょう? 姫様をお救いするのが私の使命です。姫様が望まれる限り、私は決して敗れるわけにはいかないのです」


「勇者様、一つだけお尋ねしても良いでしょうか」


「ええ、どうぞ」


「姫様はお美しい方ですが、それだけです。なぜ命を懸けてまであの人につくすのですか? あなたなら富も名誉も思いのままでしょうに」


「今更そんなことを聞かれるなんて意外ですね。あなたもずっと私と一緒に姫様につくしてきたじゃないですか」


「だからこそわからないのです。確かに姫様は長い間魔王に囚われたせいで心が壊れてしまいました。そういう意味ではあなたにも責任はあるかもしれません。ですがあなたは姫様に対して愛情と呼べるほどの強い感情をお持ちです。あなたは魔王を倒したその時に初めて姫様とお会いしたというのに」


「だからですよ」


「と、言いますと?」


「姫様は歪んでいました。この世の全てを呪い、自らの生すら拒絶しようとしていました。しかし薄暗い牢の中で死人のような虚ろな目をしていた彼女が、私と出会った瞬間にわずかに希望を取り戻したのです。他者に縋り、依存し、救われ続けることでしか保てないほど儚く脆弱なその命の光が、私はたまらなく愛おしかった。そして絶望に染まった彼女の瞳に、再び希望の光が灯る瞬間を見たいと思いました。だから姫様が望む限り、何度でもお救いすると心に誓ったのです。それができるのは私しかいませんから」


「ああ、そういうことでしたか。まったく真に罪深いのはいったいどちらなのだか」


「私は罪など恐れませんよ。勇気ある者、勇者ですから」


 いまだ眠り続ける姫様は満ち足りた穏やかな表情をしていた。その華奢な体を抱きかかえ、俺と姫様は半壊した屋敷を後にした。姫様が本当の意味で救われる日はいつか来るのだろうか。俺にはわからない。わからないのなら歩み続けるしかない。あなたがそれを望むのであれば、終わりなき苦難も破滅の未来も俺は恐れはしない。


 こうして再びひと時の平和が訪れるのであった。

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