最終話 令和4年留萌市

 年が変わり今年は例年よりも暖かい。

 伸郎の捜査一課勤務もあとわずかとなった。昨日内示が出た、二月になれば警部に昇進して本庁の刑事局総合企画課勤務である。

 結局大森冬子のパンドラの箱の中身は分からないままである。あれほど世間が騒いだ事件も今では忘れ去られつつある。東欧で大掛かりな軍事作戦が予想され世間はその話題で持ちきりなのだ。


 今のところ仕事らしい仕事は無く強行班は開店休業状態なので伸郎は多恵を連れて広島の父に会いに行く計画を立てていた。

 多恵との婚約の報告をするためである。多恵は乗り気ではない様子であった。理由は自分が100パーセント嫌われるからということであった。


「ほら、あたしでかいでしょう。5歳年上だし筋肉質だし顔怖いし、の家ってみんな東大出のエリートじゃん。パパは検察庁の偉い人だし。私大学出てないんだよ。アー絶対ダメ、歓迎される要素ゼロだ。」


 多恵は三鷹西警察署の交通課勤務となった。

 度重なる無茶な独断捜査と暴力的な手法、その結果伸郎に大けがを負わせた責任を問われたからだ。


 実はあらかじめ伸郎は父親に多恵との婚約を電話で伝えていた。猛反対を覚悟していたが逆に大歓迎であることに驚いた。


「元オリンピック代表なら申し分ない。いいか、次世代の指導者は学問だけではだめだ。欧米を見ろ、真のエリートは頭脳もフィジカルも両方充実している。これからは文武両道の時代だよ。玉置の家にアスリートの血が加わるなら願ったりかなったりだ。孫は知力体力兼ね備えたパワーエリートに育て上げるぞ。」

 やはり父とは分かり合えそうにないと伸郎は再認識した。

 


 午後7時、いつもより早い帰宅だ。暖冬とは言えやはり寒い、公務員宿舎の門の前でたたずむ人影が見えた。公安調査庁の手嶋である。


「うー、さぶっ、結婚するってホントかい?寂しいなぁ、玉ちゃんって花婿っていうよりは花嫁って感じだけどなー、ウェディングドレス買ってやるからさボクと式をあげない?」


「そんな下らない冗談を言いに来たのですか?本題に入ってください。」


「はいはい、つれないなぁ、じゃ結論から先に言うよ。大森竜造の居場所が分かった。何と留萌だ。灯台下暗しとはこのことだな。留萌セントラル病院に入院中だ。」


「入院?」


「末期がんだ。もう長くはない。話をするなら一日でも早い方がいい。今日はそれを言いに来た。」




 病室の男は写真とは違ってガリガリに痩せ80歳くらいの老人に見えた。


「そうか冬子にあったか、君は何を知りたい。」


 来月には本庁へ戻る身なので、いまさら冬子のことを調べても仕方がなかったが伸郎にはどうしても聞きたいことがあった。


「何故、実の娘さんにあのような過酷な仕打ちが出来たのですか?平和な日本で年端もいかない内から娘を戦士として育てる意味が僕には理解できません。」

 竜造は伸郎の目を見据えた。かつての日本最強のレンジャーが今は穏やかな目をしている。


「君は一つ勘違いをしているようだね。冬子は私の娘ではない。」


「え??」


「母親は房子だが父は違う。マクシミリアン・バルシニコフ、ロシア連邦保安庁の防諜作戦部将校だ。俺が唯一敗北した男だ。」


 伸郎は言葉を失った。


「房子は身分を農機具エンジンメーカーの社員と偽ってモスクワの現地法人に派遣された。建前は通訳担当だが目的は違う。当時の別班はいうなればアメリカの下請けみたいなものだった。」

 予想はしていたが母の房子は別班の諜報員であった。

 

「房子の任務はモスクワ勤務の技術将校から三塩化リンの合成量に関するデータを入手して定期的にアメリカのエージェントに流すことだった。ロシアの化学兵器の生産量をリークしていたわけだ。これはかなり危険な任務だが案の定連邦保安庁がかぎつけ技術将校は逮捕された。房子は間一髪ポーランド経由でドイツに逃げおおせた。俺の任務はドイツで房子と合流して護衛することだ。」


「その縁でご結婚に?」


「いや、俺など全く相手にしてもらえなかった。」

 最強の男が少年のようにはにかんだ。伸郎は面食らう。


「房子はヒューミントとして恐ろしく優秀で俺は戦闘しか能のない人間だ。俺ごときの心を奪い手玉に取ることは彼女にしてみれば造作もないことだ。房子は人心コントロールにかけては天才だった。安っぽいハニートラッパーなど足元にも及ばん。」


「でも、結婚したのですよね。」


「そうだな、結婚したと言えばしたのだろう。籍は入れたのだから、だがとても夫婦とは言えない関係だ。結婚した時にはもう房子は壊れていて生ける屍だった。」

 竜造は表情に悔しさをにじませる。


「連邦保安庁はけして房子を許さずマクシミリアンを送り込んだ。奴はルビャンカの特務工作員で破壊と殺戮の天才だ。暗号名はビェリ・メドヴェーチ(北極熊)という。俺は彼女を守り切ることができずミュンヘンで拉致されてしまった。」

 竜造は激しく咳き込む。先ほどまで穏やかだった目が憎悪に燃え出している。


「マクシミリアンは徹底した拷問を房子に加えた。エージェントの正体を吐かせるために大量のS117とスコポラミンを投与した。拷問状況を収録したソフトを奴は俺に送り届けた。その内容はとても口にできるものではない。半年後、ボロボロの状態で房子がケルンで発見された。自白剤の過剰投与で中毒性精神疾患を起こしていた。」

 咳がさらに激しくなり土気色の顔に死相がうかんでいた。


「妊娠は一目瞭然、父親はマクシミリアンで間違いなかった。もう人工中絶も難しい状況だった。俺は房子を妻に迎え冬子を自分の子として留萌で育てることにしたのだよ。」


「憎い敵の娘だから虐待を加えたのですか?子供には罪は無いでしょう。」


「君には虐待に思えるのだろうな、冬子は見た目こそ房子だが中身はまるで違う。あの子はマクシミリアンそのものだ。殺しに関して世界レベルの天才なのだよ。俺はあの子の才能を伸ばしただけだ。」


「‥狂っている。」


「君にはわかるまい、房子の苦痛と屈辱を、俺の無念と怒りを。冬子なら俺のたどり着けなかったところに行ける。必ずやマクシミリアンを倒すことが出来る。話はここまでだ、帰りたまえ。」

 竜造は口を閉ざした。


 伸郎は一礼をして病室を出た。



 病室に静寂が戻った。

 竜造は過去の出来事を思い出す。

 小学校の5年か6年のころだ。伊勢湾シージャック事件の直後マスコミは未成年を射殺したことをセンセーショナルに取り上げた。ほとんどが批判的な内容だった。

 自宅の周りが黒山の人だかりになる、新聞記者やテレビのリポーター、活動家や市民団体が連日連夜押し寄せる。


「人殺し!」


 父のみならず母や自分も罵声を浴びた。

 担任の教師は偏った政治信条の持ち主で竜造に反省文を書かせてホームルームの時間に朗読を命じた。


 母は気丈に

「お父さんは立派な仕事をしたのよ。他人が何と言っても胸を張りなさい。」

 と竜造を励ました。


 決定的であったのが三重県警察本部長の国会答弁であった。

 本部長は執行命令を下していないと言い切り現場の独断による職務執行と強弁したのだ。

 泰造は殺人被疑者として書類送検された。

 その時の父のやるせない表情を竜造は今でも覚えている。

 結果としては正当行為として不起訴処分となり復職はかなったが、それ以降父は人が変わってしまった。



 拭えども消えない黒ずみのように父泰造の最期がまた脳裏にちらつく。

 数年後自宅で父は首を吊った。見つけたのは竜造自身だ。そこには猟銃が置いてあった。ゴールデン・ベアとブリキの箱。中身は書類や写真が入っていた。

 中学生の竜造にその意味は理解できなかったが、それら遺品を守り抜く決意をした。



 ハンブルグで初めて房子を見た時のことを思い出す。

 黒いトレンチを着ていた。サングラスを外したその美しい素顔に一瞬で心を奪われた。


 いつの間にか房子が冬子に代わる。

 父の形見のゴールデン・ベアを手にした時の冬子は目をキラキラと輝かせていた。

 教えてもいないのに小さな体を使って完璧な立射の姿勢をとった。

 知床の原生林を共に歩いた日々が人生で最も幸せな時だった気がする。


 冬子がまた房子に変わった。竜造はもう二人の見分けがつかなくなっていた。


                              ―完―

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法執行銃『名古屋5号』 カワラザキ @zapper650

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