Day30 貼紙
ある日の外出、その帰り。斑目は見知らぬ町の道路にいた。
途中まではいつもの町の光景を見ていたことを覚えている。バスから降りた時に、ふわりと甘い香りが漂ったような覚えもある。状況を認識したのは、そちらに向いていた意識が戻ってきた時だった。
瓦まで真っ白な日本家屋が並んでいる。それらを囲む石垣も白い。庭先から伸びているらしい木々を見ても、その木々も真っ白だ。ひらりと落ちてきた葉っぱは、拾い上げようとするとぼろぼろと崩れていった。
そういえば以前も奇妙な町に迷い込んだことがある。その時はよくない怪異がいたようだが、幸いにして遭遇を回避できた。この空間も以前迷い込んだ町――怪異の領域ということであるなら、今回はどういう怪異がひそんでいるのだろうか。
とはいえ、そんなに悪い怪異がいるような予感はしない。
(前のやつとは違うみたいだね、空気がきれいだ)
この空間に降り立ったとき、斑目は空気が涼やかだと感じた。神社や寺院で感じるような空気に似ている、と。その空気の元が怪異だというなら、この空間にいる怪異は祀られているものに性質が近いということになる。推測だが。
さて、じっとしているわけにもいかない。とりあえずは周囲を散策してみようと、斑目は道なりに歩き出す。歩きながら周囲を見てみれば、路上にあるものも白いことがわかる。ゴミ箱のようなものやら、消火栓やら、マンホールまで。これでもし色があったら、見知らぬ町で迷ったと勘違いしていたかもしれない。
しばらく歩いていると、ふと掲示板(これもまた白い)が目にとまる。よくよく見てみれば、何かが一枚貼られているようだ。少し目を細めて、それをよく見る。貼紙のようだ。大きな文字らしきものが書かれているが、これが主題だろうか? 背景に花火の絵が使われているところをみると、これはその手のものの案内のチラシということだろうか。花火大会、あるいは夏祭り。
斑目は思考を広げる。怪異にもそういう文化があるのだろうか。自分の知っている幽霊や怪異を見ていると、彼らにもそういう文化があってもおかしくないように思える。そして、彼らの一部はそういうことが大好きであるようにも思えた。
そうしていると、掲示板にふと影が落ちる。後ろに誰か来ているようだ。おもむろに振り返れば、斑目を見つめるようにして背の高い人の姿をした何者かが立っている。斑目はその顔を見て一瞬目を丸くした。目も鼻も口もない。つるんとしていて、文字通り黒い。のっぺらぼうをシルエットにしたらこういう感じになるのだろうか。
そう考えていると、怪異が斑目に声をかけてくる。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「よろしければ、いかがですか。明日の夏祭り。人も怪異も歓迎ですよ」
一枚、貼紙として貼られていたものと同じチラシが渡される。怪異の文字で書かれているそれが、今はなぜかすらすらと読めた。
〇〇領域、夏祭りのご案内。人も怪異も大歓迎! 祭りが終われば無事に元の場所へご案内しますので、安心してご参加ください。……などなど。
文字を読み終えた斑目は、「なるほど」と呟いた。情報を踏まえると、主催の怪異は祀られているものに近い存在なのだろうか。あるいは単純に祭りが好きなだけとか。
それはそれとして、怪異の祭りとはなんとも気になる情報だ。とはいえ、斑目はただの一般霊的なものが見える人だ。己の身を守るすべは、残念ながらない。
「この空間では極端な争いごとはご法度ですので、安全については保証いたします」
「些細なケンカはセーフっぽい言い方だね……」
「実際セーフですから大丈夫ですよ。去年の祭りでも怪異どうしがチョコバナナを巡って口論をしておりましたし」
「チョコバナナで口論」
「はい。かき氷の味で口論している怪異たちもいました」
「かき氷で」
「はい」
その言葉は、斑目の懸念事項を把握しているかのように思えた。そうして、怪異はうなずく。
「ですので、身の安全については保証いたします」
「なるほど……」
「お一人で行くのが不安でしたら、知り合いをお誘いの上来ていただいても構いませんよ。歓迎いたします」
「……まあ、考えておこうかな」
「ありがとうございます」
怪異がそう言うと、視界が一瞬真っ白に染まる。眩しさを感じて目を閉じると、一瞬鈴の音がした。
しばらくして、ゆっくりと目を開ける。周囲にはいつもの町の光景が広がっていた。木々の青々とした葉が揺れる。道路を走っていく車はクリーム色をしていた。空を見れば、夏の青が広がっている。どうやら、戻ってきたようだ。そうして、持ち帰っていたらしいチラシに目を通す。
「夏祭りか……」
◇
斑目はその足で例の屋敷に行くことにした。今の時間帯なら、ナイが付喪神たちと引っ越しを終える準備をしているところだろう。準備も佳境であるとは聞いた。おそらく数日中、早くても明日明後日には引っ越しが完了する……とのことらしい。
屋敷までたどり着いた斑目は、出迎えの付喪神に挨拶をしてから中に足を運ぶ。そういえば、先日言っていたのは大きな広間の修繕が地味に終わっていないという話だったような。そして、その広間はこの廊下を真っすぐ行けばあるはず。記憶と直感に頼って向かった先に、ナイはいた。例の威厳があるらしい大きな猫に似た姿だ。
「先生、どうされました?」
「引っ越しで忙しい中悪いんだけど……夏祭り、一緒に行かないかい? 幽霊たちも何人か誘うつもりなんだけど」
そう言って、斑目はナイに持ち帰ってきたチラシを見せる。ナイがそれを見るようにしていると、手伝いの付喪神たちもならうようにチラシを覗き込んできた。ナイの後ろで、彼らがわいわいと騒ぎ出す。なにか心当たりがあるのだろうか? 疑問に思っていると、ナイが「先程外に出た時にみんなで見たんですよ。このお知らせを」と補足した。なるほど、こちらにも貼紙は貼られていたということか。人も怪異も歓迎の祭りの呼び込みとしては、正しいような気がする。
「迷い込んだ先でさ、言われたんだよ。『いかがですか』って」
「なるほど……」
「安全らしいって聞いたからね。それから彼は嘘をついていないと思った。だから行ってみようかなって」
ナイが考えるような仕草を見せる。しばらくして、彼は大きな一つ目を細めてうなずいた。
「そうですか、でしたらご一緒しましょう」
「ありがとう」
「いえいえ」
邪魔して悪かったね。斑目はそう言った。
そう言ったところで、斑目は付喪神たちが「自分たちは?」といいたげな目をしていることに気づいた。
「君たちも一緒に行くかい。間違いなく俺のところの幽霊たちも一緒になるけど……」
「それについては、彼らの行動に関する責任は自分がとるので大丈夫ですよ」
「そうか、じゃあ一緒に行こうか」
付喪神たちが喜んで舞い始める。このテンションの高い付喪神たちに、自分のところのこれまたテンションが高い幽霊たちが加わるのか。当日の保護者役、果たして大丈夫なのだろうか。斑目は少しだけ不安になった。
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