Day26 標本

「そういえばなのですが、先生」

「どうかしたのかい」


 午前中に仕事を終えた斑目に投げかけられた声は、少し緊張しているかのように聞こえた。

 声の主、ナイの方を見ると、彼はその一つ目でじっと斑目を見ている。

 

「そろそろ自分も、新しい住処を見つけてこれまでどおりの生活に戻ろうと思っています。身の危険に関する事件も解決しましたし、丁度いい頃合いかと思いまして」

「そっか」


 そういえば彼はもともと外で暮らしていた怪異であった。今は斑目の家で居候をしているが、ずっとというわけにはいかないと彼は思っているのだろう。なら、居候先の主人として彼の意思を尊重しよう。

 とはいえ、この家を出ていって彼はどこに棲むつもりなのだろうか。そう思考を広げようとする斑目を止めるかのように、ナイが声をあげる。

 

「そこでですね、先生」

「頼み事かい?」

「はい」


 頼み事とはなんだろう。自分にできる範囲のことなのだろうか? 少なくとも例の退魔師八宮小鳩のように無茶振りをしてくるとかはないだろう。たぶん。

 斑目がそう思っていることなどつゆ知らず、ナイは一つ目を瞬かせ真剣な面持ちで言葉を続けた。


「先生がよろしければ、自分の家探しを手伝ってはくれませんか?」


 ◇


 ナイによれば、今まで棲んでいたところはもう棲めなくなっているような気がするのだそうだ。もし棲める状態だったとしても、この際だから新しい住処を探してそこに棲むほうが早いのではないかとのこと。それに、心機一転という言葉もある。

 とはいえ怪異の家探し、どこから手を付けたらいいのだろう。斑目はそう思いながら、まずは素直に霊たちから情報収集をすることにした。もちろん、事情も話したうえで。霊たちはナイが斑目宅から新居に引っ越すことに驚いていたようだが、すぐに斑目の頼まれごとに対する反応を見せた。なんでも、その件に関して詳しい怪異がいる……かもとのことらしい。

 その情報と霊の仲介をもとに、件の怪異と会うことになった。待ち合わせ場所にいたのは一人の怪異。面布で顔を隠した子供の姿をしている怪異は、斑目と人の姿をとったナイを見て深々と礼をした。斑目たちも同じように礼をし、事情を話す。そうして、一ついいところがあると怪異が行ってその場所に向かうことになったのが、今である。

 

「我々怪異的にもですね、怪異の集まるところの管理者は欲しいなと思っているんですよ」


 道中の話によれば、その家(もちろん空き家である)は怪異たちの社交場のようになっているらしい。ただ、怪異的な管理者はいないとのこと。土地的には怪異の領域と人の領域の境目にあるらしく、やろうと思えば人の領域から家を隠すこともできるそうだ。ただし、それを行うにはやはり家の管理者が必要とのこと。ざっくりいえば、管理者はその家における守り神なのだそうだ。守り神がいれば、そこを社交場として使っている怪異たちも安心する……らしい。

 

「怪異にもそういうものがあるんだね」

「ええ、集まりにもよるかもしれませんが……着きましたよ、この家です」


 怪異に連れられてやってきたのは、高台の上であった。こぢんまりとした印象の洋館が、斑目たちの目に映る。大正時代の建物にこういう感じのものがあったような気がする。本か何かで見たような気が……。

 斑目がそう思考を広げようとしたのをさえぎるように、案内の怪異が口を開く。


「管理者が欲しいのは、この街の人が怪異が棲んでいる以上家を壊したりはしないこともありますね」

「なるほど……」

「そちらの怪異さんはどうですか? この家、どう思われますか?」

「そうですね……とても良い家だと思います。中を見ることはできますか?」

「ええ、もちろん……あ、先生はどうされますか?」

「まあせっかくだし、一緒に見てみるよ」


 そういうわけで、斑目たちは洋館の中に入っていった。

 放置されている空き家ではあるが、思っていたよりはきれいな印象を受ける。壁も床も、穴が開いていたりする様子はない。二階に続く階段も同様だ。とりあえずは近いところにある部屋から見てみよう。そう意見が一致した斑目たちは、一階の階段付近にある部屋の扉を開いた。

 底に広がるのはかつては誰かが使っていたのであろう書斎だった。ボロボロの本がいくつか入った本棚。ほこりがうっすらと積もった書斎机。机の上に置かれているいくつかの箱。壁に掛けてあるのは絵と、それから……。


「これは標本かな?」

「ええ、そうですね。もともと住んでいた人間が残していったものだそうです」

「きれいだね。これも管理できたらいいのかもね。管理と言うか、家の管理ついでにどこかに飾るとか」

「ああ、それは良さそうですね」


 それにこの家にはそれに適した部屋もあるはずですので、と案内の怪異が言う。なるほどと口に出すと、同じように口に出したナイが言葉を続けていた。


「ところで仲介屋さんにお聞きしたいのですが」

「はい、何でしょう?」

「ここに集まる怪異はどういう怪異が多いのでしょう?」

「そうですね……もともとここに住んでいる付喪神や、外から寝床を求めてやってくる幽霊あたりが多いですね」

「なるほど、ありがとうございます」


 どうやら、先住の怪異がいたらしい。その割に管理者がいないということは、その怪異たちはそこまで強い力を持つ怪異ではなかったということだろうか。もしくは、誰かが管理者になったほうがいいという相談はしていたがまとまらなかったか。それから、その相談において誰も立候補しなかった可能性だってある。

 その予想のどれかが当たっていても、あるいは全てはずれているとしても、先住の怪異たちは管理することなくただ住んでいるだけのようだ。管理者が必要という話を踏まえると、彼らは管理者を待っているようではあるが。

 しかし、それにしてもいい家である。高台の上の洋館、まるでミステリーやサスペンスの舞台のようだ。現実にそういうことは起こってほしくはないが。

 斑目が変な思考を広げていると、ナイが少し楽しそうな声色で語りだす。


「この家にしちゃいましょうか」

「即決していいのかい?」

「ええ、大丈夫です。直感を信じたくなりましたので」

「そっか、それならいいんだけど」


 洋館に住む和服の男性、絵になる。斑目は率直にそう思った。

 ナイがここに住むのなら、その引っ越しが終わった後にちょくちょく様子を見に行ってもいいかもしれない。友人の家を訪問するのは人間でもよくあることだ。まあそれより前に、引っ越しに関して手伝えることはないだろうか。怪異関係は同族に任せるとして、それ以外の面で手伝えること。例えば、部屋の掃除や片付けであるとか、先程見た標本などを飾るだとか。

 そういうことを考えていると、ナイがぽつりと口に出す。

 

「引っ越す前にまずやっておくこともありますね。例えば先住の方々へのご挨拶や、来訪される方々へのご説明だとか……」

「そうだねえ」

「先生、少しばかり手伝っていただけますか?」

「お安い御用だよ。とはいえ……ちょっと対価は欲しいかな」

「と、言いますと?」

「これを、譲ってくれると嬉しいかな」


 小さな箱に入った標本を手に、斑目は小さく微笑んだ。

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