Day23 ひまわり
「先生、それは?」
「あ、これ? 植物園の案内のチラシだよ」
そう言って、斑目はテーブルの上に一枚のチラシを置いた。
ひまわり畑の写真が大きくあしらわれており、写真を通して夏の匂いを感じられる。情報をざっと見てみると、どうやらこのチラシで案内されている催し物はひまわり畑に関するものであるようだ。ひまわり畑の中に散歩コースがあるらしい。
「行ってみて見るのもよさそうだね」
「そうですね……」
ナイが少し言葉を濁した。その様子に気づいた斑目は「どうかしたのかい」と言葉をかける。ナイは一度、その一つ目を瞬かせた。そうして、写真の一点を前足で指し示す。
「いえ、このあたりにあたりに黒い影がありませんか?」
黒い影とは。斑目はそう思いながら写真をよく見る。
ひまわり畑の写真、その少しだけ影になっている部分(端の方にあるひまわりの茎部分だ)にそれはいた。人間のシルエット。それは長い髪をして、それからスカートを履いているようだ。
「……本当だ」
「怪異ですね」
「そうとしか思えないよね。冷静に考えなくても、黒い影の人間が映ったままの写真を宣材にしたりはしないはずだから」
じっとその怪異を見てみる。影絵のような姿をしているため、表情は一切うかがえない。ただそこにたたずんでいるように見えるが、よくよく見たらその怪異は何かを見ているのではないかとも思えてくる。本当に注意深く様子を探る形で見てみると、怪異の顔がどこかを向いているような……。
斑目の視界の端で、ナイがなにかに納得したかのようにうなずいている。「どうかしたのかい」と尋ねれば、すぐに答えが返ってくる。
「ひまわりを見ているように見えますね」
「あー……たしかに」
「好きなんでしょうか?」
「この子が幽霊に近い怪異だと仮定すると、死や未練にひまわりが関わっているのかもね。そうでない怪異なのだとしたら、単純にひまわりが好きであってる気がする」
「なるほど」
「まあ、どういう怪異かはわからないんだけど……」
「自分にも詳しい判断はできませんね……」
「まあその件は、怪異にとっても難しいなら見えるだけの人間にはもっと難しいってことで」
この怪異はなぜ写真の中のひまわり畑にいるのだろうか。それを話題に会話しても、その理由はさっぱりわからない。
怪異はこちらの様子には一切気づかない様子で、今もひまわりを見ている。写真の中の空間では風が吹いているのだろうか。怪異の長い髪がなびいている。この写真の中の世界は、異界と呼ばれるものなのかもしれない、と斑目は思った。以前紛れ込んでしまった世界のように。とはいえ、この写真の中の異界は平和なものであるようだ。ただひまわり畑に怪異がいるだけの穏やかな空間。一方で、怪異がいるという時点で穏やかではない可能性もあるのではとも思ってしまうが。
斑目はぼんやりとチラシを眺めていると、あることに気づいた。目を凝らして怪異をよく見る。怪異の髪が軽く揺れているように見えた。風になびいているわけではなく、顔の動きに合わせて動いているように。何か、あるいは誰かを探しているのだろうか?
そう思ったところで、斑目は怪異がそこにいる理由の仮説にたどり着く。
「ちょっと考えたんだけど」
「はい」
「物語には花畑で待ち合わせをするというシチュエーションが時々ある。そしてこの怪異はさっききょろきょろしているように見えた」
「はい」
「ここからは仮定なんだけど、この怪異も待ち合わせをしているという可能性があるかもしれない」
「なるほど」
「前見たもののように迎えを待っている可能性もありそうだけどね」
「先生としては、どちらの線だと思われますか?」
「前者かなあ……なんとなくだけどね」
そう思いながらもう一度、ひまわり畑を見る。
先程から何の変哲もない、ひまわり畑の写真と怪異がそこにある。何か変化はないだろうかと思い様子を見ていると、怪異がいるところとは反対の端の方が少し暗くなった。何が起こっているのだろうか、注意深くその様子を見てみる。すると、そこから一つの影が現れた。影絵のような姿をした何者かが。それが怪異であると気づくのに、時間は要さなかった。ひまわり畑にいる怪異と似たような姿をしているのだから、簡単に推測できる。
その怪異は下を向いていたが、不意に顔を上げた。反対側にいる怪異に気づいたのだろうか、軽やかに駆け出してひまわり畑を横断していく。先にここにいた怪異の方も、駆ける怪異に気づいたのか手を上げて大きく振っている。こっちこっち、と言っているのだろう。人が待ち合わせの友達を呼ぶときのように。
しばらくして走る怪異は待つ怪異の元へとたどり着いた。手前でぴたりと止まって、息を整えているかのような仕草をしている。待つ怪異は覗き込むような仕草をしているようだ。しばらくして、走ってきた怪異は顔を上げて手をそっと差し出した。待つ怪異がそれを握り返せば、二人は嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
斑目はその様子を見て、ほっと息をついた。
「前者で正解だった、ってわけか」
「先生、先生」
「ん、どうかしたのかい」
いつの間にか、怪異がこちらを向いている。なんだろうと呟いてその様子を見ていると、二人手を繋いだ怪異が空いている方の手でこちらに手を振っている様子が見えた。
斑目は目を瞬かせた。そうか、最初からこちらの視線には気づいていたということか。小さく息を吐いて、口元に笑みをたたえて、斑目は彼女らに手を振り返した。隣りにいるナイも同じように手を振っている。
すると、彼女らは嬉しそうに再び手を振った。しばらくそうしていると、彼女らはこちらに小さく一礼をする。そのまま二人仲良く手を繋いだまま、写真のひまわり畑のはしの方へと消えていった。
「……」
彼女たちが消えても、斑目はしばらく手を振っていた。そうして、息を小さく吐いてから手を下ろす。すると、隣りにいるナイと目が合った。彼は一つ目を瞬かせて、首を軽く傾ける。「どうかしたのかい」と斑目が尋ねると、彼はこう返してきた。
「それはこちらのセリフですよ、先生。どうされました? 少しぼんやりとしているように見えます」
「写真の中にいる怪異に手を振る機会はあまりないなあって思って」
「そうですね、自分もこれが初めてです」
そうして、後には誰もいなくなった写真だけが残された。チラシを持ち上げて、斑目は写真をまじまじとみる。夏の空の下にひまわり畑が広がっている写真が、そこにあった。
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