Day21 短夜

 部屋で一人、斑目はノートパソコンに向かい合っていた。画面には書きかけの短編小説が一つ。担当編集との相談の結果、夏らしい物を一つ書くということに落ち着いた品だ。

 さて、夏らしいと言えばなんだろうと斑目は思う。夏らしい怪異にならちょくちょく遭遇しているが、大衆が求めているものは絶対にそれではない。それは今度別のなにかに活かすとして、今回は無難に夏の田舎の話を書くことにした。

 そういうわけで、斑目は仕事をしている。文が思いつかないということを理由にちょくちょく手を止めながら。そうしていたらいつの間にか時間は日付が変わる手前になっていた。


「先生、まだ起きてらしたんですか」

「ちょっと進めておきたい仕事があってね……」


 部屋を訪れたナイが話しかけてきたのは、ちょうど斑目が手を止めていた時だった。改めて時計を見てみれば、パソコンの時間表示と全く同じ時間を示している。午後十一時の四十五分前後。


「そうしていたらもうこんな時間に、ね」

「なるほど」


 時間も時間だ、斑目は今日の仕事は店じまいとすることにした。続きは明日の自分がなんとかしてくれるだろう。このまま素直に寝てもいいのだが、妙な興奮があるためかすぐには寝付けない予感がする。これに関しては、仕事がてら飲んでいたコーヒーのせいもあるのかもしれない。それと同時に、すぐに寝るのはもったいないという感情もある。

 では、こうするとしよう。

 

「せっかくだからもう少し夜更かしをしようか。君もどうだい」

「そうですね、せっかくですので」


 ナイの影が揺らいだ。一瞬あたりが緞帳を下ろしたように暗くなり、しばらくの沈黙の後にまた明るくなる。そうすれば、ナイの姿は猫のような姿ではなくお面をつけた人の姿に変貌していた。軽く頭を下げる様子を見るに、お面の下は穏やかな笑顔なのかもしれない。

 

「こちらの姿でお供しましょう」


 斑目は椅子の上からナイの顔を見上げた。彼が首をかしげている様子がよくわかる。

 

「……」

「先生?」

「いや……身長高いなあって思って」

「前もそれおっしゃってませんでしたか?」

「そういえばそうかもね……」


 斑目もそこまで身長が低い方ではないが、ナイの身長の高さには驚いてしまう。人も人の姿をした怪異もいろいろいるのはわかっているが、それはそれとしてというやつだ。

 とはいえその件に関して思考を広げるのはなにか違う気がする。気を切り替えよう。せっかくの夜更かしだ、何かをしたいところである。とはいえ、徹夜をする気は一切ない。だとすると、時間がさほどかからない事をするのがいい。例えば。


「さて、夜更かしついでにやることといえば」

「怪談ですか?」

「そう、怪談だね。夏でもあるし」


 そう言いながら、斑目はファイルから一つの怪談を取り出した。

 椅子に座り直して、斑目は椅子ごとナイの方を向く。彼は床に正座して、斑目を見上げていた。「どうぞ、先生。今日の怪談を」と彼が言う。斑目はうなずき、一つ咳払いをしてから怪談を語り始める。


「さて、これも聞いた話。あるアパートで一人暮らしをしている人がいた。その人はその日、夜遅くまで起きていた。今日の俺のようにやることがあったのかもしれないね。まあ、それはともかくとして、その人は起きていて、せっかくだからと一人でお酒を飲もうとした。缶ビールを一缶空けたところで、その人はあることに気づく」


 そういえば自分も一人暮らしだ。この話の人物と同じように。大きな違いと言えば、自分が住んでいるところはマンションであることなのだが。


「ドアをノックする音がしたらしい。でも、深夜にたずねてくるような知人は、その人にはいない。それに家に来るという連絡も来ていない。その人はとりあえず、その音を無視することにしたらしい。心当たりのない音だったからね」


 心当たりの無い音がする、人の仕業だとしても怪異の仕業だとしてもよくある状況だ。

 そういえば自分の身にも似たようなことが起きた覚えがある。先日、キッチンで昼食を作っていた時に、とんとんと何かを叩く音がした。その時の音の主はすぐに正体が発覚したが(訪ねてきた幽霊が元気に音をたてていた)、正体が発覚しなかったらと考えると少し薄ら寒くなる。

 そこまで思考を広げたところで、斑目はそれを一旦やめにした。今は怪談をするのが優先事項だ。


「しばらくして、今度は窓を叩く音がした。カーテンの向こうから音がする。なんだろう、と思うが何かが当たっているんだろうとその人はまた音を無視することにした。そうしたら、次は天井からどんどんと音がする。ここはアパートの一階、二階から音がすると考えるのが普通なんだけど……その人の真上の部屋は、現在空いていた」


 人がいない部屋から音がする。それも怪談としてはよくあることだ。そうではあるが、現実に遭遇するとあきらかな異常なことである。自分は幽霊慣れしているのと怪談をいくつか集めているせいか、そのあたりが麻痺している感覚がするのだが。


「ここまできてその人は、おかしいなと気づいたらしい。一体なんだろうと思うが、音しか手がかりがない。なのでその人は音を聞くように集中した。すると」


 ここまで言って、斑目はゆっくり息を吸う。そのまま息を吐くように、言葉を続けた。


「夜は短し、夜は短し。そう、語る低い声がした」


 気持ち、低い声で言葉を続ける。


「人よ眠れ、人よ眠れ。声はそうとも言った。その声がとても近くから聞こえたものだから、その人は慌てて布団に入ったらしい。短い夜はすぐに過ぎて、朝になった。それ以上のことは、起こらなかったらしいよ」


 これでこの話はおしまい。そう言って斑目は軽く一礼した。ナイも同じように礼をする姿が見えた。「良い怪談でした」と彼が拍手をする姿もはっきりと見える。その言葉にはありがとうと返事を返した。

 

「まあ、ようするに寝かしつける怪異もいるってことかな……」

 

 先日見かけた怪異のたぐいと似ている怪異なのだろう。人に何かを告げていく怪異。この怪異の場合は、寝ない人間に対して「眠れ」と告げる怪異であるようだが。

 ところで、斑目とナイは今起きている。夜更かしと称して。起きているということは、つまり。


「先生のところにも来るかもしれませんね」

「……話も終わったし、君も俺も早く寝ようか」

「そうですね」


 流石にすぐ近くで「寝ろ」という意の言葉を言われるのは避けたい。

 夜は短し。眠ればすぐに、朝は来る。

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