Day20 入道雲

「今日も晴れだね」

「そうですね」


 外は晴れ、空には雲が泳いでいる。窓越しに見えるのは夏の色だ。夏の色であるということは、つまり。


「こういう日は暑いとわかった上で外を散歩してもいいけど、まあ結論としては部屋から出たくないよね」

「先生……」

「俺は出不精なんだよ……」


 斑目は、外に出る時間より家にいる時間の方が多いタイプである。用事がある時や気が向いた時には外に出るが、大体家にいることが多い。仕事をしたり、通販で買った本を読んだり、動画サービスのサブスクリプションに登録して映画やドラマを見たり、その他家事などをしたりしているので時間は有意義に使えている。そのやることの中には怪談を聞いたり語ったり、ぼんやりと外を眺めたり……などもある。

 斑目は外を眺めた。先程から変わらない、晴天の夏の空が広がっている。


「前々から思っていたのですが、先生の仕事部屋は空もはっきり見えるのですね」

「ああ、そうだね。見えるから幽霊が来てもわかりやすいんだよね」


 今は来てないみたいだけどね。視線をナイに向けて、斑目は肩をすくめた。今日はまだ幽霊の来訪はない。彼らも彼らで夏を楽しんでいるのだろう。肝試しに来た人々を軽く脅かすなどで。

 ナイの一つ目はいまだ空に向いている。斑目ももう一度空に向ける。雲が流れている。この明るい空の下、日差しは眩しいのだろう。思わず目を細める。そうすることで、空の細かい様子が見えてくる。流れる雲の真下に、夏の象徴である雲が見えた。

 

「入道雲ですね」

「夏だね」

「そうですね」

「もう少ししたら雨が降るのかもね」

「そういえばあの雲は雨をもたらしますね」

「そういうしるしなんだってさ」


 つまりはこの後夕立が起こるということだろう。そういえば、ベランダにタオルを干しっぱなしにしていた。そろそろ乾いているから、取り込んでもいい頃合いではある。だが、今は面倒くささが勝っている。斑目は椅子に深く腰掛けた。そうして小さく息を吐く。今しばらくはこうやってぼーっとしつつ、時々ナイと話をして過ごすことにしよう。

 横を向けば、ナイの視線は入道雲に向いているようだ。しばらくして斑目の視線に気づいたのか、彼はその一つ目を斑目の方に向けて「そういえば」と話をきりだした。


「先生、こういう話をご存知ですか」

「なんだい」

「入道雲とともに、空に入道がやってくることがあるのだそうです」

「へえ……」

「自分も、話で聞いただけなのですが。同族が以前、入道が『雨が降るぞ』と教えてくれたと言っておりまして」


 大入道のたぐいということだろうか。雨を告げるという点は入道雲に親しく、そして相応に大きいということだろう。

 ということは。


「……もしかしたら見つけられるんじゃないかな?」

「先生?」

「ちょっと外の様子を見てみよう。いるかもしれない」


 そう思いつつ、斑目は椅子から立ち上がる。そうしてベランダの窓越しに空を見る。

 窓の外には夏の色をした空と入道雲が見える。話に聞いた入道らしい姿はない。後天的にとは言え見える人間なのだから、そういうものを目ざとく感知してもいいだろうに。斑目はそう思いながら、空をもう一度見回す。先程と変わらず、空には入道雲だけがある。入道はいないようだ。

 そうやって空を眺めていると、少し遅れてやってきたナイの声が後ろから聞こえてくる。


「その同族も話で聞いた時しか会えてないそうですよ」

「なるほど。そんなに人前に姿を表さない人なのかな」

「そうとも言えるかもしれませんね」


 隣いいですか、とナイの声がする。いいよと答えると、ナイはちょこんと座った。

 そうして一人と一匹で再び空を見る。どこかへと向かう飛行機雲が見えて、しばらくして消えた。入道雲は変わらずそこにあり、空も変わらずきれいな青だ。しかし、お目当ての入道らしき姿はやはり見えない。


「来ないね」

「そうですね」

「まあ、そう簡単に会えるわけないか……」


 怪異でも簡単に会えるわけではない存在。それに軽率に会おうとしたのが無茶だったのかもしれない。とはいえ、話を聞いたからには会ってみたいと思うのも人情だ。会うことで、作家として話の種にできないかと思ってしまうのも人情だ。

 斑目はじっと空を見る。空は先ほどと変わらない。そろそろ雨が降るかもしれない、諦めるなら今のうちだろうか。

 空に変化が起こったのは、斑目が小さくため息をついた直後だった。夏の青と入道雲を残したまま、空が暗くなる。影が落ちたように。思わず目を凝らすと、入道雲の前を大きな坊主頭の僧服姿の人物が横切っているところだった。坊主頭は二、三歩歩くとおもむろに立ち止まる。そうして、はっきりと、斑目とナイを見た。そうして、坊主頭の口が開く。

 

「雨が降るぞ」


 低く、重く、頭に直接響く声。それが言った言葉は、はっきりと聞き取れた。

 ――雨が降るぞ。

 斑目はしっかりと、坊主頭と目を合わせた。坊主頭がゆっくりとうなずく。見ている、こちらに気づいている。先程はっきりとこちらを見たのは気のせいではない。彼はたしかに、自分たちを認識して雨の予告を告げたのだ。

 斑目も彼を見てうなずく。そうすると、坊主頭の目が少しばかり細くなったように見えた。笑っているのだろうか? もしそうだとしたら、少し嬉しい。


「同族よ、人よ、雨が降るぞ」


 もう一度声が響く。

 ――雨が降るぞ。

 坊主頭はおもむろに視線を移し、入道雲を横切るように歩きだした。ゆっくりと、ゆっくりと。彼が去っていく様子にあわせて、あたりは明るくなっていく。

 やがて落ちた影は全て取り払われ、入道は姿を消した。

 しばらくの間入道が去った空を眺める。そうしておもむろに、斑目はナイと視線を合わせる。ナイの一つ目は、少し細められていた。と、いうことは彼も自分と同じ気持ちなのだろうか? 弾む口調で、斑目は言葉を続けた。


「会えたね」

「先生、嬉しそうですね」

「そうかな」

「そう見えますよ」


 そう見えるのかあ。そう呟いて、斑目は空を見た。

 入道雲は相変わらずそこにあり、入道の言葉はしっかりと受け止めた。近いうちに夕立が来る。雨が降る。ベランダのタオルは干しっぱなしで、取り込む気力は少しだけ戻ってきた。


「さて、雨が降る前にタオルを取り込んでおこうかな」


 せっかくの雨のお告げだからね。楽しそうにつぶやきながら、斑目はベランダのガラス窓を開いた。

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