Day18 群青

「群青色の夢を見る、ですか?」


 電話口で斑目は不思議そうに声を上げた。原稿の催促の電話から、話は雑談へと移行していた。斑目がそのような声をあげたのは、最近どうしているのかなどという他愛無い話題から、最近見た夢の話題になったところである。

 群青色の夢を見るのだそうだ。どう例えようとしても、群青色の夢としか言いようがない夢を。とはいえ、その夢で特におかしな展開があるということではないらしい。ただその光景を見て終わる、それだけなのだそうだ。見た本人曰く、気にはなるが、気にしすぎるほどでもないようなきがする……とのこと。

 夢なのだからいろいろある。だから、色一色の夢を見ても、夢なのだからそういうこともあるとしか言いようがないのだろう。


「はあ、そういうこともあるんじゃないですか? 俺は夢占いとかそういうの知らないので適当言うしかできませんけど……あ、原稿ですか。原稿は後ほど送ります」


 一瞬夢の話題で原稿のことを忘れていてくれたのではないだろうかと斑目は思ったが、そうはいかなかったらしい。担当編集ははっきりと、「原稿、お早めにお願いします」と言って電話を切った。斑目はノートパソコンの画面を見る。ある程度出来上がった原稿がそこにはあった。あとは締めの言葉を入れたらいいだけ。椅子に座り直して、斑目は原稿に向き合おうとした。

 静かに部屋に入ってきたらしいナイが、斑目に話しかけたのはちょうどそういう時だった。


「先生、今の電話は?」

「俺担当の編集さんだよ」

「なるほど……」


 ナイが一つ目を細めてうなずいた。他に言いたいことがあるように見える気がする。しばらく彼の出方を待っていると、「そういえば」とナイが口を開いた。


「先生、奇妙なことをおっしゃってましたね」

「……群青色の夢?」

「そうです」


 彼はどうやら、部屋に入る前に部屋の前で待機していたらしい。なら一部始終を見られていても仕方はないだろう。

 それはそれとして。群青色の夢。怪異でも気になる言葉であるようだ。たしかにそうかもしれない。ナイは夢喰に近い性質の怪異であるから、余計にそうなのだろう。最も彼が食べるのは怪談をしている場の空気だそうだが。広義で言えば夢の話も怪談にならないだろうか? 斑目はふとそう思った。

 それはそうとして。返事をせねばと斑目は口を開いた。


「編集さんがさ、最近そういう夢を見るんだってさ」

「なるほど」

「夢の中で特に変な展開はないけど、気になるから俺に話した。だってさ」

「話の種にしてほしかったのでしょうね」

「まあそういうことだろうねえ……」


 一体夢を見たという事実をどう話の種として活かせと。少しだけそう思うが、何かしらの小説の種にはできるかもしれない。斑目はメモソフトを立ち上げ、適当にタイトルを入れる。そうして夢の話を記録していった。

  


 その日の夜だ。

 夢だ、夢を見ている。斑目は曖昧な意識の中そう思った。つまるところこれは明晰夢というところだろうか。夢だと認識している夢。

 そうだと思うや否や、斑目はまず周囲を確認することにした。一色に染まっているように見える。よく集中して見てみれば、色も鮮明になってきた。群青色の絵の具で塗りたくったような世界が広がっている。上下左右、どこを見ても群青色。海の中のようだ、と斑目は息をついた。

 この色以外に何かないだろうかと、再び周囲の様子を注視する。少し離れた位置に、ぽつぽつと白い点のような物が見えた。それはゆっくりとこちらへ近づいてきているようにみえる。一体何なのだろう。しばらく観察していると、それの正体は明らかになった。魚だ。絵の具で塗ったように真っ白な魚が群れを作って泳いでいる。そのことに気づいたと同時に、周囲の光景に変化が現れた。

 頭上を大きな白い魚が泳いでいる。周囲を白い魚の群れが泳いでいる。足元で白い魚が跳ねる。ぐるぐると、頭上と周囲を回遊するように、魚たちは悠々と泳いでいる。先程まで群青一色だった世界は、二色の調和に彩られた。

 斑目はそれをぼんやりと眺める。そうして、夢を定義する。例えるなら、物語にあるような海中ドームの夢といったところだろうか? やけにファンタジーな夢だ、と斑目は思った。

 そうしたところで、後ろに何者かの気配を感じた。直感は、悪いものではないと言っている。なら、大丈夫だろうと、斑目は振り向いた。そこには真っ白な布をかぶったような、いうなれば物語に出てくるおばけの姿をした者が立っている。それは斑目と視線が合うやいなや、ふかぶかと頭を下げた。


「こんばんは、夢の中に失礼します」

「……君は?」

「この夢を作った者です」


 夢を作った。その言葉に斑目は目を丸くした。そういう怪異もいるのか、会ったのは初めてだが。そもそもそういう怪異は夢の中を住処としているから、住処と夢がつながらない限り会えないものなのだから仕方ないのかもしれないが。とすると、これはこの怪異の住処というところだろうか。


「あなたが夢の存在を知ったから、あなたの夢に現れることができました」

「なるほど……知ることで広がるタイプか」

「まあざっくりいうとそうなります」


 知ることで広がる、都市伝説だとよく聞く。斑目もその手の都市伝説をいくつか知っているが、幸いにしてまだ無事である。当の都市伝説がガセネタだったか、あるいは本当に斑目の運がいいのかは不明であるが。

 それはそれとして、目の前の怪異である。彼は少し気になることを言っていたような。


「ところで」

「はい」

「なぜ、俺に接触しようと思ったんだい。言い回しが俺に会いたかったみたいに聞こえたから気になってね」


 じっと、怪異を見る。怪異は困ったように首を傾けてから、こちらを見つめ返してくる。実は、と前置きして彼は続けた。


「旅立つ前に見送ってもらいたくなりまして」

「旅立つ?」

「怪異にも存在限界はあるということです。端的に言うと私はもう長くありません」


 そういえばそうだ、と斑目は「ああ」と口を開いた。怪異を祓うという概念もある以上、怪異にだって命や人で言うところの寿命は存在しているのだ。普段接しているその手の存在が、すでに死んであとは冥界に行くのを待つだけの幽霊だったり、若い怪異に思えるナイだったりするためか、その感覚が一瞬抜け落ちていた。

 斑目は怪異を見つめる。怪異に表情はないが、少し寂しそうに見えた。


「だから、誰かに見送られながら逝きたいと。そう思ったのです」


 静かに、怪異はそう言った。


「そうか」


 その時が訪れたら、きっと自分も同じように思うだろう。家族、知人、それから……仲良くしてきた怪異たち。彼らに囲まれて最期を迎えたいと思うだろう。

 目の前の怪異は、終わりを前にして自分を頼ってきた。同じ欲求を持って頼ってきた。だから、


「じゃあ……見送るついでに少しだけお話をしようか。俺が起きるまでだけど」

「はい、ありがとうございます」


 そう、答えるのだ。

 せめて彼が安らかに逝けるようにと。

 そう、願うのだ。


 ◇


 気づけば夢は覚めていた。最後は何の話をしていただろうか、よく覚えていない。

 斑目はゆっくりと身体を起こす。視線を動かすと、布団の上に何かが落ちていることに気づく。

 そこには、群青色の絵の具が一本。そっと手にとって、じっくりと観察し始める。しばらくそうしていたら、斑目は夢から覚める前の怪異の様子を思い出した。

 白い布から表情は見えない。だが、彼はたしかに、安らかに微笑んでいた。

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