Day17 その名前
「先生の怪談聞くの久しぶり~」
「おれははじめて」
「わたしも~」
「はいはい、適当な位置で浮いてててね」
「先生、これは?」
「ああ、この状況?」
幽霊が複数くつろいでいる斑目の仕事部屋。各々の好きな場所に陣取っていく幽霊。彼らを見ながらファイルを取り出している斑目。それらの様子を見たナイの問いの答えとして、斑目は簡潔な説明をした。
いつものように幽霊たちが話をしにきたのだが、そのうちの一人が怪談をしている人たちを見かけたのだという。幽霊たちが夏といえばこれだよね、と盛り上がりだしたのを斑目はなんとも言えない目で見守っていた。そうしていると、幽霊の一人が唐突に斑目に話を振った。「先生、なんか怪談ない?」などと。
幽霊たちの期待の眼差し、自分の持っている話のストック。それらを踏まえて、斑目は怪談を語るという結論を出した。
「とまあそういうことで」
「なるほど……」
「あ、怪異くんこんにちは~!」
「こんにちは!」
「はい、こんにちは」
幽霊を観客に怪談話をするとはなんとも奇妙な絵面であるが、やると決めたのは自分なのだからちゃんと責任を取らねば。ファイルを片手に、斑目は机の上を整理し始める。
ふとナイを見れば、彼は幽霊たちの挨拶に軽く返事をしているようだ。斑目は彼に声をかける。そうだ、と前置きをして。
「君も聞いていくかい?」
「ええ、ぜひ」
「じゃあ好きなところに座ってもらって……」
ナイは本棚の近くに座り込んだ。一つ目を瞬かせてこちらを見ている。幽霊たちの視線も斑目に集まっているようだ。
さて、なんの話をしようか。斑目はふと指先が触れた紙をファイルから取り出した。そうして、その中に書かれている怪談を見てうなずく。さあ、今日はこの話をしよう。
では、
「始めよう」
斑目は視線を手元の紙から、その場にいる全員に移す。そこにいるのを確認するように見回してから、このような問いを投げかけた。
「さて、みんな。知ってはいけないことに関する話に心当たりはあるかい?」
「なんかそういうものがあるって他の幽霊が言ってたような」
「あるといえばあるよね、そういうやつ」
「なるほど、ありがとう。今回話すのはそういう話だ」
すう、と息を吸う。そうして息を吐き出すと同時に斑目は本題を話し始める。
「これはどこかの村の話。その村にはある伝承があった。神社の敷地内にある池には怪異が棲んでいる。悪い言い方をすればよくある伝承だ。その怪異を示す名前はあると言えばあるけれど、それは仮名であるということはみんな知っていた……さて、仮名ということは本名が存在しているということになる」
斑目はもう一度、全員を見回した。ナイも幽霊もじっとこちらを見ている。うなずいて、斑目は話を続けた。
「その本名を知りたくなった人間がいた。知ろうとした理由はまあ好奇心ってところだろうね」
好奇心は猫を殺すというが、さて、この場合はどうだったか……それはこれから語るところだ。
「その人は友達複数人と一緒に、池で怪異を呼び出す手段を用いた。彼らの間で噂になっていた手段をね」
怪異を呼び出す手段というものは案外身近なところに転がっているものなのだろうと、斑目は思う。この話の人物たちが住んでいた村でも、池に棲む怪異を呼び出す手段はわかりやすい手段で伝えられていた。だから、噂にもなるし、軽率に呼び出す手段を用いることもできたのだろう。噂に関しては、厳密には口伝が捻じ曲げられて噂となった可能性もあるが。
「怪異は本当に出てきた。姿は……そうだね、魚っぽかったらしい。その人はその魚の怪異を前にして、こう聞いた。本当の名前はなんですか? とね」
斑目はこの怪異をこう解釈している。こっくりさんに近いたぐいの怪異である、と。呼び出しに応じて質問に答えるという点が共通点と言えようか。
「怪異は名前を教えてくれたらしい。しかし……タダで、とはいかなかった。名前を聞いたその人は、その場に膝をついて、空を見上げて笑い始めた。周囲にいた人々は、これはおかしいぞとなってその人を連れて逃げるようにしてその場を立ち去った」
この話はこれで終わり。と斑目は言った。
狂ってしまった人がその後どうなったのか、そこまでは話としては聞いていない。怪談だからそういうものだ。
とはいえ、その後どうなったかを想像することはできるだろう。無事しかるべきところに運び込まれて正気を取り戻した可能性。しかるべきところに運び込まれたが後遺症は残ってしまった可能性。怪異の名前を聞いた時点でもう手遅れとなってしまった可能性。
少し視点を変えれば、こういう考え方もできる。怪異を再び呼び出して正気を失った友をどうすれば救えるか聞いてしまった可能性もある、と。
斑目はそこまで思考を広げたところで、一旦その思考を止めた。その後の話の他にもう一つ、思考を広げることができるものがある。
「さて、ここからは俺の推論なんだけど。この怪異の名前は聞いてはいけないものだったのかもしれないね。もしくは……怪異によるその名前の発音は、人が聞いたら狂うようなものだったか……」
怪異の名前。怪異にとっては大きな意味を持つもの。今回の話に出てきた怪異にとっては、その意味の重さは相当なものだったのかもしれない。聞いてはいけないものだったと仮定しても、人を狂わせる発音であったと仮定しても。
例えば、斑目と怪異談義をしているナイの名前は「ナイ」と本人が自称したものであると認識している。本人は名前がないと言っていたが本人が仮に名を自称したことによって、その何何らかの意味が灯ったことだろう。
当のナイは斑目を見てうんうんとうなずいている。今回の怪談もどうやらお気に召してくれたようだ。満足気に斑目も微笑む。幽霊たちは陣取っていた場所でふよふよと浮きながら、斑目をじっと見ている。話の余韻を味わっているのだろうか。もしくは咀嚼しているだとか。そもそも怪談をするという空気を食べるナイとは違って、彼らは普通の幽霊のはず。
しばらくして、幽霊の一人が声を出した。
「先生……どこからそういう話仕入れてくるの?」
つまるところその発言をいつ言うかを考えていた、ということか。斑目は小さくため息を付いてから、質問に答える。
「その手の人脈には恵まれているんだよ。俺はホラー作家ではなくサスペンス作家なんだけどね」
「そういえば先生そうだったね」
いい加減にちゃんと覚えてくれないかい。呆れたように斑目は口にした。
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