Day16 錆び
「……まいったな」
とりあえず今のこの状況を整理しよう。斑目は今日の自分の行動を思い返した。
まず、午前中は仕事を一件済ませた。昼ごはんはそうめん。それから午後に時間を作って、日用品の買い出しに出かける。外は晴れ、日除けのための日傘はちゃんと持ち出した。買い出しの際に利用しているバスは、今日も空いている。スーパーは今日は特売日で、必要なものを安く買えた。買った物の量は多くない。手頃なサイズのエコバッグに全て詰め込んで、帰宅するためにバス停でバスを待っていた。
そう、たしかにそうしていた。自分が今待っているところはバス停であるはずなのだ。
ところが、斑目の視界に映るのはバス停の周辺の姿ではない。頭上にあるのは錆びついたトタン屋根。向かいにあるのは人の気配など全くない道路。中途半端な舗装がされているそこには、ところどころに茶色の草が生えている。空を見てみれば、どんよりとした曇り空。
さて、どこに迷い込んでしまったのだろうか。斑目は考える。迷い込んだタイミングとしては、バス停にたどり着いた時だろうか。ちょうどバス停付近にその手の空間があったとしか考えられない。自分の目は霊や怪異を見ることはできるが、この手の空間の裂け目は流石にわからない。もう少し見えていたら迷い込まずに済んだのだろうか、と斑目は思った。
(まあ、少しくらい様子を見てもバチは当たらないよね)
斑目は周囲を確認しながら、バス停から出る。そうして道なりに歩きだした。
しばらく歩いていると、町並みが見えてくる。だが、どこかおかしい感じがする。斑目はその様子を注視した。そうして、気づく。そうだ、この街並みは木造の平屋が大半だ。時折木造二階建てと思われる建物があるが、多いとは言えない。家と家の間、ところどころには高い木製の柵が立っている。
そして何より斑目の目を引いたのは、家の外壁や柵に立てかけられている看板の数々だった。金属製の看板だ。そのどれもが錆びついている。絵が主体となっている看板と、文字が主体となっている看板が混在しているようだ。物によっては、そこに何が書かれていたのかほぼ読めないようだが。
(ずいぶん古いように見えるけど……、読めるかな)
斑目はその中の一つに近づく。大きく書かれた文字の下に、その補足と思われる文字が書かれている看板だ。上半分が大きく錆びついているため、読もうと思えば読める、といった具合だろう。目を細めて斑目はそれを読もうと試みる。文字列の中に、ソーダという文字が見えた。ソーダを宣伝する看板だったのだろうか?
しばらく看板の解読と書くとしていた斑目だったが、しばらくしてあることに気づいた。
誰かが、見ている。
痛いとも思える視線が向けられている。このままここにとどまっているとどうなる? 嫌な予感しかしない。だったら。
斑目は周囲を見回し、扉が開いている建物の中に入る。中には誰も居ないようだ。これ幸いと物陰になる位置に逃げ込んで、周囲と外の様子をうかがう。ここは看板工房であるようだ。いくつかの描きかけの看板が放置されている。そのどれもが錆びついている。外で見た看板のように。つまり、この空間はこの状態で放置されたということだろうか。
さて、外はどうだろうかと様子をうかがうと、確かに外に気配がある。よからぬ気配だ。隠れて正解だったな、と斑目は小さく息を吐いた。これくらいの音なら、外の気配には気づかれないようだ。気配はどんどん遠くなっていく。そうして、いつの間にか消え失せた。
(……行った、かな?)
建物の外へ出る。怪異の気配はない。大きく息を吐きだして、斑目はまた歩きだした。
怪異もいなければ人もいない。無人の空間だ。ただ、木造平屋の建物の群れだけがある。
無言でしばらく歩いていると、また錆びた看板が立てかけられている場所へとやってきた。先程見たのとは別の場所。この空間にはこういうものが複数あるということだろうか。斑目はまた、看板の解読を試みる。しかし、ここの看板に書かれている文字は一切読めない。なんとなくだが、人間が読める文字ではないように思えた。
さて、と斑目はひとりごちる。さて、先程の怪異。それについて解釈をしてみよう。
件の怪異は、少なくともこのあたりを縄張りとしている。その縄張りの主張として使っているのが壁掛け看板、あるいはそれらに付随する錆びなのだろう。怪異自体が金属を腐食させる何かを発しているのかどうかはわからないが。そして、読めない文字の看板は、怪異の言語であると仮定すれば説明がつく。怪異の言語だから読めない。自分はあくまで人間だし、退魔師のように対怪異のプロというわけでもない。
さて、ここまで仮説を立ててみた。そしてその仮説を正であるとしてみる。そうすると、こういう可能性が出てくるのだ。先程の怪異以外にも、似たような怪異がこの空間にはいる。
そこまで考えた斑目の視界は、急に眩しい光に包まれた。反射的に目を閉じる。何かが遠くなっていく感覚。たしかにそれを感じながら、斑目は光が止むのを待つ。
少しの時間が過ぎた。蝉の声がする。恐る恐る目を開けると、視界には向かい側のバス停が映り込んだ。バス停でバスを待つ人の姿もある。
つまり、これは戻ってきたということだろうか。疑問に思う斑目に、声がかけられる。
「先生、よく無事でしたねえ」
見覚えのある黒髪。八宮小鳩と名乗った退魔師だ。すぐ近くに控えている人物は、彼の相方だろうか? 斑目はそう思ったが、口にはせずに、小鳩に対して返事をするだけ。
「何がだい」
「よく怪異に姿を認識されませんでしたねえ、ってことですよ」
その言葉だけで、斑目は察した。
「詳しくは聞かないけど、見つかったら大変なことになってたってことはわかったよ」
「先生もしかして危機回避能力高くていらっしゃる?」
「意識したことはないな……」
本当に意識したことはない。もし自分にその危機回避能力があるとするなら、今後もきちんと仕事をしてもらいたいものだ。斑目は心底そう思った。
視線を小鳩たちに移せば、小鳩が近くにいる相方と思わしき男性にチョップを仕掛けているところだった。なにをやっているんだ。斑目は素でそう思った。相方は相方で、小鳩のチョップを片手で白刃取りして、舌打ちと冷たい目線を向けている。そういえば小鳩は遠回しに相方と仲が悪いと自己申告をしていたような覚えがある。小鳩は仲が悪いからちょっかいを出しているタイプなのだろうか。斑目の周囲では全然見かけないタイプではある。そういうタイプだとわかったところで何がどうするとかはないのだが。
「それじゃあ、僕らはこのへんで。今度は平和なタイミングで会えるといいですね~」
そう言った小鳩より先に、相方が先に動く。その後を追う小鳩が相方の背を指で弾こうとする様子が見えたが……斑目は、それを見なかったことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます