Day14 幽暗
夕方から夜にかけての時間。街灯があたりを照らし始めるより少し前の時間。
斑目はベランダに立ち、階下を眺めていた。少し薄暗いマンション前の人の行き来は少ない。もう少し時間が経てば、帰宅してくる人々が増えるのだろう。
しばらくぼんやりと階下を眺めていると、後ろから声がする。ナイの声だ。
「先生、暗くはありませんか」
「あ、うん。そうだね。でも大丈夫だよ」
一度ナイの方を向いてから、斑目は視線を再び階下に戻す。先程から変わらない、夕と夜の隙間がそこにある。かすかと例えることもできるような、空気感が。
「ちょっとこの時間帯の空気感を味わいたくてさ」
「なるほど……わかる気がします」
その言葉の後に、ナイはこう続けた。
「では自分も先生の隣でご一緒させてください」
「いいよ、このあたり空いてるからここどうぞ」
そう促せば、ナイは斑目の隣りにあるアウトドアチェアに座った。彼もまた、視線を階下に移したらしい。一連の様子を見守っていた斑目もまた、視線を階下に戻した。
同時に、風が吹く。涼やかで、強い風だ。目を閉じて風が止むのを待つ。閉ざした視界の中、音が鳴る。風の音、それから……鈴の音。
やがて音が止む。斑目はゆっくりと目を開けた。階下には人の往来の少ないマンション前と、幽暗の空気感と――さきほどまではいなかった誰かがいた。視線は自然と、そちらへ向かう。
「誰かいるね」
「いらっしゃいますね」
その人物は青白い髪と肌、白いワンピース姿をしている女性……に、見える。彼女は街頭の下で一人たたずんでいるようだ。その姿はまるで。
「幽霊かな」
「どうしてそうお思いに?」
「雰囲気がね、そんな気がした」
「なるほど」
よくある幽霊の姿であるようだと、斑目は思った。普段自分のもとにやってくる幽霊たちとは趣が違うようだ。幽霊の姿は多種多様、その幅の中から彼女はその姿を選んだというだけなのだろう。ただ、彼女が幽霊かそれ以外の怪異かはまだ判断がついていないのだが。
斑目がそんなことを思っていると、隣から回答が飛んでくる。
「確かに幽霊であるようですね」
「さっきからずっと動かないね、彼女」
「誰かを待っているのでしょう。それこそ怪談の幽霊のように」
「あー、一理あるね」
実際、斑目たちが彼女を発見してから数分は経っている。だが彼女はぴくりとも動かない。幽霊だからということもあるのかもしれない。だが、なんとなく不自然でもあるように見えた。
ナイが言ったとおりであると仮定するならば、彼女は誰を、あるいは何を待っているのだろう? なぜ待っているのだろう? なぜそこを待つ場所に選んだのだろう?
斑目はしばらく思考を広げていたが、ふとそれを止めた。考えても答えはすぐに出そうにない。考えるなら後回しにしたほうがいい。
不意に視線を隣のナイに向ける。彼の一つ目とはっきり目があった。
「怪異の意見を聞かせてもらえるかな」
「はい、かまいませんよ」
「こういう時間帯、幽霊の待ち合わせに使われたりするものだったりする?」
「そうですね……幽霊によるとは思います」
「個人差」
「そうです、個人差」
幽霊たちの姿がそうであるように、とナイは言った。
たしかにそうかもしれない。斑目は一人納得した。自分のもとに訪ねてくる幽霊たちがやってくる時間も、個人によってばらばらだ。一度深夜に来られたことがあり、その一件以降対応可能な時間帯は伝えてある。それを踏まえても、幽霊たちの個人差は出ている。
ようするに霊の待ち合わせ時間や場所の取捨選択も、それと似たようなものなのだろう。
斑目は視線を再び階下に移す。霊はまだ街灯の下で佇んでいた。霊が時折周囲を見ているような仕草をしていることが、ちょっとした変化といえるだろうか。
「彼女はこの時間に待ち合わせをする方の幽霊だということかな。仮定だけど」
「可能性としては高いと思いますよ」
「そうだね……あ」
しばらく様子を見ていると、どこからともなく馬車が現れた。真っ黒な馬車だ。資料本で見た大正時代の馬車に、これと似た形状のものがあったような気がする。だが、御者の姿はどこにもなく、箱を引く馬も生きているように思えない。どことなく不吉な雰囲気も感じられる。しかし、嫌な雰囲気ではないとも思えた。
馬車から誰かが降りてくる。黒い袴を着た人間のようだ。……いや、人間ではないのだろう。正確には人間の姿をしたなにかと言ったところか。彼は幽霊の前までやってくると、深々と一礼をした。
何かを言っているようだが、ここからだと距離があるため何を言っているかはわからない。霊がうなずいているところを見るに、大事な会話であることは推察できた。
霊は二度三度うなずいて、黒服の人物に手を伸ばす。黒服の人物は霊の手をとって、導くように一歩、また一歩と歩きだす。導かれる霊もまた、ゆっくりと歩いていく。
やがて、馬車に霊が乗る。黒尽くめの人物はそのあとに続いて乗った。しばらくして馬がいななくと、馬車は自然と走り出す。そうして、幽暗の空気に溶けるように消えていった。
「行っちゃったね」
「行っちゃいましたね」
斑目は、あの幽霊に関する答えを得た。つまり、彼女は……、
「迎えを待ってたんだね」
「そのようですね」
死神の迎えを待っていたのだろう。不吉だが悪い気配がしない彼は、死神であったからそのような空気感をまとっていたのだ。
彼女はおそらく、死後ある理由ですぐ迎えに来てもらうことができなかった。その理由が解消されたか、あるいは別の理由があったか。彼女は今日のこの日、迎えに来てもらえることになったのだろう。
そうして彼女は無事、迎えに来てもらえた。導いてもらえた。本来なら、すでに至っている場所まで。
「無事たどり着けるかな」
「大丈夫ですよ、きっと」
「そうだよね」
斑目はふと考える。自分がそうなったときは、即死神に導いてもらえるのだろうか? それとも彼女のように少し待つことになるのだろうか? あるいは自分訪ねてくる幽霊たちみたいに能天気にすごすことになるのだろうか? このことについて思考を広げてみても、答えは出ない。推察しかすることができない。それに、答えを出す必要もない。
斑目は思考を広げるのをやめた。そうして、手持ち無沙汰に彼女が消えたあとの街灯を眺める。薄暗がりに、ぱちりと明かりが灯る。もうすぐ、夜がやってくる。
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