Day11 緑陰

 近場だから大丈夫。斑目は少し歩いた時点で、そう思っていたことを後悔した。

 日差しが強い。やけに強い。素直に日傘を持ってくればよかったと思うが、ある程度歩いてしまった後であり、戻るほうが二度手間のような気がしてくる。斑目はそう思いながら、道をゆっくりと歩く。ここから少し歩けば、道中に自動販売機があったはずだ。無糖のアイスコーヒーとスポーツドリンクがよく品切れになっている自動販売機が。

 休憩しつつ歩いていくと、自動販売機の前までたどり着いた。斑目はポケットから財布を取り出して、小銭をいれる。ラインナップを眺めると、案の定アイスコーヒーとスポーツドリンクが品切れになっていた。ミネラル入り麦茶は品切れではないようで、これがちょうどいいとばかりに斑目はボタンを押した。音を立てて、取り出し口に麦茶が転がる。それを拾い上げて、斑目を周囲を観察した。

 このあたりにはたしか影になるところがあったはずだ。地面に緑陰を落とす場所が。自然の木立とそれに囲まれる大きな木。たしかそういったものだと認識している。どのあたりだろうか、と歩きながら観察していると、小さな公園の入口が目に飛び込んでくる。それと、そこに存在している木立と大きな木。

 ここならちょうどいいだろう。斑目は急いでその影に逃げ込み、麦茶のふたを開ける。そうして麦茶を三分の二ほど飲み干したところで、誰かが近くにいる気配を感じた。「隣、よろしいでしょうか」と、隣から声がする。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」


 斑目はその人物を横目で見る。

 細身で長身の男性のようだ。藍色の着物を着ており、顔を狐面で覆っている。その割に、先程斑目にかけられた声はくぐもっているようには聞こえなかった。普通の人間ではない。斑目はそう確信したが、彼が「何」であるかについては判断を後回しにした。

 視線を木陰の外に映す。日差しは相変わらず強い。通り過ぎていく人々は、帽子をかぶっていたり日傘をさしていたりと日除けを徹底しているようだ。斑目は本当に日傘を忘れてきたことを後悔した。

 ため息をついていると、隣に立っている男性が声をかけてくる。


「外は暑いですね」

「夏ですからね。ところで……」

「はい」

「着物姿でどこへ行くつもりだったんですか?」

「ああ、この格好ですか……」


 そうですね、と男性は穏やかな口ぶりで言葉を続ける。

 

「古い友人を訪ねに行こうと思いまして」

「ご友人ですか」

「ええ、同族の」


 同族の。怪異や霊の類に近い存在ということだろうか。

 斑目は隣の人物の様子を伺う。狐面に隠された表情は見えないが、どことなく楽しそうに見える。

 そうしていると、ふと面ごしに視線があった。彼は軽く首を傾げ、明るい声色でこちらに問いかける。

 

「そちらはどこへ向かうおつもりで?」

「近くのコンビニです。アイスが食べたくなって」

「なるほど、良い物です」

 

 会話が途切れる。感じるのはどこか安穏な空気だ。

 ふと、風が吹く。影が揺れ動いた。少し視線を上げれば、青々と茂った葉が風に揺れている様子が見える。合間から見える空は夏の色をしている。鮮やかだ、斑目はそう思った。

 ここで斑目は、古い怪異同士は一体どのような会話をするのだろうかということを考え始めた。やはり人間同様に近況や共通の話題から入るのだろうか? それとも怪異ならではの話から入るのだろうか? それが一体何であるかは想像つかないが。

 斑目は一旦思考を広げるのをやめて、視線を落とす。ここは相変わらず影、当分はこのまま日除けとして使える場所であるのだろう。そういえば青々と茂る木々の影を緑陰と表現したりもするそうだが――。

 そうやって再び広がり始めた思考は、隣の人物の言葉によって止まる。

 

「突然ですが」

「はい」

「このような話はご存知ですか? このあたりに怪異が集まる大樹があると言う話は」

「……初耳ですね」

「人々だけでなく、怪異もその大樹の作る影に集まって涼んだり、待ち合わせの目印にしたりするようですよ」

「へえ……」


 なるほど、と斑目は続ける。もしかして、この場所のことだろうかとも思う。たしかにこの場所は待ち合わせにちょうどよさそうだ。人から見ても怪異から見ても、この木はとても目立つ。

 突然と彼は言ったが、何らかの意味を持っている言葉であるように思えてならない。では、なぜそのような話をしたのだろうか? その答えは相手から、少し困ったような声色で告げられた。

 

「先生のご職業柄、こういう話題も良いかと思いまして」


 斑目は目を丸くした。相手は自分を知っている怪異。情報の出どころは、まあ想像がつくが。

 

「知ってたんですね」

「霊たちから聞きまして」


 霊たちはおしゃべりであるらしい。まあ、なんとなく察してはいたが。

 しかし、霊たちが軽率に自分のことを話せる相手であるならば、彼は無害な怪異なのだろう。誰かと話すことが好きなのかもしれない。よくよく考えれば危害を加えなければ無害ということなのかもしれないが、斑目にそういった意思がない以上は無害と断言して問題ないはずだ。

 彼は狐面に触れ、少し位置を整えている。仮面の下は穏やかな表情であることは、斑目にも簡単に想像がついた。

 しばらく様子を見ていると、彼の口から穏やかな声が発せられた。

 

「さて、私はそろそろ行きます。また、ご迷惑でなければお話しましょう」


 何分話好きなものでして、と彼は言う。予測は当たっていたらしい。

 彼がお辞儀をすれば、斑目もならうようにして一礼した。

 彼が無害で話好きな怪異であるならば、先程の彼の言葉に対する返答は一つだろう。

 

「そうですね、また」

「ありがとうございます。では……」


 そうして去っていく彼の背中を、斑目は見続ける。しばらく見ていると、斑目の目に霞んでいく怪異の姿が映る。怪異は程なくして斑目の視界から消え去った。なるほど、話をするために見えるようにしていたという事か。そんなことをしなくても、自分が見える人間であることを彼も把握していただろうに。

 そう思う反面で、こう思う。そうすることが怪異としての礼儀だったのかもしれない。そういう人間からすれば謎とも思える立ち去り方が、怪異にとっては礼儀のたぐいなのかもしれない、と。

 真相はまた会う機会があったら聞けばいいだろう。斑目はすっかりぬるくなった麦茶を飲んだ。

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