Day9 団扇
「先生、それは?」
「もらいものだよ」
斑目が手にしているのは担当編集からもらったうちわである。夏を感じるものを持っていても悪くはないと思いますとかなんとか。そういう理由で、なかば押し付けられるような形でもらったものである。
さて、このうちわをどうするべきか。斑目はそう思いつつ、ナイの方を見る。一つ目であること以外はほぼ猫の姿をしている。シルエットも、もちろん毛並みも。ここはエアコンの効いた室内とはいえ、そとは夏真っ盛りだ。場合によっては室内でも熱いと感じるかもしれない。そこまで考えた斑目は、おもむろにナイをうちわであおぐ。
「どう? 風、感じるかい」
「はい。涼しいですね」
「風情もあるだろう?」
「はい」
エアコンの涼しい風も乗せて、風がうちわで送られる。ナイがその一つ目を閉じて満足そうにしている様子を見ながら、斑目はうちわをぱたぱたとあおぎ続ける。しばらくしてナイが「ありがとうございました」と言うのを聞いて、斑目はうちわであおぐ手を止めた。そうしてその手で自分をあおごうとしたところで、窓の外に誰かがいることに気づく。
誰だろう。まあ種族はわかるのだが。そう思いながら斑目が窓の外を見ると、丸っこい魂に近い姿をした霊がふわふわと浮いていた。どこか楽しげに。
「先生~」
「はいはい、どうしたんだい」
「うちわもらった!」
「……」
そうやって幽霊が見せてきたうちわの絵柄が、斑目の目に映る。朝顔が大きく描かれた、シンプルなうちわであるようだ。夏祭りなどで似たようなデザインのものが配られていたような気がするし、実際にそういう物をもらったこともある。探せば似たようなものが出てくるかもしれない。
斑目はそう思いつつ、一方で率直に思ったことを吐き出した。
「なんで俺のところに見せに来るのかな……」
「先生に自慢しようと思ったから」
「そっか……」
霊からすれば、同族に自慢するより知人の生者に自慢するほうがより良いのかもしれない。そうは思うが、なぜ自分なのだろう。他にも霊が見えて友好的な人間もいるだろうに。
斑目がそう思っていることなどお構いなしに、霊は自慢するだけ自慢して去っていった。一度だけ振り向いてこちらに手を振ってきたので、とりあえず振り返すだけはしておいた。霊はどこか満足そうな調子でふわふわと去っていく。
さて、そろそろ麦茶でも取りに行こうか。そう斑目が思ったとほぼ同時のことだった。コンコン、と窓を叩く音がする。見てみれば先程の幽霊とはまた別の霊がそこにふわふわ浮いている。この霊もまた、何かを持っているように見えた。
「先生~!」
「はいはい、何の用だい」
「うちわ! 見て見て!」
「……」
この霊のうちわは、金魚と波紋が描かれているうちわであるようだ。赤と黒の金魚の対比が美しい。そういえばこれによく似たうちわも持っていたようなきがする、と斑目は記憶をたぐる。たしか実家にあったような、もしくは自分がもらったものを実家に送ったような……。
それはそれとして、霊だ。この霊も先程の霊と同じ思考なのだろうか。斑目は、軽くため息を付いてからこう言った。
「君も俺のところに見せに来るんだね……」
「他にもいたの?」
「いたよ。たったさっきまでいた子がね」
「くそー、先を越された!」
霊が悔しそうにうちわを振った。霊向けのうちわが、斑目の家のガラス窓を何度かすり抜ける。壊れたりはしないとわかっているのだが、どきりともしてしまう。
しばらくそうしているうちに、霊の悔しさもおちついたらしい。「ありがとう先生」と言って霊は去っていった。振り向ことなく、ふわふわと。
斑目は冷蔵庫から麦茶を取り出し、グラスにそそぐ。そうしてグラスを手に仕事部屋に戻り、椅子に腰を下ろした。二度あることは三度あるとは言うけどねえと斑目がつぶやいたと同時に、ふたたび窓が叩かれた。それも、元気よく。
まあ大体何が叩いているのかはわかる。霊だ。この霊もまたうちわを持っているらしい。霊がうちわをこちらに向けているおかげで、その絵柄がよくわかる。盆踊りをモチーフとした人物画。これもまた、夏祭りで配られている印象をうけるうちわだ。
霊は斑目がうちわを見ていることに気づいたのか、元気よくこう言った。
「先生ー! うちわー!」
「はいはい、かわいいね」
「先生感情こもってない~!」
「似たような自慢してくる幽霊、君で三人目だからね」
「さ、先を越された……!」
霊ががっくりと肩を落とした。だがすぐに元気になったのか、「みんなにも自慢してくる」などと言う。霊は斑目に手を振って、ふわふわとその場を後にした。
手を振る霊に手を振り返しながら、斑目は考える。今日はやけにうちわを持った霊が家に来る。しかも全員自分に自慢しに、だ。後者は別にいいのだが、なぜ霊たちがうちわを持っているのだろう? 何かあるのだろうか?
斑目は麦茶を一口飲んだ。思考を広げるにも一旦止めるにも、別の行動をしたほうがいい。
そうして一旦思考をリセットした斑目は、また窓の外に誰かいることに気づいた。幽霊だろう。しかも、
「先生、先生」
「君の用件もうちわかい」
先程の幽霊たちと似たような用件の。
この幽霊が持っているうちわの絵柄が少しだけ見える。花火の絵のようだ。デフォルメされた打ち上げ花火と夜空の絵。これもまた、見覚えのあるような印象を受ける絵だ。こんなにもうちわを持った霊が自分の家を訪ねてくるのだから、本当に霊向けの何かがあるのではないだろうか?
「え、なんでわかるの!?」
「君で四人目だからね」
「みんな先生に自慢しにいくのかぁ~」
四人目の霊が帰った後、斑目はグラスに残った麦茶を飲み干した。そうしてため息を付いて椅子に腰を下ろす。ナイが一つ目を細めながら、「おつかれさまです」と声をかけてきた。彼はそのまま続けて、思ったらしいことを口にする。
「今日はやけに自慢しに来る幽霊が多いですね」
「これは……どこかで幽霊向けにうちわが配られているのかもしれないね」
「なるほど……そうかもしれませんね」
斑目が出した結論が、それだ。
ここからは予想である。人間が夏祭りをするように、幽霊や怪異のたぐいに向けた祭りももちろんある。その祭りの宣伝か、あるいは祭りがすでに行われているかでうちわが霊向けに配られているのだろう。
そして、祭りの主催者である怪異がいると仮定する。その怪異は祭りを盛り上げるために、宣伝をした。その手段がうちわを配るという形である。斑目は例のうちわの裏側は見ていないが、裏側に祭りの要項が書かれていてもおかしくはないはずだ。その要項を見た幽霊のうちの何人かは、祭りに興味をもつことだろう。そうして祭りへ行く幽霊や怪異が増え、祭りがもりあがる。
そこまで思考を広げた時点で、斑目はナイと視線があっていることに気づいた。ナイは一つ目を瞬かせて、こうきりだした。
「それにしても」
「どうかしたかい?」
「先生はあの幽霊たちに好かれているのですね」
「……」
そう言葉を交わしたとほぼ同時に、窓の外からノックの音がした。
「先生ー!」
どうやらうちわを自慢しに来た霊は、四人では終わらなかったらしい。
どこか楽しそうに浮いている五人目の姿を眺めながら、斑目はつぶやいた。
「そうみたいだね」
なんだかんだで、悪い気はしない。斑目はそう思いながら五人目に話しかけた。
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