Day7 天の川

「先生、今日は七夕だそうですよ」

「あー……そういえばそうだったね」


 ナイの言葉に、ぼんやりとした調子で斑目はつぶやいた。

 その調子のまま、窓の外を見る。空には重たい雲が広がっている。天気予報アプリによれば、夜は晴れるとのことらしい。マンションから行き来する人々は、みんな傘を持っている。この空模様では仕方のないことだろう。

 しばらく外の様子を観察していると、ナイが声をかけてくる。

 

「先生、もしかして日付感覚が狂っていらっしゃるので?」

「カレンダーを見るなりしたら把握できるから大丈夫だよ」

「本当ですか……?」

「え、信用ないのかい」

 

 ナイの何とも言えない視線に、斑目は一瞬たじろいだ。本当に信用ないのだろうか。おかしい。締切はちゃんと守っているし、ナイもその様子を見ていたはずだ。自分が電話口で季節の会話をした様子を、ナイも見ているはずなのだが。

 それに今日が七夕であることは理解している。家に笹飾りを用意しようとしないとか、スーパーで売っているちょっとした七夕スイーツを買いに行かないとか。季節のイベントを無視した生活を送っているだけで。そういえば最後に季節のイベントにちゃんと沿ったことを行ったのはいつだったか。一年前のクリスマスか……?

 思考の海が広がろうとする前に、斑目ははっとした。よくよく見れば、さっきからずっとナイの一つ目から何とも言えない視線が送られている。これは、話題を変えた方がいい。軽く咳払いをして、斑目はこうきりだした。

 

「夜は晴れるみたいだね。天気予報によると、だけど」

「なるほど。晴れた夜空、きれいなのでしょうね」

「そうだね……」


 ナイのなんとも言えない視線が緩和されたことに、斑目はほっとした。

 それはそれとして、空だ。夜は晴れるとのことだが、本当に今の空模様で晴れてくれるのだろうか? 天気予報アプリを信用していないわけではないが、少しだけそう思ってしまう。一方で、夜は晴れると確信しているふしもある。だから、斑目はナイにこういうのだ。


「そうだ、今日は夜に怪異談義といこうか」

「ああ、それはいいですね」

「夢喰といえば夜でもあるしね……いや、君は夢喰のようなものだけど」


 ◇


 斑目の家のベランダ、時刻は午後九時前。そこから見えるマンションの入り口付近は、人の行き来も少なくなっている。

 空は快晴。昼間の曇り空はどこへやら、星々が瞬いている。斑目は空を見上げた。満天の星空の合間を流れるように、星の川が流れている。天の川だ。「ここからでも十分見えるね」と、斑目は小声で言った。隣でナイが、感嘆の声を漏らす。 


「すごく、きれいですね」

「そうだね。予報通り晴れてよかった」


 室内からアウトドアチェアを持ち出して、ベランダに置く。もう一度室内に戻って、今度は怪談まとめファイルから、一つの怪談を取り出した。それを手に、斑目はベランダへと戻る。フェンスの上に器用に座ったナイの視線を受けながら、その近くに置いたアウトドアチェアに腰を下ろした。

 

「さて、怪異談義といこうか」

「そうですね」


 ゆっくり深呼吸をして、斑目は語りだす。


「これもまた、聞いた話。いつかの七月七日の話だそうだ」

「なんと、今日にぴったりの話なのですね」

「その日、その人たちは森で肝試しをしようとしていた。曇っていたこともあり、あたりは妙に暗かった……らしい」


 森。肝試しの定番だ。森に行ったら儀式のような痕跡を見ただとか、よからぬものに出会ってしまっただとか。そのような怪談を、斑目はいくつか知っている。森にはそういうものが棲む土壌ができているということだろう。実際にどこかの森を調べてみれば詳細がわかるかもしれないが……今は、そういう風に思考を広げている場合ではない。

 軽く咳払いをして、斑目は言葉を続けた。

 

「その森では何かが祀られているらしく、その人たちはそれを見に行く気だったらしい」


 先程斑目が考えた例でいうなら、前者が近いだろう。森に残された儀式の痕跡。何かを祀っている痕跡は、知識のない人間が見たら儀式と同一視される可能性がある。

 とはいえこの怪談、人から聞いた際もはっきりと『祀られている』と言われていた。斑目が思うに、この怪談の中心人物たちの中には舞台となった森を知っている人間がいたということだろう。その人物が主体となって、この肝試しは行われた。


「複数人でグループを作って、順番に森の奥へと行って……の、繰り返し。しばらく時間が経って、その人たちの番になった」


 斑目は話を続ける。意識的に、少しだけ声のトーンを落とした。


「その人たちも森の奥へと行ってみたけど、祀られているなにか自体は見つからなかった。けれど……」

「肝試し、ただでは終わらなかったということですか」

「そうだったらしいよ。さあ戻ろう、としたとき……彼らは後ろから何かがついてきていることに気づいた」


 この話をひとづてで聞いた時、斑目は率直に『案の定だなあ』と思った。実際そうである。何かがいるらしい森、何かが祀られているらしい森に肝試しという形で足を踏み入れて……何も起こらないはずがない。

 だから、怪談として自分のもとに話がやってくるわけだが。そう思いながら、斑目は話を続ける。声のトーンは落としたままで。


「なんだろう? と思うけれど、後ろを振り向く気にはならなかった。そのまま真っすぐ歩くことにした。空に浮かぶ天の川を目印にして」

「目印があると安心するものなのでしょうね」

「そうして歩いて森を出ると……」


 斑目は手元の資料から一瞬だけ目を離して、空を見る。天を流れる天の川が、さらさらと音を立てているように思えた。瞬く星々が、なにかの導であるようにも思えた。きれいな夜空である。七夕の日にふさわしく、この怪談にもふさわしい。

 そうして、もう一度聞き手に向き直って話を続ける。瞬かれるナイの一つ目が、斑目には星のように見えた。

 

「空は曇っていた。待っていた仲間に聞いてみても、ずっと曇ってたと言う」


 思わず、斑目もナイももう一度空を見た。昼間のような雲は一切ない。あいかわらず澄んだ星空が広がっている。

 この怪談の中心人物が見た不思議な天の川も、この空に浮かぶものと似ていたのだろうか? 先程斑目は、星々が導のようだと感じた。その印象通りの空と同じ空を、怪談の中心人物たちも見ていたのだろうか? 答えは分からない。だが、わからなくてもいい。不思議な話とはそういうものだから。

 話ももうそろそろ終わりだ。斑目は小さく息を吐いてから、締めとなる言葉を紡いだ。

 

「それから、ついてきていた何かは、いなくなっていた」

 

 以上、今日のお話。そう言って斑目はナイに向けて一礼した。

 その様子にうんうんとうなずいたナイが、おもむろに口を開く。

 

「加護、でしょうね」

「加護ねえ」

「何らかの怪異の加護でしょう。その森には清らかな怪異が棲んでいたのかもしれません」

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