Day5 線香花火

「先生、それは?」

「編集さんからもらったんだ」


 外出から帰ってきた斑目がナイに見せている袋は、線香花火のパッケージだ。

 今日は月一の対面の打ち合わせの日だ。出不精の斑目を外に出す目的で出版社が設定しているものである。一応日用品の買い出しとかで外にはでているとは斑目の弁であるが、出版社には信用されていないようだ。

 今回の打ち合わせで出た話自体は、今書いている原稿のことやどこかの雑誌への短編の寄稿の話などが主軸であった。しかし、斑目の思考は最後に編集が取り出したとあるものに持っていかれてしまった。それがこの線香花火である。夏ですから、先生も夏を楽しむといいかもしれませんよと言われて渡された。

 斑目の担当編集は真面目な人間である。その人間が謎のユーモアを発揮してきたのだ。少しばかり動揺するのも仕方がない。

 それはそれとして、もらった以上はその好意を無下にする訳にはいくまい。そういうわけなので、斑目は今どこで花火をするかということを考えている。


「まあ、やるとしたら広いところでかな……」

「先生の家のベランダは……狭いですね」

「そもそも花火禁止なんだよね、ベランダ」

「そうなのですか」

「やるとしたらあそこでやるのがいいかな」

「あそことは?」

「近くに公園があるんだ。そこがいいかなって思ってね」

「なるほど」


 昼間は子供や休憩中の大人が利用している公園。斑目も何度か行ったことがある。その時はベンチに腰掛けてタブレット端末でできる作業をしていた。たしか締め切り直前で大変だったような記憶が……というところまで思い出して、斑目は頭を抱えそうになった。これに関しては思考を広げない方がいい。絶対に。

 我に返った斑目は、線香花火を眺めながらつぶやく。


「さて、今日花火するつもりなんだけど。よかったら来るかい」

「ぜひご一緒したいですが……今日されるのですか?」

「鉄は熱いうちに打て、っていうからね。それに……」

「それに?」

「今やっておかないと絶対忘れるからね……」

「ああ……」

「自慢じゃないけど、俺はこれまでいくつもの花火をだめにしてきてるからね……」

「先生……」

「みなまで言わなくていいよ……」


 大半は貰い物であるが、斑目は過去に花火を持っていたことはある。あるのだが、いかんせん斑目は出不精だ。それにマンションのベランダは花火禁止である。外に出て花火をするという思考に至らない斑目は、時間の経過とともに花火をだめにしてきた。これまでいくつの花火をだめにしてしまったのか、ゴミにしてしまったのか。深く考えると頭を抱えてしまうので、斑目は思考をそこで止めておくことにした。

 それから、今回は一人と人には見えない一匹で花火をしてみるが……次回以降があったら編集なり弟なりを巻き込むことも視野に入れようと、思った。


 ◇

 

「結構人がいますね」

「先客のようだね。あれは……置き花火かな」


 そうして夜、八時を過ぎたあたり。斑目はナイを連れて、公園へとやってきた。入り口の柵を横目に、公園の敷地に足を踏み入れる。

 公園には彼らが思っていたより人がいた。家族連れが複数組、公園で花火を楽しんでいる。彼らが持ち込んでいる花火は、ホームセンターやコンビニで見るようなタイプのものだろうか? 遠目ではカラフルなパッケージだけが確認できる。それから、十分なスペースを必要とするタイプの置き花火もいくつか持ち込まれているようだ。なるほど、大人数で楽しむのに向いている花火か。斑目は一人で勝手に納得した。

 まずは一旦公園の中央へ移動しておこうと、斑目は歩き出す。一応確認してみるが、周囲に霊的に変な気配はない。

 

「怪異猫の気配もないようですね、よかった」


 ナイの言葉は、心底安心しているような声色だった。彼が怪異猫にどう襲われたかは知らないが、傷は数日そこらで癒えるものではないのだろう。肩に乗せているナイを撫でながら、斑目は心からの言葉をつぶやいた。

 

「いつか克服できるといいね」

「……ありがとうございます、先生」


 ナイの言葉に、斑目は小さくうなずいた。そうして周囲の様子を改めて確認する。公園の入口付近、砂場の近くの広めの空間に人が多いようだ。そもそも彼らは複数人で来ているのだから、そういう場所に陣取るのは当たり前のことだろう。先程見たように、置き花火といったものでも遊んでいるのだからなおさらだ。

 だとすれば、自分たちのような一人と人には見えない一匹が花火をするのにふさわしいのは、こういう場所だろう。人が多い場所の反対側、人がいない場所に斑目とナイは向かった。街灯が暖かな光を放っている。そして、すぐ近くの水道でバケツに水を汲む。空だったバケツがずっしりと重さを持った。陣取りのように置かれているろうそくの近くにバケツをおろし、斑目はライターを取り出す。

 そうして、ろうそくに火が灯される。炎が少しだけ揺れたが、風はないようだ。それなら風よけは必要ないだろうと、斑目は風よけを取ってバッグにしまった。

 ではお待ちかねのものの出番だ。ナイの一つ目が見守る中、斑目はパッケージから線香花火を一本取り出した。線香花火の先をろうそくの火に近づける。ちりちりと小さく音がして、花火に火がつく。

 小さな火の玉が小刻みに震えている。しばらくそれを見守っていると、唐突に火花を散らしはじめた。久々に間近で線香花火の火花を見たような気がするね。斑目はそうひとりごちた。

 そうして再び、火花を見守る。火花の量は先程から増え、四方八方に枝を伸ばすように弾けている。星がまたたたいているかのようだ。そう、斑目は思った。


「きれいですね」

「そうだね」


 ナイに相槌を打つように、斑目はつぶやいた。

 それと同時に、周囲の温度が下がったような気がした。何かいるようだ。だが、気配はするがその姿は見えない。斑目は周囲を探るように見回した。

 すると、背後から声がする。


「きれいだ」

「きれいだあ」

「きれい……」


 それは複数人の声だった。無害とも、清らかともとれる気配が感じられる。声と同じく、複数人の気配だ。彼らは口々に「きれいだ」と言っている。その姿はやはり見えないが、花火の周囲をくるくると回っているのではないかと思えた。すぐ近くにあるろうそくの日が、ゆらゆらと揺れている。

 しばらくして彼らの気配は、空中に溶けるようにして消え去った。斑目が手にしていた線香花火が燃え尽きたのは、それとほぼ同時のこと。

 再度あたりを見回して、斑目はつぶやくように言葉を発した。

 

「今のは……」

「自分には見えませんでしたが、どうやら見物の方がいたようですね」

「あー……そうなのかもね」


 ナイにも見えていなかったのか。そのことに斑目は驚く。つまるところ、さきほどの見物客たちは怪異にも姿を見せずに花火を見ていたようだ。ざっくりというならば、お忍びということだったのだろう。正しくはどうなのかはわからないが、自分の中ではそういうことにしておく。斑目はそう結論付けた。

 そうして、斑目はもう一本を取り出す。しばらくそれを見つめ、おもむろに火をつけた。線香花火がまた火の玉を作り、火花を弾けさせる。

 その場には少しだけ温度が下がった空気が残っている。それに少しだけ身震いして、斑目は穏やかな声色でつぶやいた。

 

「花火、きれいだしね」

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