第7話 最終日

 最終日の待ち合わせ場所は、咲空の家の近くにある小さな公園だった。遊具は少ないが、小さな花壇の手入れが行き届いている気持ちのよい公園だ。木製のベンチが並んでおり、その一つに人影がある。


「あれ?早いな」


 今日は咲空が先に待っていた。時間を間違えたのかと、スマホで時間を確認するが、待ち合わせ時間はまだ先である。

 咲空はこちらに気がつくと、ベンチから立ち上がり、走りよってきた。後ろで一つに束ねた髪が風でなびいている。


 走ってきた勢いを制御できなかったのか、俺の前で咲空が転びそうになるが、なんとか受け止めた。


「咲空って意外とそそっかしいんだな」


何かデジャブだ。昨日もこんなことがあった気がする。


「っ、ごめん!」


 赤くなった咲空が俺から離れる。昨日の咲空の告白があったからか、今回はなんだか俺も恥ずかしかった。


「き、今日の目的地はどこなんだ?」

 なんとか気恥ずかしい雰囲気を終わらせたくて、俺は咲空に尋ねた。いったい今日は何を計画しているのか。


「今日の目的地は私の家です!」


咲空は元気よく答えたが、俺は一瞬思考が停止してしまった。


「咲空の……家?」

「そう。私の家。お母さん今でかけてるし、自由に過ごせるから」


それなら余計に駄目な気がする。


「え、でもこんな、彼氏でもない男を家にあげるなんて……」

「和哉だからいい。許す」

「いや、別に家じゃなくてもいいんだぞ?なんならこの公園でも……」


 何とか逃げ道を探そうとする俺を見て、咲空は口をむくらませている。


「せっかく準備したのになぁ。悲しいなぁ。私の計画、付き合ってくれないの?」


 咲空が試すような口調で俺につめよる。

 咲空が計画を変えそうもないことを悟った俺は、ひとまず抵抗を諦めた。


***

 

 心の準備をする間もなく、咲空の家に着き、その外観を見上げる。

 人の家で遊ぶなんて小学生ぶりかもしれない。なんだか緊張する。俺がそわそわしていたのか、咲空が吹き出して笑った。


「あははっ、和哉緊張しすぎ。大丈夫だって!私しかいないよ?」


そういって咲空はまた大笑いする。どうやら俺の緊張した顔がツボだったらしい。


「笑いすぎ」

「ごめん、ごめん」


  咲空の家は、白を基調とした上品な一軒家だった。玄関には、小さい頃の咲空と兄弟の写真が飾られている。


「こっちの部屋だよ」


通されたのは、咲空の部屋だった。シンプルだが可愛いらしいその部屋は咲空のイメージ通りだ。


「和哉、私が一日目に渡した手紙持ってる?」

俺に背を向けて咲空が尋ねる。

「ああ、持ってるけど、どうかしたか?」

「じゃあ、これと交換して?」

「え?」


咲空が渡してきたのは、前と同じ封筒に包まれた手紙だった。


「最新の感謝を込めて書き直したの。こっちの方が、今の私の気持ちだから。あ、条件は健在ね?」


条件―今日が終わるまでこの手紙は読まない。ただし、俺が暇な時間があったら読んでもいい。あの不思議な条件だ。

「……わかった」


 一瞬、咲空の表情に元気がないような気がして、少し気がかりだったが、その後の咲空はいつも通りだった。


***


「じゃーん。どっちが観たい?」


 そう言って咲空が見せてきたのは映画のDVDだ。


「借りてきたんだー。こっちが恋愛もので、こっちがホラー」 

「なんでそんな両極端な……」

 

 ホラーはそこまで得意じゃない。だが、そんなことは咲空には知られたくなかったので、あくまで平静を装った。


「だって、和哉の好み分かんなかったし……

とにかく!どっちにする?」

「俺が選んでいいのか?」

「んー、普通に選んだら、つまんないよね。じゃあ、私が後ろでシャッフルするから上か下かで答えて」


ホラーになりませんように。


「はい、どっち?」

「んー、下」

「じゃあ、こっち!」


 選ばれたのが恋愛ものだったことに安堵していると、咲空が面白いことに気づいたとばかりに俺を見てくる。


「ほっとしたんだ?ひょっとして、ホラー苦手?」

「そ、そんなことない」


 動揺が声に表れてしまったが、咲空はそれ以上からかってこなかった。


 映画は、大学生の純情な恋物語だった。俺自身、あまり恋愛ものを観たことはなかったこともあり、何だか新鮮で楽しかった。

 今まで遠くに感じていた恋愛が、今は近く感じている気がする。咲空と話すようになってからかもしれない。


「咲空、どうだった?」


 エンドロールが終わり、テレビ画面がメインメニューに戻る。切ないテーマ曲が流れる中で、咲空は呆然と画面を見つめている。


「咲空?」


 映画に感動しているのかとも考えたが、明らかに様子がおかしい。


「咲空、大丈夫か?」


 顔の前でひらひらと手を振ると、彼女は、はっとしてこちらをみる。


「……ごめん!ちょっと余韻に浸ってた」


 咲空はテレビの電源を落とし、「何か、お菓子ないか見てくるね」と言って、立ち上がろうとする。


―ガタン!!


 しかし、立ち上がった瞬間に、彼女は倒れてしまった。うつ伏せになったまま、起き上がらない咲空。一瞬、心臓が止まる心地がした。


「咲空!?咲空!!」


 懸命に名前を呼ぶが、咲空に反応はない。


もし、息が無かったら―


 焦りに震える自分を落ち着けて、彼女を仰向けの体勢に変える。


 彼女は息をしていた。どうやら眠ってしまったようで、静かに寝息をたてている。安堵のため息をつき、どうするか考える。

 とりあえず、ベッドに運ぶべきだろう。


「……咲空、移動するぞ」



 抱き上げようと、腕に力を入れるが、その必要もないくらい咲空はふわっと持ち上がった。力を加えると今にも壊れてしまいそうで怖い。眠っている咲空の目の下にはクマが出来ていた。


 咲空をベッドに寝かせると、後ろに結った髪が邪魔にならないかと気になった。彼女の細く柔らかい髪の毛が引っ掛からないように、慎重にほどくと、俺は側に腰かけた。

 

 咲空は、ずっと寝不足だったんだろうか。この三日間の疲れが出たのだろうか。知らず知らずのうちに負担をかけてしまっていたのかもしれない。そんなふうに思案しているうちに、俺まで眠ってしまいそうになる。


 咲空が寝ている間、どうしよう。今日は何も持ってきていない。

 そういえば、この三日間は、俺が何をするか考えたことはなかった。全部、咲空がリードしてくれていた。俺の好きそうなことを考えて、沢山準備してくれた。

 もしも、これが、恋人どうしのデートだったなら、その役目は俺が担うべきだったんだろうな。そんなふうに柄にもないことを考えたのは、さっき観た映画のせいだろう。


 すっかりやることがなくなった俺は、ふと、咲空との話を思い出す。


―「暇な時があったら、読んでもいいよ」


 咲空からもらった手紙。不思議な条件が今、クリアされてしまっている。読んでもいいんだよな。そう思いつつ、咲空の寂しそうな表情が思い出されて、躊躇する。何か良くないことも書かれているのかもしれない。そんな思いが一瞬よぎって怖くなる。


 しかし、俺は読むことを決意した。不思議な条件には何か意味があるのかもしれない。


 そうして、ゆっくり開いた手紙に書いてあったのは、やはり感謝だけではなかった。

 感謝とともに告げられた事実を、俺はなかなか受け止めることができなかった。

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