第5話 二日目 (後編)
「中学2年の夏。吹奏楽のコンクールに出たんだ」
嫌な記憶が押寄せてきて、すぐに次の言葉を探せなかった。それに気づいたのか、咲空は微笑んで「大丈夫。ゆっくりでいいよ」と言った。
おかげで、少し冷静さを取り戻し、話を続ける。
「俺の中学は吹奏楽の強豪校だった。夏のコンクールでは全国大会に行くのが当たり前だっし、俺達が出場した年も、絶対行けるって言われてた。
コンクールで俺はトランペットのソロを任されてたんだけど、それはオーディションで先輩から勝ち取った役目だったんだ。
でも……
本番で音が出なくなった」
―あの沈黙の時間を俺は忘れられない。
「頭が真っ白になった。それでも、続けなきゃと思って途中から立て直したんだけど、ミスはミスだ。結局、その年全国には行けなかった。誰も何も言わなかったけど、確かにあれは俺のせいだった。
曲が終わった瞬間も、顔をあげられなかった。部員や顧問、客席からの冷たい視線が飛んできている気がしてた。そのときの感覚が今も離れない。
その時思ったんだ。俺の失敗が消えてしまえばいいのにって。俺がみんなとコンクールを目指したことも、俺のせいで全国に行けなかったことも全部無くなってしまえって」
「でも、消えたのはみんなの中の俺の記憶だった。コンクールの次の日、退部届を出しに行ったら、顧問も他の奴等も俺が部員だったことを覚えてなかったんだ。最初はただの嫌がらせだと思った。その日だって、無理やり退部届を置いて帰ってきたし。
でも新学期が始まってわかったんだ。みんなの中に俺の記憶が残らなくなってること。いつもつるんでた奴等も俺の名前しか記憶してなくて、そこから関係値が戻ることはなかった。
自分の失敗にちゃんと向き合えなかった罰なんだろうな。実際、あのコンクールでの失敗を覚えてるのは俺だけだし。ほんと、皮肉だよ」
「和哉は……」
ずっと黙りこんでいた咲空が静かに口を開く。
「その体質が憎くなるくらい、誰かに覚えていてほしいって思ったことある?」
咲空の声は震えている。
「え……?」
「和哉にとって苦しいその記憶がみんなのなかに戻ってでも、自分との記憶を忘れないでいてほしい人はいる?」
忘れてほしくない人。そんなことは考えたことがなかった。
「……今はいないかな。もうこの体質には慣れたし、あのトラウマも必要以上に思い出さなくてすむ。それに俺のことは咲空が覚えていてくれるから、大丈夫」
「……そっか」
咲空の声に明るさが戻り安堵したが、その表情は想定していたものではなかった。笑顔を作ってはいるが、彼女の目には涙が浮かんでいる。
「……だ、大丈夫か?」
思わず声をかけると、咲空は焦って涙をぬぐう。自分でも泣いているのかわからないようだった。
「大丈夫。気にしないで」
少し沈黙した時間が続く。それを打破したのは咲空だった。
「そうだ!次は和哉が私にわがまま聞いてもらう番だよ。何をお望みですか?」
楽しそうに聞いてくる咲空の目は、まだ少し赤い。
「じゃあ、聞きたい。咲空は何で俺を遊びに誘ったんだ?」
「え?」
「なんで俺だったんだ?」
何故か咲空の顔が赤くなっていく。
「そ、そんなの、察してくれてるかと思ってたのに」
残念ながら俺に女心とやらはわからない。首を傾げていると、咲空がむっとした顔をして立ち上がり、俺のとなりに座った。
「咲空さん?」
怒っているのかと隣に目をやると、咲空は眼鏡を外して俺を見つめている。さっきまでは机を挟んでいたからか、すごく近く感じた。咲空もそう感じたのか、より赤くなっている。たぶん俺も赤くなっているのだろう。顔が熱い。
反射的に二人とも顔を反らす。顔の火照りがおさまるのを待っていると、隣で咲空がつぶやいた。
「好きだから」
その言葉に、もう一度隣に視線を戻すと、咲空は下を向いたまま続けた。
「和哉のことが気になってて、ずっと仲良くなりたいって思ってた。でも、和哉は他人と関わりたくないって感じだったでしょ?休み時間は、ずっと勉強してるし、放課後は一瞬で帰っちゃうし、全然話せなかった。だから夏休み前最後のあの日、放課後に珍しくボーッとしてた和哉見て、今しかないって思ったんだよ」
咲空はずっと俺と話す機会をうかがっていたのか?そんなの気づくわけがない。学校での咲空はクラスの人気者、それに対して俺はクラスの底辺で誰とも関わりをもたないひねくれもの。
そんな二人が交わることなど容易に想像できることではない。
「鈍感な和哉は、気づけなかったのかな?」
咲空は、いじわるな笑顔を浮かべている。まだ、頬に赤みが残っているが、今度はしっかりと俺の目を見ている。
「……俺、そういうの初めてで、よくわかんないんだけど……、これって俺も答えたほうがいい?」
「ううん、今はまだいい。もっと私を知ってから答えをだしてほしいから。」
「……そうか」
咲空が俺に恋愛感情を抱いているとは思わなかった。対する俺自身も、そんな風に彼女を見ていたわけではないはずなのに、鼓動が速くなっているのを感じる。
―俺は咲空が好きなのだろうか。
いや、こういうことは勢いで決めつけるべきではない。咲空も俺の答えを求めているわけではないのだから、すぐに答えを出す必要はないはずだ。
「じゃあ!この話は終わり!宿題しよ!」
宿題を再開した後、咲空はいつも通りだった。たまに、俺に質問をすることもあったが、それ以外は集中して問題を解いている。
しかし、俺は今までの人生で一番、勉強に集中できない時間だった。
同じカフェに勉強で長居するのは悪いので、俺たちは咲空が調べていた3軒目のカフェに移動して宿題を続行した。そこではあまり会話はなく、お互いに黙々と課題に取り組んだ。
***
解散場所である駅に着くまでは、歩きながら少し話そうということになった。
「今日はありがとね。和哉のおかげで、宿題めっちゃ進んだよ」
「よかったな。咲空はこういう機会がないと、ギリギリまで宿題溜め込みそうだもんな」
「え!なんでばれてるの!?」
「今日、初めて宿題に手をつけたって感じだったから。もう夏休みも中盤だぞ?」
「うぅ……。じゃあ、今度また一緒に宿題しよ」
「そんとき、俺は宿題終わってるかもな」
些細な会話も、咲空とならすごく楽しい。俺はそう感じ始めていた。
今までは、他人との会話は基本事務的にこなし、深く踏み込まないようにしていた気がする。忘れられても傷つかないように、知らず知らずのうちに自分で自分を守っていたのかもしれない。
俺は自分が思っていた以上に、この体質である事実を受け入れられていないのだろうか。咲空が言っていた言葉が今になって引っ掛かっている。
―「その体質が憎くなるくらい、誰かに覚えていてほしいって思ったことある?」
もしも咲空がみんなと同じだったら俺はそう思ったんだろうか、ふと、そんなことを考えながら、二日目は終わりを迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます