第3話 一日目
夏休みも半ばに入った頃、文月さんとの約束の三日間が始まった。
一日目の待ち合わせ場所は、学校の最寄り駅だった。朝8時。駅前のカフェは朝飯時だからか、多くの客で賑わっている。美味しそうな匂いがこちらまでただよってくるようだった。
「あれ?もうお腹すいた?」
少しからかいまじりの楽しそうな声。
「文月さん!?いつの間に……」
驚いてどぎまぎしている俺を、文月さんは面白そうに見つめる。本当に来てくれた。
私服だからなのか、学校とはまた雰囲気が違う。ふんわりとしたロングスカートが、清楚でおとなしい。
「早いね、佐々原くん。まだ待ち合わせ20分前なのに」
「別に。文月さんを待たせたら悪いと思っただけだよ」
その言葉に、文月さんは「んー……」と何か考え込んでいる。
「文月さん……?」
何か悪いことを言ったかと思案するも、女子との関わりが少ない俺には難しい問題だ。まあ、最近は男子との関わりもないのだが。
「佐々原くん、一つ提案があります!」
何かいいことを思い付いたらしく、さっきまでの険しい顔がすっかり消え、彼女は笑顔を浮かべている。
「この三日間、気兼ねなく過ごせるように、お互い三つまで相手にわがままを言えるっていうのはどう?」
「三つってことは、一日一個ってこと?」
「そう!こういうのあった方が楽しくない?どうかな?」
「まあ、別にいいけど……」
文月さんが楽しそうなら、それでいい。
「じゃあ、早速一つ目を使おうと思います。」
「え、もう!?」
「この三日間は『文月さん』禁止令!
『文月さん』ってなんか遠いから。『
「そんな、いきなり下の名前……」
言いかけて、諦めた。文月さんがきらきらした目で見てくるからである。
「……わかったよ」
そして、反射的にこたえる。
「じゃあ、ふ、いや、咲空も、俺のこと……」
―「和哉」って読んで。
言いかけて、何か間違えた気がした。これは違う気がする。
「いや、やっぱ普通に『佐々原』で……」
訂正しようとする俺を遮って、咲空は答えた。
「一つ目のわがまま、承りました!」
「え?」
「和哉!行こ!」
そう言って彼女は俺の手を引いていく。
この体質になってから、誰かと深く関わることを嫌っていた。どうせ忘れられてしまうなら意味はないと諦めていたのかもしれない。自分にしか残らない大切な思い出が出来るのが怖かったのかもしれない。
しかし、今、無邪気に俺の手を引いていく彼女の後ろ姿をみていると、そんな自分を忘れてしまいそうなほどに、今この瞬間を楽しみたいと願う自分に気づく。
彼女は本当にみんなとは違うのだろうか。
***
電車で向かった先は、動物園だった。そういえば、この三日間の目的地を俺は知らない。知らされるのは、待ち合わせ場所と時間だけだ。 咲空によると、サプライズの方が楽しいかららしい。
「小学生以来だな」
懐かしい看板を見ながら、つぶやく。
「ほんと?私も小学生の時、遠足で来た。人混みに流されちゃって、仲良しの子とはぐれちゃったんだよね。全然、合流できなくて。それから、一人で冷たくなった弁当食べた寂しい思い出……」
少し悲しげな横顔に、
「弁当は基本冷たいんじゃない?」
と少しからかってみると、咲空はむっとしてこたえた。
「いいの!悲壮感、増すでしょ?」
「じゃあ、今度は楽しい思い出にしなきゃだな」
そう言うと、なぜか咲空は一瞬赤くなって、嬉しそうに頷いた。
エントランスを抜けると、一気に賑やかになる。小さい子供連れが多く、はしゃぐ子供たちの声が響いている。
俺たちは、順に園内を周った。久しぶりの園内は、展示の仕方が変わっているものも多く、新たな気持ちで楽しむことができる。
そして、昼時には園内にある小さなレストランに入った。立地が悪いのか、客はあまり入っていないが、静かで落ち着いた雰囲気の店だ。子連れはみんな、メイン広場のフードコートを利用するのだろう。
「和哉、ふれあいコーナーでうさぎにめっちゃびびってたね」
咲空が面白がってけらけら笑う。
「だって、だっこしてるときに急に暴れて蹴ってくるかもしれねーじゃん。爪とか意外とするどいし」
いつの間にか、咲空とも普通に話せている。きっと彼女のフレンドリーさゆえだろう。学校ではあり得ない状況だ。
注文した料理が席に届くと、咲空は目を輝かせて嬉しそうにしていた。
頼んだオムライスを美味しそうに頬張る彼女を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになる。
昼食を終え、席を立とうとすると、咲空に引き留められた。
「ちょっと待って。私、和哉に渡したいものがあるの」
急に真剣な表情になった咲空に、少し緊張をおぼえたのとは裏腹に、彼女が差し出してきたのは手紙だった。シンプルだが可愛らしい封筒に包まれている。
「そんな身構えないでよ。この三日間に付き合ってくれる感謝を書いただけ」
「あー、そういうことか。サンキュ」
少し安堵しつつ、封を切ろうとすると咲空が俺の手を遮った。
「まだ見ちゃダメ。この三日間が終わってから読んでね。何か恥ずかしいし」
「……そっか。でも、気になるな」
今じゃダメか?と視線を送ると、咲空は何か考えたあと、俺の目をみつめてこう言った。
「じゃあ、暇な時があったら読んでもいいよ?」
「暇?」
「うん。でも、絶対暇になんてさせない!私、頑張って和哉に楽しんでもらう計画立ててるから!」
不思議な追加条件に首をかしげつつも、やる気に満ちあふれている彼女をみているとそんなことはどうでもいいような気がした。
「……この条件は三つのわがままに入る?」
「入りません!」
いじわるに聞いてみた言葉を、彼女がすぱっとはねのけたのが面白く、思わず笑ってしまった。
レストランを出た後は、午前中に回れなかった残りのエリアを見てまわった。その間、咲空は調べてきた動物豆知識を披露してくれた。おかげで俺は動物園で充実した楽しい時が過ごせている。
だが、彼女が俺を楽しませようと奮闘する度に、どうして彼女が俺と出かけることを望んだのか、どうしてここまで俺のために頑張ってくれるのか、彼女の真理が気になるような気がした。
動物園の帰りの電車の中で、俺は寝てしまったらしい。そのことを咲空にひどくいじられた。
「和哉、すっごい船漕いでてさ、隣の席のおじさんの肩に寄りかかりそうで焦ったよ。おじさんびっくりしてたし。ちょっと面白かったけど」
「面白がるな。それに、そんな状況だったなら起こしてくれよ」
「いいじゃん。気持ちよさそうに寝てたし。起こすのかわいそうだったもん。それに結局、大丈夫だったでしょ?目覚めたのはおじさんの肩の上じゃなかったもんね」
いじわるに聞いてくる咲空はとても楽しそうだ。対する俺は、目覚めた状況を思い出して恥ずかしくなっている。顔が熱い。
俺が目覚めたのは咲空の肩の上だった。ずっと咲空に肩を借りていたらしい。
「その節は、どうも」
恥ずかしさで咲空の目が見れない。
すると、咲空は俺の顔を覗きこんで心配そうに尋ねた。
「明日も私に付き合ってくれる?」
「もちろん。約束だからな」
そうして、俺たちは解散した。夏の夜はまだ明るい。咲空は明日、何を計画しているのか。少し楽しみに思えた。
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