第18話 狼憑きと免罪符の男。あとタニモト




 お空きれい。

 Qは海月のように浮かんでいる。

 あたりに紙吹雪が舞っている。

「やはり本物のQだ」

 タニモト紙切れの一枚を手に持って眺めている。札ほどの大きさで、金色に輝くインクで、何か書き連ねてあった。文字だろうか? 印のような模様も見えた。


 その後、犬猫用のベッドで治療を受けた。後になって考えてみれば、これはQにしては破格のサービスだったのだが、それはいい。

 隣に寝たタニモトは【クベロンの免罪符】を説明して、

「魔術特区クベロン。魔術学会の前身となった都市です。Qさんはクベロンの名において、魔術に関するあらゆる罪を免除されているんです。契約魔術をご存じですか?」

「知らねえけど『指切りげんまん』みたいなもんか?」


 喋りながら俺は体の感覚を確かめる。

 Qの施術がどんなもんだったのかは謎だ。殆ど気絶していたというのもある。が、空気魔術をつかったのだろう。見ていても何が起こったのかは分からなかったに違いない。ギプスも手術痕もなく、外見上はどこをいじったのかまったくわからない。

 聞いた話によると、俺の体内には空気の塊が入っているらしい。そいつが骨を固定してくれているんだとか。ゴーレムを真空パックしたみたいに、俺の骨やら筋をピッタリ固定したらしい。しかも骨が治れば、吸収されて消えてしまうらしい。

 そんなこと物理的に有り得るのか? と思うが実際楽になっている。肩や腕も動いた。


「一応、助けてくれようとしたみたいだし、そっちのエルフが先生の関係者らしいから、特別で治療してあげてるんですからね」

 ミニスカの看護師は憎まれ口を言った。

 Qとタニモトの子孫はマジに知り合いだったらしい。

「カニザワの子孫を見殺しにするのも目覚めが悪いからね」

 とQ。室内でも大気スーツで全身をおおっている。

「滅菌服としても優秀だし、仕事に都合がいいのだよ」

 また俺の頭を読んだみたいにQはそう付け加えた。

 あとカニザワじゃなくてタニモトな。

「あの、Q……さん。僕の先祖とはどういう関係だったのですか?」とタニモト。

「先祖のオギワラから聞いていないのかね? なら私も言わない事にしよう。彼も考えがあってそうしたのだろうからね」

「いえ、僕も勘ぐるつもりはありません。あと僕はタニモトです」

「タニガキ」

「タニモト」

「そうかそうか、タカハシだった」

 歌うように繰り返してQは歩いて行ってしまう。スーツのせいで足音がしない。

「あれボケてんじゃねえのか?」

「そんなはずは。それでさっきの話ですけど」

 と言ってタニモトは俺の方へ頭を向ける。

「あの紙切れが免罪符って話?」

「紙は正確には、免罪符の履行証明書ですけれど。Qさんが術を使うたび降ってくる紙は、その契約魔術の、まあ証明書みたいなものです」

「レシートか」

「この紙には【クベロンの名においてあらゆる魔術の罪を赦す】大体その様な事が書かれてます」

 タニモトの手の中で、紙切れが光の粒になって消えていった。

「魔術で造られたものなので、放っておくと消えてしまいます」

「魔術の罪が許されるってのは文字通りの意味かよ。人をブッ殺しても赦されるのか?」

「クベロンの影響下にある土地でなら。クベロンとQさんのあいだの契約なので」

 クベロンはこの魔術社会において、今や全世界に力を及ぼしている。つまりどこでも何に対してもQは魔術を使い放題って事だ。タニモトがQを危険視していたのは、この免罪符もあっての事だったのだ。

「クベロンが約束を破ったらどうなる?」

「契約魔術は、国家レベルの間で結ばれる非常に高度で強力な魔術です。歴史上成功例も少ない。つまり契約解除しようにも、解除のための魔術を組めるような人材も存在しません」

「それも重要だけどよ。そうじゃなくて、無視してQを捕まえちまったら? どうなるんだ?」

「契約魔術が発動して国民、というか国自体へ呪いが降りかかりますね。クベロンは世界的組織ですから、世界規模で何らかの不幸を被る事になります」

「なんでそんな契約すんだよ」

「僕に言われても……当時のクベロンは小国の一団体にすぎませんでしたから、その団体内だけの免罪符だったんでしょう」

「今は違うじゃねえか。世界規模だろ」

「はい」

「じゃあ、どうにもならねえじゃねえか」

「はい」

「ニルギリアよりタチが悪いじゃねえか」

 これには答えられず、タニモトはQをチラリと見る。

 Qは話に興味をなくして、動物たちの診察に取り掛かっている。

「ん~可愛いねえ~。こうするとホラ、喜んでるんですね~よーしヨシヨシヨシヨシほら噛んでみろ~」

 診察か? あれ。

「……悪人ではないと思いますが……」

「ドンキー・モンモンはブッ殺されたけどな……そうだよ、やっちまんたんだよアイツ」

 ドンキー・モンモンが消えたことで、ニルギリアはQを敵と見なすだろう。

 すべての罪を許されたQとニルギリアがぶつかったらどうなる? 勝手に争ってくれって感じだが、この街でやられるのは困る。ぜったい市民に巻き添えが出る。


 そこへミニスカの女が話しかけてくる。

 しかしコイツ本物の病院スタッフだったのか。ミニスカはねえだろ。

「けっきょくニルギリアってなんなわけ? さっきの不細工はそいつの書状をもってきたっていってたけど」

 俺が食っちまったヤツだ。どうせたいした事は書いてなかっただろうが。

「まあ要するに縄張り争いよ。出てくか部下になるか選べって感じの勧告だったはずだ」

 と俺は説明する。

「どっちもNOだね」

 小鳥の治療をしながらQが言った。聞いてたらしい。

「じゃあどうするんだ? 向こうもアンタと一緒で無制限に魔術を使ってくるぜ。手駒もたっぷりだ。メイツェン・ミステリアス・ボーイズを捕まえて、一日経たずにゴーレムを製造に改造できるようなヤツだぞ」

「興味がないねえ。危険だというのなら――」

「ご自分から攻め込まれるつもりならちょっと持っていただけませんか」

 タニモトが早口で割って入る。

 そこで、俺たちはニルギリアの人質の事を説明する。

「――なので、襲撃が感づかれたり、ニルギリアを逃がしてしまうと、無関係な人間が報復されるのです」

「無関係なニンゲン――」小鳥の世話を続けつつQが言う。「それは私にとっても無関係なニンゲンだ。わんにゃん達にとってはもっと無関係。考慮する必要があるかね?」

 ここで以外にもミニスカの女が援護にまわってくれる。

「先生は『様子を見る』と仰ってくださってるのよ。そうですよね? 先生」

「うむ。私は忙しい」

「ほんとかあ? 約束できんのかよ?」

「口の利き方に気をつけなさい。先生は開業の準備や、拾ってきた野良たちの治療お忙しいの」

 そう言ってミニスカの女は俺の脇腹をグーで殴った。折れてるとこだぞそこ。

「ムーン」

 モップ犬が近づいてきて鼻を鳴らした。気遣ってくれてるのか。

「ああ、あなたこの子の飼い主? なら診察券を作るから名前を――」

「違う」と俺。

「この子を取り返しに来たんじゃないの? 壁に突っ込んだあたりで思い出したわよ」

「もっとカッコいいシーンで気づいて欲しかったね」

「それでこの子を引き取りに来たんじゃないの?」

「安全ならそれでいい。俺の犬じゃないが気になっただけだ。引取先はアンタらで探してくれ。他にも野良犬拾ってんだろ?」

「先生が助けるのは飼い主のいそうな子だけ。首輪した子とかね」

「どうとでもしてくれ」

 俺はベッドから立ち上がる。

 モップ犬が尻尾を振りながら俺をうかがっているけれど、俺は気づかないふりで歩き出す。

「は?! 何してんの」

「ちょっとちょっと」

 ミニスカとタニモトが同時に声を上げる。

「もう犬は飼わないことにしてるんだ」

「そうじゃなくて帰る気? そのまま?」

「帰るが? タニモトここに泊まる気か?」

「僕は歩いて帰れますけど――」

「帰る?! あんた全身バキバキよ? バカなの?」

「口の悪い女だな」

 などとやっているところへQが話しかけてくる。

「ああ彼なら大丈夫だろうよ」

 それからこうも続けた。

「犬神――いや、狼憑きだね?」

 コイツにはバレるだろうな、とは思っていた。が、説明してやる義理もない。俺は無視して診察室を出る。

 いちおう、タニモトにはこう付け加えた。

「別に感染うつりゃしねえから心配すんな。そのうち、人里に迷惑掛けるようになったら自分でしまつつけるからよ」

 絶句しているタニモトを残して、俺は今度こそ治療室を出た。

 Qの歌うような声を背中で聞いた。

「お大事に。飲み薬を出しておくから受け取り給え。あとは月夜の散歩を忘れないことだ」


△△△


 帰るかってヨタヨタ歩いていると、タニモトが追いついてきた。

 タニモトは無言で俺の横に並んで歩き、やがて怒ったように、

「狼憑きと聞いて僕がビビると思ったわけですか。はあ? って感じですよ」

「……別にそんな事じゃねえけどさ」

「会社の人達には内緒ですか」

「まあ、なんとなぁく気づかれてはいるんだろうな。でも何も言わねえなあの人らは」

「じゃあ僕もそれで行きます。ナメんなって感じですよ」

「怒んなよ」

「怒ってませんが。いや怒ってます」

「怪我人には優しくしろよな」

「……大丈夫ですか」

「余裕」

「ホントですか」

「ホントだよ。でも触るなって、やめてやめて」

 獣憑きは頑丈だからな。

 それからしばらく無言で歩いた。やがてタニモトが言う。

「あの犬よかったんですか」

「良かったんだろうよ」

 と俺は応える。

「そうですか」

 とタニモト。

「そうだよ」

 そう言い合って、タニモトと二人、月夜を進んだ。

 昔はいぬと歩いたが、まさかタニモトみたいなエルフと歩くことになるとは思わなかった。

 じゃあそれで行きます、と言ったきり、タニモトはほんとうに狼憑きについて訊いてこない。俺もまだ答えられそうにない。


 獣人。

 レイモンドのような人種はこの世界にたくさんいる。彼らは獣の特徴を有しているが、普通に人間の生活を営む真っ当な生物だ。

 だが、俺たち獣憑きは違う。

 普段は人として生きているが、時に獣になる。

 月から力を得、獣以上の膂力、生命力を示す。爪だけを獣化させて飛ばしたりもできるし、満月かそれに近い月光の下なら、大怪我も治ってしまう。

 だが良いことばかりではない。日中の倦怠感に加え、闘争への渇望、なぜかつきまとう孤独感。いつか心まで獣になってしまうかもしれない、という不安。これらに耐えきれず自滅していくやつは多い。

 そして、獣憑きの治療法はまだ発見されていない。

 人間は、人の交わりから産まれる。

 獣憑きは、獣の妄念と、人が交わって産まれる。

 いや、罹患する。

 人はそれを呪いという。

 俺たちは呪われているのだ。



「これからどうするんです?」

「ともかく、パンダに報告しないとな」

「その方が良いでしょうね。Qさんとニルギリアの争いが飛び火しないとも限りませんから」

「まあ、もう遅いし明日、だな」

「明日、ですね」

 用心するに越したことはない。

 しかしドンキー・モンモンは死んだし、ニルギリアが俺らに気づくことはないだろう。そう思っていた。

 まさか夜のうちに会社が爆破されるとは。



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異世界偉人変人列伝「謎のQ_Qパクト及びわんにゃんカンフー事件」 羊蔵 @Yozoberg

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