Day31 夏祭り
甚平姿の先輩と、艶やかな浴衣を着こなす先輩の上司――〈黄昏の魔女〉と並んで、先輩から頂いたワンピースを着た私は祭りの屋台を見下ろす。空中に腰掛けながら。
どうやって宙に浮いているのかは言うまでもない。〈黄昏の魔女〉曰く、ただ単に摩訶不思議なミラクルパワーを駆使しているわけではなくて、きちんと物理学に則った上で応用しているらしい。けれど、別に仕組みを知りたいとは思わない。
手品の種を知りたくないのと同じだ。無知のままでいる方が幸福なことだって、世の中には沢山ある。
参道に沿って設営された屋台には、橙色のランプが灯されている。食欲をそそる香りが夜の匂いと溶け合っている。老若男女の愉しげな声。遠く聞こえる蝉と
夏だ、と内心で呟く。意味もなく。分かり切っている事柄だけれど。更に言えば、八月は目前どころか数時間後に迫っているけれど。眼下に広がる夏祭りの風景を眼にし、改めて「夏だ」と言わざるを得ない気分になった。
「この光景を眺めると、夏だなぁって気がするね」
と笑った先輩が、右手に持ったラムネの瓶を煽る。反対の手には緑色のシロップに練乳まで掛かったかき氷がひとつ。
「魔法の良いところは人混みに煩わされず、屋台料理独特の匂いが衣服に染み付く心配をせず祭りを満喫できるところよ」
と言った〈黄昏の魔女〉が、焼きそばを豪快に啜る。彼女の周囲には黒い星印の描かれた缶ビールと、数本の焼き鳥と、鈴カステラの入った袋が浮いている。
「めちゃくちゃ愉しんでますね」
「愉しまなきゃ損だよ」と先輩。
「この焼きそば美味しい」と満足げな魔女。
「私、お二方と違って魔法が使えないんですけど」
言外に「お腹が空いた、なんか奢って」と告げれば、彼女の白魚のような指がぱちんと鳴る。小気味よい音と共に現れたるはチョコバナナ、たこ焼き、ラムネが一本。
「あ、たこ焼き」
思わずといった感じで溢した先輩の前にも、たこ焼きが出現する。随分気前が良いですね、と驚く先輩に「さいごですもの」と魔女が答えた。
「さいご?」
私は首を捻る。ちらりと先輩へ眼を遣る。彼も不思議そうにしている。
「ちょっと旅に出ようかと思ってるの」
「はぁ」
旅。魔女の口から出るには意外な単語だ。
「なんだ、いつものことですか」
楊枝に刺した球体を見つめながら、先輩が眉を寄せる。難しい顔に見えた。けど、熱々のたこ焼きに対してなのか、旅に出るらしい魔女へ向けた表情なのかは判別できない。
「俺に仕事丸投げして、あっちこっち移動してるじゃないですか。貴女」
「優秀な部下を持つと、上司は幸福になれてよいですね」
けれど、と微笑みを浮かべた魔女は続ける。
「今回は少し趣が違うのよ。本当に旅へ出るの。老いに身を任せた悠々自適生活には飽きちゃった」
老い。これはまた魔女に相応しくない言葉に感じた。
「部下には漸く、可愛い恋人が出来たみたいですし」
魔女の淡い翡翠色の瞳が、私へ向けられる。私は素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「か、こ、恋人じゃありません!」
「あら、そうなの?」
「そうです! ただの後輩で同居人です!」
「なるほど、番なのね」
「話を聞いてください!」
たこ焼きを頬張り、はふはふと熱を逃がす先輩が
「恋人だとか番だとか、その話題は置いといて」
と話の筋を戻す。
「いつ帰ってくるんです?」
「帰ってきて欲しいの?」
「…………」
「冗談よ。“その時が来たら”」
前触れなく、先輩の白く骨張った指が空を指す。
魔女の瞳が群青を穿つ。
すると、幾千もの星が夜を滑り始める。赤。青。黄色。緑。白。いくつもの輝きが頭上を通り過ぎ、尾を引いて遙か彼方へ飛んでゆく。
「若人に幸多からんことを」
魔女の声が詠うように聞こえる。
その光景は花火よりもずっと奇麗で、幻想的で、哀しいぐらい儚く私の瞳に映った。流星も、彼女も、先輩も。眼下の夏祭りも。夏祭りを純粋に愉しむ命の群れも。
この夏。この瞬間を、一生忘れないだろう。
なんの根拠もないけれど、私はそう確信する。
蘭月文學 四椛 睡 @sui_yotsukaba
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