Day29 揃える
自称“先輩の上司”を名乗る人物から手紙が届いた。
先輩、の、上司。
そのワードを耳にして思い浮かぶのは、ひとりの女性だ。闇夜を織ったような黒いドレス。豊かな金髪。白い肌。不思議な虹彩の瞳。その彼女が送ってきた手紙。受け取った際、緊張しなかったと言えば嘘になる。
奇妙な手触りの封筒を開け、これまた奇妙な手触りの便箋を広げる。簡単な挨拶の句を経て記されたるはシンプルな誘い文句だった。
――三一日、二〇時。太鼓橋の上で。
太鼓橋。七月七日、先輩に連れて行かれた場所だ。
三一日。近所で夏祭りが開催される日である。
私の胸に謎の感情が湧くのを感じる。ざわざわと落ち着かない。熱くて苦しい激情。
その感情を抱えたまま、衝動的に赤いワンピースを引っ張り出す。いつぞやに先輩からプレゼントされた、例のワンピースだ。結局、こんにちまで一度も袖を通せずにいる。
こっそり購入していたサンダルも箱から取り出した。朱と白、差し色で黒の入った、高いヒールのそれ。転んでしまわないよう慎重に履き、姿見の前に立って、ワンピースを身体の前面に併せる。
人をダメにするクッションで寛ぎながら私を眺めていた先輩が、小さく息を吐いた。溜め息には聞こえなかった。
「気合い入ってるね」
「当然です」
驚くほどすんなり言葉が出て、私は自分のことなのに吃驚した。
先輩も意外だと言いたげに瞠目している。見開かれた先輩の形の良い眼が、やがて柔らかく緩む。目尻の皺が優しげで擽ったい。
「じゃあ、髪飾りも必要だな」
と呟いた先輩が、クッションから身を起こす。そのまま真っ直ぐ私の下へ来て背後に立った。かと思えば私の髪を掬い上げる。一度も染めたことのない、肩胛骨あたりで切り揃えただけの黒髪。
「髪飾り」
鏡の中の先輩を真っ直ぐ見つめて、反復する。
「そ。簪か何か……持ってないよなぁ。洒落っ気のない君のことだから」
「失礼な。髪ゴムぐらい持ってます」
「それ、いつも使ってるゴムだろ。黒い輪っかの、安価で大量に買えるやつ」
そうじゃなくて、と苦笑いを浮かべる先輩が続ける。
「このサンダル同様、ワンピースに相応しい逸品だよ。よし。約束の日まで時間はあるから、君に似合うものを探そう。なに、そう難しくはない筈さ」
「先輩」
何故か私よりも遣る気を漲らせる彼を呼ぶ。
先輩は「なんだい?」と軽く首を傾げる。
「お揃いっぽいのが良いです、髪飾り。先輩と」
「……今日は意外な発言ばかりが飛び出すなぁ。俺の髪も飾りたてて欲しいって?」
「いえ、そういう意味じゃ――」
「冗談だよ」
眼に映らない何かを払い除けるように手を振って、はははと笑う先輩。そのまま流されるかと思いきや「いいよ」と返された。そして「その代わり――」と続く。
「ちょっとした話を聴いてくれる? “俺”について」
これもまた意外な反応だった。今日、この短時間で、私は何度驚けばいいのだろう。鏡越しに見つめ合い、私はひとつ頷く。聴かない、なんて選択肢は、ない。
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