Day15 なみなみ

 なんとなく夕飯を作りたくない時。作る気力が湧かない時。先輩と私は外食をする。

 店は大抵、近所の居酒屋だ。個人経営なので大手チェーン店のような広さや喧噪はないけれど、程良い賑わいが心地よい。つまみもご飯も美味しい。オリジナルメニューも愉しい。徒歩で行ける距離というのも、その店を選ぶ理由のひとつだった。先輩も私も無免許で、仮に免許を持っていても飲酒運転はいけないし、タクシーは余り好きではないから。

 今夜は夕飯のメニューが決まらなかった。陽が西の空に沈み、空の色彩がすっかり濃紺になった頃。私たちは居酒屋の暖簾をくぐる。

 取り敢えずビールで乾杯。空腹を満たし、程良く酔いが回ったところで先輩が「おかわりを注いでやろう」と瓶を掲げた。

「いや、良いです。手酌で充分です」

「なにぃ? 俺の酒が飲めないってか」

「それ、アルハラですよ」

 ふざけた先輩がビールを溢れさせるので、私はブチ切れる。勿体ない上に手が汚れた。文句を言ったら「日本酒は溢れさせるぞ」と返される。何を言っているんだ。違うだろう、モノが。

 仕返しに『イクラ盛り放題丼』を注文。こんもり白米が入った丼に、これでもかと言うぐらいイクラを盛りつける。ぽろりと零れた魚卵に先輩が眉を吊り上げる。

「汚いだろう」

「そういうものなんです」

 お怒りの先輩もイクラを盛る。先輩のイクラは丼の縁ギリギリのところで止まる。止まって重なる。一粒も零れない。何故だ。何故、私のビールはなみなみと注いで溢れさせるのに、自分のイクラはなみなみと盛って零さないんだ。得意げな顔が腹立たしくて、私は重なり合う魚卵のひとつをちょんと突く。

 瞬間、ぽろぽろと零れ出す。まるで均衡が崩れたように。「あー!」と叫ぶ先輩。重力に従い、盆の上に落ちて転がる小さな球体。照明を受けて輝く姿は、まるでオレンジ色の宝石みたいに美しい。

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