Day6 筆

 水色のキャンパスに薄めた白をさっと刷いたような青空の下。私と先輩は壁画を鑑賞している。

 画風は様々だ。抽象的なもの。シンボルめいたもの。アメコミ風。夏休みの宿題として提出した絵日記的なやつ、等々。描いたのは地元の小学生なので仕方がないと言えば仕方がないのだが、些か混沌とし過ぎていて、じっと見ていると落ち着かない気分に陥る。

 そんな壁に四方を囲まれているのは政府所有の建築物である。なんの施設なのか明かされていない。故に都市伝説の域を出ない多種多様な噂が生まれては消え、消えては生まれている。そういう意味ではこの建築物も“混沌”と呼べるので、誂え向きな壁画だと言えた。

 春夏秋冬を表す花の海を泳ぐシャチの絵を見ながら、何の気なしに思い浮かんだ疑問を口にする。

「先輩も、こういうの描いたことあります?」

 顎に指を添え、難しい表情をしていた先輩が「こういうの」と反復する。

「シャチの絵?」

「ではなく」

 先輩は“胡散臭い仕事”を色々としていた。その中には便利屋もあって。便利屋とは、言い換えれば何でも屋だ。壁画を描いてくれという依頼はなかったかもしれないが、壁画制作の手伝いをしてくれという依頼はあったかもしれない。

 私の考えを聞いた先輩は「ああ」と明るい声音で肯定する。

「あったよ。何件かは。でも『描く』より『消す』依頼の方が多かったな」

「なるほど。『画家気取りな悪ガキが描いた落書きを消してくれ』とか?」

「そうそう。あとストリートギャングのマークとか、特定の人物に宛てた犯行声明イラストとか。秘密結社の暗号とか。色々」

 それは色々が過ぎるのでは。少なくとも私には考えつかなかった。想像もしていなかった。ストリートギャングのマークは別として、犯行声明や暗号が、壁や橋梁に描いてあるとは思えない。

 けれど、先輩が嘘を言っているとも考え難い。

 内心で呻りながら真偽を見極めようとする私に、先輩はくすりと笑って「因みに」と付け足す。

「世界で有名な覆面アーティストが居るだろう? 神出鬼没で謎だらけ。風刺だったり反権力などの政治色が強いグラフィックを描いたり、自分の作品を勝手に美術館に展示するヤツ」

「ああ、はい。居ますね。時々ニュースで見ます」

「あれ、俺」

 流石にそれは嘘。

 私の即答に、先輩は笑い声をあげた。愉しげなそれが夏の空気に溶けてゆく。不意に、小さな疑問が浮かぶ。この人は、どんな絵を描くのだろう? 絵が下手、という印象はない。どちらかと言えば物事をそつなくこなすタイプだと認識している。だから何か描いてと命じれば何か描くだろう。シャチでも。犯行声明を表したイラストでも。暗号だって。家に帰ったら押し入れを探ろう。そして絵の具セットを引っ張り出そう。面倒臭さを全面に押し出しながらも、きっと何か描いてくれる。

 未だに笑い続ける先輩の手をとる。男性にしては色白な、けれど節くれ立った魅力的な指が筆の柄に添えられるのを想像しながら。

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