Day5 線香花火

 二、三歳と推定される子供たちが短い脚を懸命に動かし、野原を駆け回っている。振り回される腕も、これまた短い。なのに湿気を多分に含んだ空気を切り裂く声は、長い。

 子供という生物は不思議だ。乳幼児はことさら不可思議だ。あんなに脆くて柔らかくて小さいのに、驚異的なエネルギーを内包しているのだから。笑い声も泣き声も鋭くて、遠く長く響く。きっとあらゆる面で大切だからだと、私は思う。

 恐らく、近くの保育園に預けられた子たちだろう。幼い少年少女の愉しげな声は、姿を目視するずっと前から耳に届いていた。短い手足をジタバタと動かして遊び回る姿を眺めながら、先輩はぽつり「まるで線香花火だな」と零す。

「線香花火」

 と私は反復する。

 そうだ、と頷く先輩。

「小さくて、大人しい。かと思えば元気いっぱいに弾けて、こちらが吃驚するような動きも見せて。時間が来ると、すこんって寝ちゃう」

 見ていて厭きない。けれど、いつ寝るんだってはらはらもする。

 先輩の言に、私は「なるほど」と納得する。

 手持ち花火のイメージを人間に当てはめるなら、線香花火は幼い子供にぴったりだ。小さくて愛らしくて、最初は静かなのにパチパチと弾けて――中には急に激しさを増したりして――ふっと落ちる。夏らしい詩的な表現だと感じた。先輩らしくない理由だとも感じた。

 嘗ての先輩なら、こんなに優しくて人間味のある理由は思い付かない。私が知る先輩なら、きっとこう語る。

「あっさり儚く死ぬ、って言うのかと思いました」

 線香花火の最後みたいに。ちょっとした衝撃で呆気なく終わってしまう。子供の身体は幼ければ幼いほど柔く、脆いので。こちらが慎重に扱わなければ簡単に散ってしまう命。

「昔の俺なら、そう言ったね」

 からからと笑う先輩。随分と成長なさったんですね、と言うと「色々あったんだよ」と返された。

「陳腐な表現を用いるなら『世界を見て、見識が広がった』のさ」

「色々って喩えばどんな?」

「色々は色々だよ」

 誤魔化された。先輩は、私の前に現れる以前のこと――私のそばを遠く離れていた間のこと――を話そうとしない。何を見て何を感じ、何を考えたのかを教えてくれない。“昔の先輩”と“今の先輩”の違いを発見する度に、私の胸は何故か軋む。

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