Day 31 夏祭り

 少年の頃の話である。

 何がきっかけだったかはっきり覚えていない。とにかく突然なにかのメッセージを受け取ったような気がして、普段は行かない神社に向かった。

 涼しげな緑陰に屋台がいくつも並んでいた。夏祭りである。ふと違和感を覚えたが、どうにも心惹かれて鳥居をくぐり、参道を奥へと歩いていった。ポケットには、水鉄砲を買おうと思って持ってきた小遣いが入っていた。

 浴衣や甚平を着、団扇を持った人波を縫って歩く。屋台が並んでいる光景はいつ見ても心が踊るものだ。金魚すくい、かき氷、切ったすいかなどの見覚えのある屋台から、枡になみなみと注いだ金色の酒を売るもの、子供の身長ほどもある筆を売る店、見たこともない値段の切手ばかりが並んだ店、見たこともない蝶の標本やくらげの入った水槽を並べた店、「みまれや」や「いつなや」など、もはや看板や貼紙に書かれたその名前を注視しても、何なのかわからないものばかり置いている屋台もあった。店主は誰も彼も一様にお面をつけ、謎めいた雰囲気が漂っていた。

「坊っちゃん、ビー玉見て行かないか」

 突然、狐面の男に声をかけられた。

 そのとき、ぼくは突然違和感の正体に気づいた。これだけの人通りがあるのに、異様に静かなのだ。蝉の声もしなければ、お囃子なども聞こえない。急に恐怖を感じて帰りたくなったが、狐面の店主はぼくの右手をぐいっと掴むとビー玉をひとつ載せた。はっとするような群青色だった。

「中を覗いてごらん」

 言われてそのとおりにすると、中では真っ白な入道雲がもこもことふくれあがっていた。驚いて目を離すと、狐面は楽しそうに笑って、キラキラ輝くビー玉をいくつもぼくに見せた。

「天の川を入れたのも、満開のひまわり畑を入れたのもあるよ。七夕飾りを入れたやつは耳に当てるとさらさら笹の葉の音がするし、火山の煙を入れたやつは、水に入れるとしゅわしゅわ言って泡が出るよ。そうそう、これは昔の戦場を入れたやつ」

 そう言って狐面が赤錆びの浮いた金属のような色のビー玉をつまみ上げると、赤い液体がぽたりと滴った。

 ふいに木陰が暗くなった。幽暗の中で狐面がふわっと浮き上がるように見えた。

「どうだい。いいものばかり揃えてるよ」

 怖くなって後ずさると、だれかにどんと背中が当たった。いつの間にかお面をつけた人々が周りを取り囲んでいた。ぼくはたまらず絶叫した。

 気がつくと辺りに屋台などはひとつもなく、昼間どころか黄昏どきも過ぎて、短夜が始まろうとしていた。ぼくは急いで暗くなった神社を出て、走って走って家に帰った。

 ポケットの中で何かがカチカチと音をたてる。それが小銭の音ではなかったので見てみると、小銭がいくつか減って、ビー玉がひとつ入っていた。こわごわ中を覗いてみると、線香花火がぱちぱちと燃えていた。

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文披31題 尾八原ジュージ @zi-yon

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