エピソード1「せをはやみ」
翌日、いつも通り、一人で自動車――もちろん、免許なんて持っていないから、自動運転なんだけど――に乗って、登校した。校門で学生カードの入ったパスケースをかざし、古めかしいレンガ造りの校舎に入る。
父親はよく「自動運転の車なんて怖い!」と未だに運転手を使っているのだけど、そっちのほうがリスキーだと思う。まあ、時代遅れの親父には分からないのだろうと、自分で駐車場へ行く自動車を一瞥しながら、考える。
メノンはというと、屋敷でいつも通りソリッドな声で、
「いってらっしゃいませ。ラケス様」
と、塩対応で見送られた。毎度のことだから諦めているけど、やっぱり、一度も彼女の笑みを見たことがないのはへこむ。まあ一ヶ月間、そんな対応だったし、仕方がない。
今日は火曜日。まだまだ一週間は続く。ああ、だるい。
ホームルームの前、今日もクラスメイトで悪友のキィが来ていないことに気がつく。今日でちょうど一週間学校に来ていない。
病欠だと聞くけど、一週間休んでいるのを見ると、やはり心配になる。
まあ、そうとはいえ、ボクもボクで授業についていくのが必死なので、ずっとキィのことを考えているわけにはいかなかった。でも、さすがに夕方は心配になるので、キィに電話をかけることにした。
電話に出たのはキィではなく、キィの執事だった。
どんな医者を呼んでも、病気の理由が分からないとか。でも、何故かボクにはどうやら会いたいようで、キィの執事も是非来てほしいとダンディなしゃがれ声でお願いされた。
お願いされたら断れないのが、ボクの性分。お人好しだとは人はいう。逆に言えば、断れない性格って言うヤツ。仕方がない。諦めよう。
ナビにキィの屋敷の住所をセットし、帰り道、車で向かった。ナビ任せなので、どの道を通っているかは謎だけど、まあ、つけばいいのだし。車のナビに任せよう。
キィの屋敷には何度か遊びに行っている。古めかしい木造の屋敷だ。二階という概念がない様式の建物だとキィは言っていたっけ。数百年の歴史があるとかも言っていた。
とにかく、トイレをお借りしようとしたとき、広すぎて迷子になった記憶があるぐらい広々とした屋敷である。
屋敷には、ぴっちりと着こなしたスーツにロマンスグレーの髪をきっちり七三に分けた執事がお辞儀して待っていた。しわの数が、この屋敷に勤めている年数を物語っている。まあ、そんなことはともかく。
「キィ様はもって数日なのでございます」
その執事の言葉に、衝撃を受けた。
なんとかは風邪を引かないというなんとかのキィが?
笑ってしまいそうだけど、実際、アイツは寝込んでいるのは事実だし、ましてや仮病を使うような脳みその持ち主ではない。
ボクはキィの部屋に案内された。床の木のきしむ音が、何故か不気味に感じた。
キィの要望で、ボクはキィと二人きりになった。
「やあ。学校はどうかい?」
キィは布団の中で弱々しい声でボクに尋ねる。表情も弱々しく、顔色も非常に悪い。もって数日と言っても過言ではないかもしれない。
こんなに弱っているキィを見るのは、正直、初めてだ。
「ん……。今、幾何学やっているよ。お前、数学苦手なんだから、さっさと治して、学校にこいよ。みんなさみしがっているぞ」
「あはは……。でもオレの病気は多分治らないよ」
キィは細い声で笑う。
「どうしてそんなことが言えるのさ? ボクらが生まれる前ならいざ知らず、コンピュータが何の病気か診断してくれるんだぜ。治せない病気ってコンピュータに言われたのかい?」
首を捻ったボクにキィは、
「ううん。コンピュータは精神的な病気だって言っていたけど、さすがにまだ何が原因かまでは診断できないよ。人間は複雑だからね……」
ぼそぼそと呟く。
「はあ、じゃあ、その複雑とやらを教えてくれよ。ボクを呼んだってコトは、何かあるんだろ? さっさと言いなよ」
ボクの言葉にキィはふうとため息をつくと、
「分かったよ。絶対に笑うなよ」
と言い、
「かわいい女の子に会ってさ、一目惚れってヤツになっちゃった。それからずっと具合が悪い」
うっすらと顔を赤らめた。
「は?」
ボクはその反応しかできなかった。
「キミが一目惚れだって?」
「そうだよ。それの何が悪い」
「悪くはないけど、お前のようなちゃらんぽらんなヤツも恋煩いってするんだな」
「ひどい」
キィは息を殺すように涙を流し始めた。
「ひどいよ……。ひどい。彼女にもう一度会えないままなら、このまま死んだ方がマシだ」
「そこまで言うなよ。死ぬぐらいだったら、何か楽しいことでもやろうぜ。ボクにキィにできることがあるかい?」
「ある」
キィは充血した目でボクを見る。
「なんだ?」
「その女の子を探してほしい。スイーツ食べ放題の店でフォークを落としたんだけど、そのフォークを拾ってくれた女の子なんだ」
「ってことで、何か知らないかな、メノン」
「どうして、わたしにお聞きになるのでしょうか」
メノンにいつもより遅く帰ってきた理由を説明したあと、夕食前のお茶がてら、ボクは彼女に手がかりを求めた。
「女の子のことは女の子に聞くのが一番だと思ってさ。そういうところ、出入りしないの? していたとしたら、何か聞いていないかい?」
「甘いのは大好きですけど、わたしは群れるのが苦手なんですよ。おかげで嫌われ者でした!」
「そら、そんな恐ろしい顔をしていれば、誰だって近寄りがたいよ」
給仕をしているメノンはキレイな紫色の目で、ボクのことを睨み付けると、
「なら、どうして、ラケス様はわたしを邪険に扱わないのですか?」
と、キリリッっとした声で尋ねた。
可愛いから……と本音を言いたくなるところを、グッとこらえ、
「だって、メノンは優秀だし」
と、ごまかす。
「そうですか。それは痛み入ります」
メノンは深々と頭をさげる。
「では、わたしはラケス様がそのキィ様という方の惚れた方を探せばよろしいんですね?」
メノンは首をかしげる。
「まあ、そうだけど……。何か考えでもあるの?」
「ないわけではないです。地道な作業にはなりますが」
メノンは空のカップになみなみとお茶を注ぐ。
「なら、ボクも行くよ」
勢いよく立ち上がったボクを、メノンは椅子に座らせると、
「今はお茶を飲んでくださいませ。ラケス様には学校がございます。わたし一人で大丈夫です。結果は、放課後にメッセージを送ります。そちらをご覧ください」
ちっ。せっかく学校がサボれる良い機会だと思ったのに。メノンと二人きりでどこかに行けるかなという淡い期待を本人からぶち壊された。残念だが、メノンの言うことがもっともだ。
おとなしく、彼女の言うことを聞こう。
翌日。いつも通り、車を降り、校門でパスをかざした。しかし、エラーが何度も出て、中に入れない。
どういうことだ? パスケースの中身を見ると、なんとボクの学生カードが消えている!
混乱が起きる。少々、パニックしたが、先生による顔パスで、なんとかホームルームの時間には間に合った。
心臓に悪い。学生カードは身分証明書だ。これを悪用されたら、マズいことになる。近日中に再発行してもらわねば。
学生カードをなくしたことで、パニックになり、授業をマトモに受ける余裕なんてなかった。なくしたことによって、怒られなかったのは良かったけど、昨日、寄り道なんてしたのは、キィの屋敷だし、キィの屋敷でパスケースなんて開かないし、どこで落としたか、皆目見当がつかない。
それでも、落としたことは事実だ。あるとすれば、キィの屋敷だ。あれだけ広々とした家なのだ。落としている可能性はなきにしもあらず。ということで、放課後、昨日と同じようにキィの屋敷に来た。
パスケースの用件だけを話すつもりだったのが、気がつけば、キィの部屋に通されていた。
「やあ、見つかった?」
昨日より痩せ細っているように見えるキィに、ボクはどうしようかな、と言葉を探す。
「やっぱり見つからないよね」
キィはわんわんと泣き始めた。ボクは言葉に詰まった自分を恨む。
「あの。ラケス様もいらっしゃったんですか」
毎日聞くソリッドな女の子の声が聞こえてきた。
振り返ると、メノンがいた。
「メッセージの返信がなかったので、直接、キィ様にご報告をしようと思いまして」
メノンは深々と頭を下げると、
「キィ様。わたしはラケス様の侍女、メノンでございます。以後、お見知りおきを。そしてご報告があります」
とキリッとした目で、キィを見た。
「ご……ご報告?」
キィの弱々しくも驚いた声に、
「えぇ。ご報告があります。ですので、外出する準備をなさってください。できるだけカッコいい服装で。顔色は化粧でなんとかごまかしましょう。おまかせください」
メノンはそう鋭い声でキィの布団を勢いよくめくり上げた。
メノンはボクの車のナビをチャカチャカといじっている。
車の中には、ボクとメノン、そして、おめかしをしたキィとキィの執事が乗っている。
こなくてよろしいのにと、メノンはキツーい目つきでキィの執事を睨み付けたのだが、そんなわけにはいかないと、キィの執事も一歩も譲らなかったので、メノンは堪忍したのか、同伴することになった。
目的地に出発します、というナビの音声が流れた。
「では、行きますよ。キィ様。覚悟はいいですね?」
メノンの質問に、キィは頷いた。
着いた場所は、オフィス街にある高い高い真っ黒なビルディングだった。証券会社とか入っていそうな感じの固いイメージのビルディングだ。
こういう場所は駐車代がかさむのに……と文句を言うボクに、うまくいけば、請求はキィ様にすればいいという謎のアドバイスをメノンからもらった。なんじゃそりゃ、と思いながらも、とりあえず、ビルディングの横にある立体駐車場の片隅に駐車場に止める。
メノンは駐車場内にいるビルディングの警備員と会話をしていた。どうやら、誰かを呼んでいるようだ。
数分後、赤毛を三つ編みにしたスーツ姿の女性が現れた。
「ああ。メノンさん。約束の方をお連れしてくださったんですね!」
スーツの女性は満面の笑みで、メノンに声をかける。
「ええ。きっと、このキィ様に間違いございません。レイカ様、案内してもらっていいでしょうか」
「もちろんですとも!」
レイカはメノンの両手を力強く掴んだ。
行くのはどうやら最上階のようだ。
道中、白衣を着た痩せた男性とメノンは肩をぶつかった。
白衣の男性はメノンを見たあと、驚いた様子を見せ、それからブツブツと呟いた後、去って行った。
ボクたちは一番奥のエレベータに乗った。凄い早さで、文字盤の数字が上がっていく。
どうやら、レイカさんがキィと会いたかったようだ。エレベータの中でも、ひっきりなしに、レイカさんの電話は鳴っていた。しかし、レイカさんは、今はそれどころじゃないので、と電話を切っていた。
キィンと最上階に着いた音が鳴った。
「ここです。キィくん。うちの娘にあってくださいな」
娘? このレイカさんの娘?
まさか!
通されたのは、ファンシーなぬいぐるみや、絵が飾ってある部屋だった。部屋に似合ったファンシーなベッドに、誰かが寝ている。ものすごく苦しそうな寝息がした。
「あの……」
キィはそのベッドを覗き込んだ。そして、泣き崩れた。
その声に驚いたのか、ベッドに寝ていた人物……赤毛の女の子が身を起こし、キィを見た。そして、その女の子も泣き始めた。
突然、キィは赤毛の女の子に抱きついた。女の子も答えるように、キィに抱きつく。
そして、さっきまで弱々しかった二人は、力強く大きな声で泣いていた。
「まさか、また会えるとは思わなかった……」
女の子はキィの目を見る。
「オレもだよ……」
キィの目はとても柔らかいものだった。さっきまでの絶望感は見えなかった。
キィの執事の目には涙が浮かんでいた。
「メノン……これは……もしかして……」
「もしかして、ではないですよ。ちゃんと見つけたんです。褒めてくださいよ」
メノンはドヤ顔でボクを見る。
「あ……。ああ。ありがとう。それはともかく、どうやって見つけたの?」
キスを始めた二人を横目に、ボクはメノンに尋ねる。
「ああ、お借りしていたモノを使いました。お返しします」
メノンはポケットからボクの学生カードを取り出した。
「は? どういうこと?」
驚いたボクに、メノンは学生カードを振りながら、
「この写真と同じ制服を着た少年を見なかったか、って、市内の店を回ったんです。食べ放題の店はいくつかあるので、総当たりしました。そうしましたら、同じ制服を着た少年を見かけた後、とある少女が何度も足を運んでいる店を見つけましてね。しばらく来ていたそうです。その女の子の制服の特徴から、学校を探しまして、その女子校に向かったのです。そうしましたら、まあ、生徒会長が休んで大変だと大騒ぎになっていたので、ちょっと話を聞いたところ、その生徒会長が食べ放題の店に入り浸りになって、しばらくして倒れたとの話でしたので、生徒会長……そう、ルイ様……この方ですね。ルイ様に行き着いたのでございます。そして、このビルディングのオーナーの奥様であるレイカ様とコンタクトを取り、どうやらルイ様も恋煩いをしているということでしたので、もしかしたらとお連れしました」
メノンの堂々とした口ぶりに、
「ボク、朝、慌てたんだよ。学生カードがないって、大慌てしたんだから! 勝手に持っていくなよ!」
ボクはメノンから学生カードを勢いよく取り戻した。この所業、メノンじゃなかったら、クビになっているぞ!
キィとルイの方を見ると、相変わらず二人はキラキラと見つめ合っている。
「うちの子が恋に落ちるとはねえ……。もうそんな年だとは思わなかったですよ、メノンさん」
「そうですか」
メノンの対応は冷たく事務的なものだった。
その後のこと。
キィとルイは晴れて恋人になったようだ。
毎日、彼女の写真をスマホで眺めてはニヤニヤしている。まあ、多少は不気味だけど、メノンの顔を見るたび、顔がほころびそうになるボクなので、何も言うまい。
他のクラスメイトとはというと、茶化しはするものの、気の良いキィに祝福を送った。
メノンにそのことを伝え、感謝の言葉をかけた。
「そうですか」
メノンは無表情で答えた。
25番目の天使 端音まひろ @lapis_lazuli
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