第5話 再婚
実家のにおいは自然で、息がしやすかった。
夕日が差し込むリビングには、乾いた洗濯物が散らばっている。やつれた直子は、スマホを片手に、久しぶりにくつろいでいた。
義父を気にして緊張する必要もないし、わかってくれない夫や義家族に失望することもない。ストレスフリーだ。
「なんでもっと早くこうしなかったんだろう」
玄関では、美苗を抱えた母親が、靴を履いている。
「よちよち。美苗もかわいそうだね。お母さんがわがままで」
嫌味ったらしいセリフにムッとした。
「どういう意味?」
「あんたもいい加減にしなさいよ。向こうのお父さんとそりが合わないからって、実家に寄生して」
「違うんだよ。あの人はヤバい人なんだって」
「どうせ家事や育児が面倒になっただけでしょ」
どこへ行っても、結局わかってもらえないのか。
「ストーカーされてるのに……」
「舅が嫁にストーカーするわけないよ。自意識過剰じゃない? 仮にも自分の家族をそんな風に言うのってどうなの?」
「もういい」
背を向けた直子に、母親は呆れのため息をついた。
「拗ねてやんの。買い物から帰ったら洗濯物くらい畳まれてるといいなぁ」
嫌味をこれでもかと込め、母は美苗と玄関を出た。鍵はかけないまま。
あの人が入ってきたらどうする気?
まじめに取り合ってくれていないのが、ありありと伝わる。
仕方がないので、自分で鍵を回した。
グッタリ寝そべると、激しい眠気に襲われる。
「なんで家族ならなんでも許されると思うんだろ。宗教?」
洗濯物の山が、二重に見える。意識が急速に薄れていった。
玄関の鍵が、外からガチャリと回された。
ブー、ブー、ブー
バイブの音。うるさい。
眠りの気持ちよさから、強制的に引き剥がされる不快感。
寝返りをうち、スマホを置いていたほうへ、手を伸ばす。
『もしもし、あんた無事?』
誰の声? 母の声。
『今健二さんから連絡があって……』
かすかに、すえた臭いがする。
半分だけ目を開いた。
日が落ちて、家の中はすっかり暗い。
洗濯物をゴソゴソ漁っている、丸い人影。
「え……?」
息が詰まる。
人影は、すっぽんぽんの下にも胴体にも頭にも、全身に直子の下着を装着している。
「鍵を俺んちに置いてくなんて不用心じゃないか。え? やっぱり直子ちゃんには俺がいないとな」
美苗。早く泣いて。
夢から引き戻して。
「すぐわかったよ。健二に離婚届を渡したのは、俺と結婚するつもりだったからだろ。もっと早く言ってくれればよかったのに」
人影が覆い被さる。
視界がチカチカした。
直子が動かないのを幸いに、人影は、左薬指に金の指輪が輝く手で、直子の薬指にも、同じ指輪を嵌めてくる。
「毎日おはなちちような。子供もたくさん作ろう」
ぷつんと意識が途絶えた。
白目を剥いて気を失った直子に、ニタリと笑った。
「直子ちゃん、エッチがしたいのかい?」
胸を触ろうとすると、玄関のドアが開いた。
美苗を抱いた直子の母、息子、娘、妻がなだれ込む。
倒れた直子にのしかかる自分を見て、妻が悲鳴をあげた。
怒り狂った健二が胸ぐらをつかんでくる。直子の母にも睨まれた。
「親父! 直子に何してる?」
「警察を呼んできましたからね」
妻と娘と息子により引き摺られ、どんどん直子から離れていく。
「やめろ。俺と直子ちゃんの結婚式を邪魔するな!」
ジタバタ暴れると、ゴールドリングが床に落ちた。
外で待ち構えていたパトカーに、あっさり乗せられた。
数年後。
店のテーブルの間を、はしゃぐ子供たちが駆け回る。
正面に座るうちの子は、メニューを見るのに夢中だ。店のタブレット画面の、大きなチョコレートパフェの写真を指差し、無邪気に、
「ママ、これ食べたい」
「はいはい」
注文ボタンを押す。
すると、人影がテーブルの上に落ちた。
「直子」
顔を上げる。
色黒。テカった禿げ頭。ポッコリ出た腹。ブルドックみたいに垂れた頬。
息が止まった。
が、瞬きをすると、男の姿は変わる。
もっと若くて細身の、夫の健二の姿に。
「ママ?」
美苗が心配そうに見上げてくる。
直子は冷静になり、タブレットを指差した。
「美苗用にチョコレートパフェを注文したの」
健二はえーっと驚き、美苗の隣に座った。
「美苗、この前もいっちばん高いやつ注文したじゃん。チーズケーキ好きって言っただろ。チーズケーキにしなよ」
「それいつの話? パパしつこい」
二人のやりとりに、直子は口元を左手で押さえ、笑った。
「遺伝かな?」
薬指には、つけ慣れたシルバーリングが輝く。
義父はストーカー Meg @MegMiki34
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