渚さん

増田朋美

渚さん

なんだかよくわからないけれど、今年は暑い。毎日のように、電力の不足が叫ばれている。自然環境のことを考えれば、それではいけないのであるが、原発がどうのとか、そういうことも叫ばれていて、本当にこの先どうなるか、不安で仕方ないものだ。

そんな中で、今日も白石萌子、通称マネさんは、どうせ家にいても居場所が無いから、と、言うより、製鉄所にいたほうが楽しいからと言う理由で製鉄所に通っていた。いくら暑くても、製鉄所には来たいのだ。そこで何のためにもならないけど、書物をしたり、他の利用者と話をしたりすることが楽しいから。

その日も、製鉄所のインターフォンの無い玄関の引き戸を開けると、水穂さんが偉く咳き込んでいる音と、杉ちゃんの、もういい加減にしろ、という声が聞こえてくるので、心配になったマネさんは、急いで四畳半に行ってみる。

「最近発作が多いですね。暑いから仕方ないかもしれないですけど、まあ、その都度対処するしか無いってことですかね。」

絽の着物に身を包んだジョチさんが、水穂さんに薬を飲ませている杉ちゃんを眺めてそういった。

「まあ暑いわな。ほんと、二人だけでは、やっていけないよ。こんな暑い中じゃ、世話をするのも一苦労。誰か、手伝ってくれる人がほしいなあ。」

杉ちゃんが思わず言うくらい今日は暑かった。

「いくら節電と言っても程がある。政府が命令しているからと言って、エアコンを全く付けない水穂さんも、困る。あーあ、なんとかならないものか。いくら事実は事実でも、我慢できない暑さだねえ。」

「そうですね。いくら絽を着ていても偉い暑さです。」

ジョチさんと杉ちゃんは、そう話し合っていた。確かにひどい暑さというくらい暑い。本当に、体が溶けてしまうのではないかと言われるほど、暑いのである。

「まあ仕方ない。文句行っても始まらないから、とにかく畳屋に電話して、張り替えてもらおう。」

杉ちゃんの話で、愚痴は終わったようであるが、ふすまの外で、それを聞いていたマネさんは、正しく誰か手伝ってくれる人がいてくれればいいのにな、と思った。どこかで、熱中症に警戒してくれという放送が聞こえてきた。それほど、今日は暑いということか。それでは、水穂さんが、弱ってしまうのも、仕方ないかもしれない。だからこそ、なんとかしてやらなければとマネさんは思うのであった。

しかし、これまで通り、女中を募集しても、全く効果は無いことを、マネさんはわかっていた。だから、家政婦斡旋所へ電話しても、全く意味がないので、別の方法で女中さんを頼むしかなかった。そのためにはどうするか。マネさんは、インターネットで女中さんを募集することを思いついた。すぐに調べてみると、地元で人材を募集するサイトがあった。すぐアカウントを登録して、お手伝いをしてくれる、女中さんを、募集していると掲示板に書き込んだ。急遽必要なので、早く女中さんをほしいと書き込んだのだが、果たしてきてくれるだろうか?まあ、ダメ元で来てくれればいいかなという気持ちで投稿してみた。

しばらくは、誰も来なかったが、夕方になって、マネさんのスマートフォンがなった。なんでも、メッセージが、一件入ったということだ。誰だろうかと思ったら、女中さんに立候補してくれるという。どんな人だろうプロフィールを見たら、名前は、ハンドルネームでみぎわさんと言うらしい。本名かどうか不詳だが、とりあえずマネさんは、いつから来ていただけますか、と、送ってみたところ、これからすぐにいけますと帰ってきた。そこで、マネさんは、夕方の五時に、富士駅のカフェであってみることにした。

そして五時。マネさんは、約束通り、富士駅にいってみた。五時の鐘と同時に現れたのは、

「こんにちは。渚七恵と申します。」

なんと、髪も真っ白くなったおばあさんであった。マネさんはびっくりして、

「渚さん?」

と言ってしまった。マネさんは、返答に困っていると、

「ええ、私の名前は、渚七恵です。漢字で書くと、渚のアデリーヌの渚と書いてみぎわ。七恵は漢数字の七に恵と書いて、七恵ですよ。」

そういう渚さんに思わずマネさんは、顔を叩きたくなった。

「お年は、おいくつなんでしょうか?」

マネさんが聞くと、

「85歳です。」

というので、またびっくり。思わず、

「あの、本当に、女中さんとしてきてくれるのでしょうか?」

とマネさんは言ってしまったほどである。

「ええもちろんです。ちゃんと募集文も、紹介文も読ませていただきました。喜んでお手伝いさせていただきます。」

「は、は、はあ、、、。」

にこやかに笑って言う渚さんに、マネさんは声がでなかった。

「ほ、本当に来てくれるんですか。だだって、お年が。」

「ええ行きますよ。いつからそちらに行けばいいのですか?とても大変な人がいると書いてありましたけど、どの様に大変なのか、教えていただけませんか?」

渚さんは、やる気だけはあるようであった。

「じゃあ、明日。こちらの建物に来てください。あたしが、ご案内します。」

マネさんは、そう言って、製鉄所の住所を書いた紙を渡した。渚さんはそれを受け取り、メガネを通して、その住所を理解してくれたようだ。ここから、かぐやの湯行のバスに乗っていけば、いいわけねと呟いている。

「わかりました。明日よろしくおねがいします。」

渚さんは、マネさんに頭を下げた。それを見たマネさんは、なんだか自分が役に立っているというよりも、返って悪化させてしまったような気がした。

「行き方はバッチリ覚えました。かぐやの湯行のバスは、利用したことありますから、ダイジョブです。」

渚さんは、そう言っている。

「明日必ず行きますから、よろしくお願いします。」

そう言っている、渚七恵さんを見て、マネさんは、だんだん不安になってきた。

その次の日。

約束の時間は、10時だった。マネさんが、不安で落ち着かなくて、玄関前で、ウロウロしていると、

「こんにちは。よろしくおねがいします。」

とおばあさんの声が聞こえてきた。約束の時間どおりに、渚七恵さんがやってきたのであった。

「いやあ、暑いですね。でも、ちゃんと降りるとこともあってましたし、こちらの建物だとバスの運転手さんにお伺いして、すぐにつくことができました。」

「どうぞ、お上がりください。よろしくおねがいします。」

マネさんは、急いで彼女を、玄関から製鉄所に入ってもらった。ジョチさんが、廊下を歩いている二人を見つけて、

「あ、昨日インターネットで女中を募集すると言っていましたが、この方が応募してくれたんですか?」

と、言った。

「ええ、渚七恵さんです。応募してくださいました。」

マネさんが急いでそう言うと、ジョチさんは、

「そうです、、、か。」

と言った。ということは、理事長さんも、同じ考えなのかもしれない。確かに、女中さんが来てくれるということは嬉しいが、こんなおばあさんでは、困ったなと言うことだろうか。

「こちらの、建物の管理を任されている、曾我と申します。渚七恵さんとおっしゃるそうで。珍しい名字の方ですね。」

ジョチさんはとりあえず、そう言ったけれど、七恵さんは、

「あの、大変な人というのは、どちらの方なんでしょう。」

と言った。と、同時に、また四畳半から咳き込んでいる声が聞こえてきて、

「もう、いい加減にしろ!」

と、杉ちゃんが言っている声も聞こえてきた。急いで、渚さんは、その方へ向かう。ところが、急に体の向きを変えたため、足がこんがらがって転んでしまった。

「大丈夫ですか。あなたくらいのお年ですと、転倒は大きな怪我に繋がってしまうのでは?」

ジョチさんがそう言うが、渚さんはすぐ立ち上がり、急いで、四畳半に行ってしまった。何も怪我をしている様子には見えなかった。四畳半に行くとやっぱり水穂さんが咳き込んでいた。渚さんははいはいといって、水穂さんに深呼吸しようとか、優しく声をかけてくれた。水穂さんも急におばあさんがやってきたので、驚いたような顔をしていたが、同時に内容物が出たため、何も感想が言えなかった。渚さんが、すぐに内容物を拭いてくれたので、畳を汚さずに住んだ。杉ちゃんが薬を差し出すと、渚さんは、急いで中身を飲ませた。薬はすぐに効いて、水穂さんの咳き込むのは数分後に止まった。しかし、その副作用として、眠気をもたらしてしまうようで、水穂さんはそのまま眠ってしまうのであった。渚さんは、水穂さんの布団をかけてあげた。

「エアコンを付けてあげましょう。いくら節電と言っても、静かに眠らせてあげたほうがいいわよ。」

渚さんがそう言うと、杉ちゃんが待っていましたとばかりエアコンを付けた。こんなアタリマエのことも、怖がってしまうのは、やっぱり異常事態である。

「あーあ。エアコンが付いてよかったねえ。全く水穂さんは権力に弱いから。エアコンをつけるだけでも、こんなに躊躇するというのは、全く困ったものだ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「この人。」

と、渚さんが水穂さんの着物を眺めて、そういうことを言った。

「それがどうしたんだ?」

杉ちゃんが言うと、

「こんな着物を着て、今の若い子が好きできるのとは、ちょっと違うわよね。深いわけがあるのでしょう。」

渚さんが言った。

「ああ、ありがとうございます。お年寄りは、銘仙の着物を着ているのを、馬鹿にしたり、蔑んだりするけどさ、まあ、普通の人は、逃げちゃうのが多いけどな。」

杉ちゃんがそれに答える。

「いいのよ。私は、そのようなことはしませんよ。そんな事したって、この人はもう助からないって、ちゃんとわかっていますから。」

「じゃあ、それなら、ちゃんと、世話をしてくれるんだね。」

杉ちゃんがまたそう言うと、

「大丈夫です。与えられたことは、ちゃんとやります。」

渚さんはにこやかに言った。

「ほんじゃあ、眠っている間に、ご飯を作るから、それを食わせるのをてつだってくれ。これも大変なんだよ。一苦労どころじゃないからな。じゃあ、すぐにご飯を作らなくちゃ。今日は、お粥さん作るか。」

杉ちゃんがそう言って台所に行った。

「やっと涼しくなりましたね。もう、エアコンを付けられないのもきついですね。」

ジョチさんが、額の汗を拭きながらそういうと、渚さんは再度、水穂さんの布団を整え直した。

「しかし皆さん、お着物が単に好きと言うわけではなさそうですね。なにか事情があるんですか?先程の車椅子の方も、着物を着ていらっしゃいました。」

渚さんがそう言うと、

「いやあ単に、着物が好きなだけですよ。強いて言えば、足が悪くなって、洋服を使うのができなくなってしまったことですね。」

と、ジョチさんは答えた。

「そうなんですか。もしかしたら、洋服より、着物のほうが涼しいかもしれませんね。着物のほうが、暑い夏にも、合理的に出来てるなって、思うんですよ。直接袖が体に触れるわけではありませんし、一見するとあつそうですけど、そうではないのかも。」

嬉しそうに、そういう渚さんは、なんだか着物を着てみたいという感じの表情をしていた。

「それなら、着物を着てみればいいじゃないですか。着物の方が、暑いときには涼しくて、そのほうが、よほど合理的ですよ。着付け教室も近くにあれば、教えてくれるんじゃないですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「ええ。私の母がそう言ってました。もう随分前になくなったけど、母は、着物のほうが、洋服より何十倍も涼しいって。母が残してくれた着物が今でも、私の自宅にあるんです。でも、それを着れるかどうか。着物って、着付けが難しいですし、私が着られるんでしょうかね。」

渚さんはそういった。

「確かに、僕達男性の着物は対丈で着るので、あまり難しくないのかもしれませんが、女性の着物は、おはしょりとか、そういうところが難しいかもしれません。そこはハードルが高いと聞いたことがあります。それに、男性に比べて部品も何度も用意しなければならなくなりますしねえ。」

ジョチさんがそう言うと、マネさんは、あることを思いついた。

「ねえ、渚さん。もしよろしければ、私が、着物を二部式に作り直しましょうか?よくある、上着とスカートで構成される二部式着物です。それであれば、簡単に着られるんじゃないでしょうか?帯結びは、作り帯だって、手に入るし、私が作ることだってできるわ。」

「そんな事、できるんですか?」

渚さんは驚いてそういうと、

「私、やったことがあるんです。だから、渚さんにも作ってあげられたら、嬉しいかも。だって、渚さんは、水穂さんのことを汚いとも言わなかったじゃないですか。その御礼なのよ。」

と、マネさんはにこやかに笑った。

「明日、お母様が残された、一番キレイな着物を持ってきてください。」

「わかりました。」

マネさんがそう言うと、渚さんは言った。それと同時に、

「おーい、おかゆができたぜ!さあ、これから、大変な食事の世話を手伝ってくれ。」

と言いながら、杉ちゃんが車椅子のトレーにおかゆの入った丼を載せて戻ってきた。そして、それをサイドテーブルの上におき、水穂さんを揺すって起こし、

「さあお昼だぞ。食べるぞ。」

と、水穂さんの顔の前にお匙を突き出す。水穂さんは、やっぱり食べる気が無いみたいで、反対の方を向いてしまうが、

「食べないと、力が出てきませんよ。」

と渚さんが優しく言ってくれたため、なにか考えを改めたらしい。杉ちゃんが突き出したお匙を口に入れてくれて、中身を食べてくれた。ほな、もういっぱいなと、杉ちゃんに言われて、また食べる。それを、10回くらい繰り返してくれた。そうして本日の昼食は完食だ。

「いやあ、やっと完食させて頂いてありがとうございます。お前さんがいてくれたおかげで、食事させるのが、こんなにスムーズに行くとは思わなかった。ありがとう。」

杉ちゃんが渚さんに言った。

「渚さんは、水穂さんが事情があると知っても、何も動じないんですね。」

と、ジョチさんが感心した様に言うと、

「ええ、だって、こういう人がいるおかげで、私達が生きるんだと、聞いたことがありましたから。私、やっぱり負ける人がいるから勝つ人がいるんだと思うんですよ。」

渚さんは、老子みたいな事を言った。そんな渚さんを見て、マネさんは、余計に着物を作ってやりたい気持ちになった。

渚さんが手伝ってくれるのは、水穂さんにおやつを食べさせるまでであったけれど、このときも水穂さんは、おやつをちゃんと食べた。杉ちゃんは、これでやっと、少しは楽になってくれるだろうと、渚さんに礼を言った。マネさんは渚さんに、必ず、着物を持ってきてくださいねと、年を押した。渚さんは、にこやかに頷いた。

次の日。また渚さんが手伝いに来てくれた。マネさんが約束した通り、赤い色に白い桔梗の花を入れた小紋を持ってきた。マネさんは、それを受け取って、じゃあこれを二部式に作り変えますと言った。杉ちゃんの針箱を借りて、急いでマネさんは、二部式着物を作り始める。作るのは至って簡単。着物を裾から、95センチのところで半分に切り、それの両端を縫って、腰紐を縫い付けるだけである。簡単な作業なのだが、着物を切ってしまうのは、ちょっと勇気がいる。でも、マネさんは躊躇しないで、着物を切った。その時はきっと、着物をだめにしてしまうのではなく、着物を渚さんが着てくれるのが嬉しかったんだと思う。マネさんは、暑さも忘れて、着物を縫った。この製鉄所では、誰も彼女を邪魔するものはいないというのが、印象的だった。一心不乱で、着物を縫う彼女に、誰も文句を言う人はいなかった。

「はい、できましたよ。二部式着物。おはしょりはできなくなっちゃうけど、今の人では、おはしょりがないということを責める人もいません。紐で縛って二部式にしてあるというのは、帯で隠すから大丈夫。」

数時間で、二部式着物は出来上がった。

「おう。じゃあ着てみて。」

杉ちゃんがそう言って、廊下を掃除していた、渚さんに着物を着るように言った。渚さんは手際よく掃除してくれていたけれど、やっぱり年寄りだと言うことがわかる。ちょっと、手付きがふらついている。この暑さではたしかに堪えるだろう。

「休憩を兼ねて、ちょっと試着してみてください。」

マネさんが汗だらけの顔を拭きながらそう言うと、渚さんは、マネさんから着物を受け取って、指示通りに着物を着始めた。まず下半身に巻きスカートのような感じで、スカートと呼ばれる下半身部分を着てみる。そして次に上着を羽織って、中の紐を結びそして、上前をした前の上に重ねて前の紐を結ぶ。簡単な着方だ。

「よし、これに作り帯をつければ着物姿は完成だね。よくやったじゃないか。マネさんも、なかなかうまくなってきたなあ。和裁でも無いし、手縫いだから、洋裁でも無いけど、これはこれで着物の一つのジャンルと言えるかもしれないぞ。作り帯は、リサイクル着物屋にもあるし、通販でも買えるし。何も心配いらないよ。良かったねえ。」

「ありがとうございます。」

渚さんは、マネさんに言った。

「仕立て代はいくらになりますでしょうか?」

渚さんがそう言うので、マネさんはびっくりしてしまう。

「仕立て代なんかいりませんよ。私はただ、着物を着てほしいから、それで、仕立て直しただけのこと、お金はいただきません。」

マネさんはそう言うが、

「いいえ、私には、母の残した着物をやっと着ることができるなんて夢のようです。だからお礼しなければ。これをお収めください。」

渚さんは、持っていた財布の中から、急いで一万円札を取り出して、マネさんに渡した。

「どうしよう。お金なんかもらうことなんてできない。私、インターネットの動画サイトに載っていたのを真似しただけで、ちゃんと本を読んで勉強したわけじゃないのに。」

マネさんが、そう言うと、

「いや、お前さんが、獲得した技術だ。ちゃんともらっとけ。」

と、杉ちゃんがサラリと言った。マネさんは、少し考えて、

「ありがとうございます。」

と言って受け取った。




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渚さん 増田朋美 @masubuchi4996

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