第17話 新たな標的。


* 混乱中の侯爵 *




 カモミールの首を絞めようとしているメイドに氷のつぶてを放った。

 つららや矢にしなかったのは、血を見ることになるカモミールの事を慮ってだ。

 そのつぶてがメイドの右手の甲に当たった。それは私の予想通りなのだが……。その過程が……。

 裏拳にて叩き落とされるのは想定外なのだが……。


「コズミック? どうしたの、虫?」

「……ええ、お嬢様。勘違いした虫が飛んできた様なので、たたき落としました」

「大丈夫? 刺されてない?」

「問題ありません」


 メイドの右手を握りケガがないか確かめるカモミールに私は戸惑う。

 二人がこのようなやりとりをしているのは見た事がない。

 それに、何故、自分を影で虐待するメイドを心配するのか?

 いくらカモミールが優しいとは言え……。

 

「それよりも侯爵様? 声を荒げてましたが、何かありました?」


 そう尋ねてくるメイド。……表情は無表情だが、内心笑ってないか、この女。


「……いや、二人は何をしていたのだ?」

「領地を出たので、奥様から預かった物をお嬢様……、ああいえ、カモミール様にお渡ししていました」


 それが何かすぐに分かった。

 カモミールの胸元にあのロケットペンダントがあったのだ。

 脅すための材料として使っていたあのペンダント。


「そういえば、これ、なんなの?」


 は?

 カモミールの言葉に私の頭の中が真っ白になった。

 それが、何か知っていたのではないのか? だから、あの時……。君は慌てたのでは、ないのか??


「開けてみればわかりますよ」

「……わ!? これ、もしかして、お母様とわたし!?」

「ええ。だと思われます。旦那様の執務室にあったのを奥様が……。失礼しました。伯爵様の執務室にあった物を、伯爵夫人が持っていくように、と、わたくしに預けてくださいました」

「そうなんだ……」


 嬉しそうにロケットペンダントを覗き込むカモミールに私は違和感を覚える。

 齟齬と言っても良い。


「カモミール、君はそれがなんだか知らなかったのか?」

「はい。知りませんでした」

「知らなかった? だが、それがあったからこのメイドを旅の供に選んだのではないのか?」

「いいえ。最初からコズミックと一緒に行くつもりでしたよ?」

「それは何故?」


 彼女は君を虐めていたのだろう? それなのに、何故。


「コズミックが大好きだからです」

「は?」

「あら。お嬢、カモミール様。わたくしも大好きですよ」

「ふふ、コズミックが何度も言い間違えるの珍しいね」

「申し訳ございません」

「責めてるわけじゃないよぉ」


 笑いながらカモミールは自分を虐めていたメイドに抱きつく。

 その嬉しそうな顔はとてもかわいいのだが。

 どういうことだ?

 妻は……そういう趣味でもあるのだろうか? 私はただただ混乱していた。






* 虐めるメイド *


 侯爵の混乱ぷりが実に面白い。

 カモミール様には、私達の関係は秘密にしておきましょうと耳打ちしたら、悲しげな目で見あげてくる。

 子犬の様なその姿に、回っている時の事を秘密にするのです。と追加した。

 それでも分からなかったのか、悩んでいる素振りも見えたが、こくりと頷いていた。

 たぶん、伯爵家での事を秘密にしていれば良いのだと大ざっぱに考えたのだろう。

 それで大丈夫ですよ。カモミール様。私はもう貴方を虐めるフリをする必要ありませんから。

 むしろ侯爵様の前でイチャイチャしましょうね。

 きっととっても面白い事になりますよ。

 上機嫌な顔でカモミール様を見ていると、カモミール様も嬉しそうに私を見つめてくる。

 その横で、侯爵だけが疑問符を何度も何度も浮かべているようだった。




 * 正式に奥様になった元お嬢様 *



 奥様の監視が現れて、恐怖に陥った。

 これからもずっと監視しているのだという不安もあった。

 だけど、奥様の監視の出現というのをコズミックは違った形で受けとっていた。

 休憩時間にわたしの側に来ると、「カモミール様」と呼んできた。

 お嬢様ではなく名前で呼ばれる事はほとんどない。


「コズミック……様?」


 よく分からない事態に、こっそりと敬称をつけてみたが、彼女は笑いながら否定した。


「ふふ、もう二度とそのような呼び方をしなくて大丈夫ですよ」

「え?」

「奥様ご自身が、証人になってくださいましたから」

「え……?」


 コズミックの言葉が余計に分からなくて首を傾げると、彼女はまた楽しげに笑った。


「お嬢様が正式な侯爵家夫人となるには、領地から出たという証拠が必要だと言いましたでしょう? 使い魔越しとは言え、奥様が侯爵様と会話した事で、奥様がお嬢様が領地から出た事を正式に確認したという状況なのです。身分が逆でしたら、最悪何かあった場合ごねる事もありえますが、侯爵様の方が身分は上なので、問題はないでしょう」

「そうなの?」


 分かったような分からないような、と思ったが、コズミックが大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。そして、コズミックは彼女がしていたペンダントをわたしの首にかけた。

 その動作が何故か「ああ、本当に解放されたんだ」という後押しになった。


 ペンダントの中にはお母様と赤ちゃんのわたしが居て、こうやって伯爵領から出た事で、お母様も自由になったんじゃないかって思い始めた。



 休憩を終え、馬車がまた走り出す。


「……カモミール」

「はい?」

「あのメイドと仲が良いのか?」

「ええ。彼女はわたくしの専属ですから、仲はもちろん良いですよ?」

「……だが、君は、伯爵家で虐待を受けていたのだろう?」


 あっ。これは駄目な質問のやつだ。


「まぁ、何の事でしょう。半分とは言え、父の子として、皆、きちんと対応してくれましたわ」


 お父様の方針が売値が下がらなければ好きにしろ、でしたからね。

 奥様の指示を受け、皆様正しい対応をしてくださいましたよ。


「……カモミール。私は君と婚約するにあたって、きちんと調べている」


 その言葉が本当だという事は知ってる。

 コズミックが言ってた。

 一緒に馬車に乗ってた従者が、伯爵家に何度か覗き見してたカメラの持ち主だ、と。

 しかもタチの悪い方。

 あとでしっかりと侯爵様に叱って貰いましょうね、とコズミックが言ってたけど、今伝えていいのかな?

 あ、でもさっき、カメラが回っている時の事は秘密と言ってたから、何もしゃべらない方がいいのかな?


「カモミール?」

「……何も。今は特に話せる事はありません」


 そう答えると侯爵様は少し落胆なされたようだ。

 でも仕方がないじゃないか。伯爵家の恥をおいそれと話せるわけがない。

 少なくとも、用なしになったらポイッっと捨てられる可能性があるうちは。

 もしかしたらコズミックの事を誤解してるかもしれないけど、これから一緒に過ごす内にきっと分かってくれると思う。

 だから、ごめんなさい。今は言えません。



 


 * 戸惑う侯爵 *



 伯爵領から出ても、カモミールの緊張は解ける事がなかった。だから、急ぎ、友人のところに向かうと判断し、町に泊まるのではなく、少しでも先に進み、そして野営する事に決めた。

 だが、その使いを送った直後から妙な事になりはじめている。

 そんな気がしてならない。


「コズミックと同じ馬車に乗っても良いですか?」


 従者が先触れとして今はいないので、使用人の馬車にメイドが一人と知って、カモミールはそんなお願いをしてきた。

 目の届かないところで何かあってはたまらないと、こちらの馬車に乗るように指示した。

 本当に本人の望みかもわからないのだから当然の処置だ。

 そうして並んで座った二人は……。


「カモミール様、森の奥にシカがいますよ」

「え!? どこ!?」

「ほら、あそこ!」

「……あ! いた! ホントだ! 子鹿!?」

「いえ、あれで成体ですよ」

「え!? あんなに小さいのに!?」


 ……君達目が良いな。どこにいるのか分からないのだが?

 窓にかじり付いている二人の会話を盗み聞きしながら、私も静かに目を森に向けて探すがどこにいるか分からない。

 

「あ、逃げちゃった」


 残念そうなカモミールの言葉に、メイドはまた見つけたらお知らせしますね。と軽く答えて、次はサルを見つけたりしていた。

 ……何故わかる!?


 いや、動物だけでなく植物にもメイドやたらと詳しかった。

 あと、カモミールの言葉の最後に「美味しい?」とつく事が多いのは何故だ。


 随分と博識だが、本当に知っているのか? それとも知ったフリをしているのか?

 疑問を持ち、メイドを睨み付けていると、目が合った。

 別段、私は何かを言う気も無かったし、慌てて目を逸らすつもりもなかった。

 こういう場合のメイドの態度は大体決まっている。

 主に見初められたのではないかと期待する者。

 そのまま視線を流し何事も無かったようにする者。

 そして、何か用かと尋ねくる者。

 だが、コズミック、そのメイドはそのどれでも無かった。


「フッ」


 と、鼻で笑いやがった!


「っっ!!」

「カモミール様」


 私が怒鳴りつけようとしたタイミングでコズミックはカモミールを呼んだ。

 窓を向いていた顔が馬車内へと向けられる。


「新妻に放置された夫が拗ねてらっしゃいますよ」

「へ?」

「な!?」


 何を言い出すのだ!? このメイド!!

 怒鳴りたい! もの凄く怒鳴りたい!

 だが。きょとんとしたカモミールの顔が、少しばかり照れた表情になりこちらに向けられた。


「あ……ごめんなさい。そうですよね。二人だけで盛り上がっちゃって……すみません」

「いや、何も謝る事はない」


 そう、君は何も悪くない。悪いのはその隣に居るメイドだから。


「カモミール様。今から向かう場所は侯爵様の学生時代のご学友がいらっしゃる所なんだそうですよ」

「そうなの?」

「はい。なので、学園や学生時代の事を聞いてみてはいかがでしょう?」


 メイドの言葉に、カモミールの顔が輝き、私に向けられる。


「興味が?」

「はい!」


 ……この、クソメイドの手の平で転がされている感はするが、今はカモミールの気持ちが最優先、と、私は学生時代のとりとめの無い話を始める。

 何が楽しいのか分からないが、カモミールはとても楽しそうに聞いていた。

 ……そうか、こういう話で良かったのか。

 と、ここ数日無言で過ごす事の多かった馬車内の時間を思い起こす……、が!

 目の前にいるメイドには感謝したくない!

 そう思っているとまた目があった。

 今度は含みがありそうな満面の笑顔が返ってきて。

 やっぱりこいつムカつくなこのメイド! 笑顔の下で苛立ちが募った。





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