第9話 刺繍


* 虐めるメイド *


「刺繍は令嬢の嗜みですか?」


 執事を探していた私は、彼を見つけた時、まずそう声をかけた。


「突然なんですか」

「いえ、ふと思い立ちまして。いかがでしょう?」

「……確かに貴族の令嬢としては嗜みではありますが……」

「ですよね! では離れのお嬢様のために、刺繍セットをお願いします」

「……いったい何を考えているのですか?」

「もちろん、奥様が喜ぶような事ですよ」


 執事の言葉に私は曇り無き眼でそう言い切った。

 翌日、執事から刺繍をするための道具を渡されたので、私はそれを持って離れのお嬢様のところに向かう。

 意外に、質の良い材料が入っていて、これ、そのまま渡したら奥様に怒られそうだな、と思い、私の安っぽいハンカチと練習用のハンカチとを入れ替えた。

 

 離れについてお嬢様に木箱を差し出す。

 お嬢様は戸惑いを見せていたが、刺繍自体は母親が生きていた頃に練習した事があったそうで、特に何の疑いもなく受けとった。


「そうですね、せっかくだからカモミールの花を刺繍してくださいませ、お嬢様」

「……カモミールでいいの? バラとかじゃなく?」

「ええ。カモミールが良いのです」


 分かった。と頷くお嬢様に、練習用はこちらの布を、本番はこちらの質の良い布を、と指示して私は戻る。

 お嬢様付きならずっとお嬢様の側にいろって言う感じだけど、それはまたそれで奥様の機嫌を損ねるからね。

 令嬢扱いし過ぎても行けないのですよ、離れのお嬢様は。



 それから数日後、離れのお嬢様は奥様に呼ばれて本館へとやってきた。

 令嬢らしく刺繍の練習をしているという事で、奥様がその成果を見るという事でお嬢様を呼び出したのだ。

 私はお嬢様の横で、お嬢様の代わりに作りかけ……、というかほぼ完成間近のハンカチを持って立っている。

 奥様が手を私に差し出したので、私は刺繍枠からハンカチを外し奥様のメイドへと渡す。

 メイドから奥様の手へと渡り、奥様はハンカチを広げて刺繍を確認し、お嬢様を見た。


「このような雑草をモチーフにするとは」


 奥様の言葉にお嬢様は少し目を見開き、そして、視線を落とす。


「これではあっても使い道に困るだけだわ」


 そう言って奥様は持っていたハンカチから手を離す。

 床に落ちたハンカチ。

 拾うためだろうかお嬢様が一歩前に出たところで、奥様がそのハンカチを踏みつけた。


「!?」

「このような物で出来るのは、せいぜい靴の汚れを落とすぐらいかしら?」


 ぐりぐりと汚れを擦りつけるように踏んでいく。

 お嬢様は目を大きく見開いて、奥様を見あげる。

 そして私を振り返った。私もニヤニヤと笑う。

 お嬢様は奥様を見て、小さく頭を横に振る。


「あ、あの、止めてください、お願いします」

「まぁ、何かしら? その物言いは。わたくしはこのようなゴミが利用出来る方法を考えてあげただけでしょう」


 最後にもう一度、強く踏みつけてから足を戻す。


「さっさとこのゴミを持って立ち去りなさい。汚らわしい」


 その言葉にお嬢様は半泣きになりながらハンカチを取り、奥様の部屋から逃げ出す。


「ふふ、良いわね。久しぶりにああいう顔を見たわ。最近では何を言っても無反応だったのに」

「慣れてしまったのでしょう。間をあけて行う方がより効果的かと」

「なるほど……」


 納得した様子で奥様が頷いた。


「今回のは中々楽しかったわ。ご褒美を上げなくてはね」

「本当ですか!? 少しでもお給料が上がるととても嬉しいです」

「ええ、良いわよ。特別手当を付けてあげましょう」

「ありがとうございます! これからも奥様に満足頂けるよう頑張りますね」


 ボーナスが付くとは。頑張ったかいがあったものだ、と私は心の底から笑顔を見せた。





* 虐められる令嬢 *


 踏まれてぐしゃぐしゃになったハンカチを握りしめてわたしは離れへと急ぐ。

 酷い酷い。本当に酷い。

 わたしの心の中はそんな言葉でいっぱいだった。

 なんでコズミックは、こんな事されて、あんな風に笑ってられるの!?

 わたしは、先程のコズミックの顔を思い出して、何度も何度も疑問を浮かべる。

 この刺繍はわたしがしたものじゃない。

 コズミックがわたしの手本として刺したものだ。

 離れから出る時にコズミックがこっそりと入れ替えていた。

 わたしの者は「赤」の「C」で、コズミックは「青」の「C」で、サインが入っている。

 そして、わたしが握りしめているハンカチには青の「C」で作者を表していた。

 離れに戻り、ハンカチを洗う。刺繍糸は切れてないみたいだから大丈夫かな?

 そう思いながら刺繍をチェックしているとコズミックがやってきた。


「あ……」

 

 コズミックになんて、声をかければいいか迷った。


「ああ、カメラなら居ませんよ」


 わたしの戸惑いを見て、コズミックはまずそう言ってくれた。

 その言葉にホッとした。カメラというのはコズミックが作った隠語で、監視の事をさしている。

 わたしはどこに監視者がいるのか分からないけど、コズミックには分かるらしい。


「コズミックはコレを狙ってたの!?」

「ええ、そうです。だから、お嬢様には悪いですが、最初の図案をカモミールにしてもらいました。でも、踏まれた程度で済んで良かったです」

「えぇ!?」

「いやぁ、私、ボロボロになるまで切り裂かれるか、火をつけられるんじゃないかなって思ってたので」

「そんな……。コズミックだって、あんなに頑張って作ってたのに」

「いえいえ、問題ありませんよ。なんせ特別手当がつきましたから」

「え?」

「いやぁ、この程度の刺繍の腕で、特別手当がつくのなら安いもんです、というべきか、儲かっちゃいました、というべきか」


 本当に、全然、コズミックは気にしていないようだ。


「……コズミックって、図太いというか、強かというか」

「今更ですよ、お嬢様。じゃなきゃ、お嬢様を巻き込んでこんな事してませんって」

「……そうね」


 コズミックの言葉に凄く納得してしまった。

 繊細な人じゃきっとこんな事出来ない。コズミックだからきっと出来ることなのだ。


「では次のハンカチは売る事も考えてバラとかにしましょうか」

「え!? 売るの!?」

「売りますよ。成人後の逃亡資金は貯めておくべきでしょう?」


 その言葉にわたしはびっくりして、言葉を失った。

 でも、そっか。成人した後なら、家を出ても責任は親ではなくわたし自身になるんだ。

 大人なんだから、と、周りが放って置く可能性の方が高い。

 

「頑張るね」

「ええ、頑張ってください」


 ただし、と、コズミックから注意事項も貰った。

 外から見えるような場所で、売る物は作らないこと。

 また逆に、今日みたいな事を行われるというのを考えて、そうなっても良いようなものは窓辺でそれとなく作る事。

 あと売る物は必ず直ぐ隠せるように、また直ぐには見付からないようにしまっておく事。

 わたしが居ない間にメイド達が入ってきて、わたしの物を奪ったり壊したして楽しむだろうから、と。

 確かにその通りだ、とわたしは何度も何度も頷いた。


 こうして、わたしはこっそりひっそり、お金を貯めていった。


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