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「……そうか。なら、これを見せてあげるよ」

 何度目線を反らしても、映り込んでくるオシーンの顔。その端整な顔つきさえ、今の桜井には怖くて仕方がない。

「キョウ、目をそらさないで。僕の姿を、よく見てくれ」

 そう言いながら、オシーンは桜井の体を引き寄せた。恐怖で小刻みに震える彼を見て、にやりと妖しい笑みを浮かべる。

「このフード、僕のお気に入りなんだ。だけどこの世界では、全く必要ないね。だって――」


 ――ばさっと取られた、ぶかぶかのフード。その下には、適当に折られた二本の角があった。牡鹿を連想させるような、立派な角の根元が。

「――僕が正しい存在になれるからさ」

「うっ、ああっ……!!」

 我慢していた悲鳴が、口の先から漏れる。それは戦慄を禁じ得ないほどの恐怖ではないが、異国の地では十分すぎるほどだった。確実な逃げ場など、どこにもないのだから。

「喜べ、キョウ。君はこの世界に選ばれた。僕が君を招待したんだ」

「ひっ……!!」

「あはははっ、そんなに怖がることはない。君がこの世界を受け入れる限り、少なくとも命だけは保証してあげよう。ただし、……元の世界には還れないけどね」

 逃げ出そうにも、足がすくんで動けない。たとえ逃げたとしても、一体どこへ向かえば良いのだろうか。

「さぁ、おいで。この図書館を出て、アルスターの都へ行こう。君を歓迎してくれる人が、きっと大勢いるはずだ」

 どこからともなく現れた蝶々が、オシーンの周りで軽やかに舞い始める。異界の宙で羽を伸ばすように、光の粉をまきながら乱舞している。

「ほら、僕の手を握って。慣れない土地に一人でいると、迷子になってしまうからね」

「――っ!! やっ、止めろ!!」

 桜井は何度も何度も、オシーンの手を払った。この世界の存在を否定するかのように、目の前の彼を否定するかのように。

「こんなのっ、こんなの夢だ!! お願いだから、もう止めてくれっ!!」

「夢? ……あははっ、違うよ。今までの世界が夢で、この世界が現実。随分と長い夢だったね、本当に」

 ……桜井の頬に、大粒の涙が伝う。オシーンはそれを愛おしそうに、白い指でゆっくりと掬った。

「泣かないでよ、キョウ。この現実は素晴らしいんだから。女神も魔女も英雄も、みんなここにいるんだ」

 夢と現実、架空と真実が、全て曖昧になって溶けていく。その複雑な境界線に、彼は完全に呑み込まれてしまった。

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アイルランド詩人の見る夢 中田もな @Nakata-Mona

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