私-猫-ヒーレンス

北西 時雨

本編

 黒猫を飼い始めた。しかも学校内で。

 事のあらましはこうだ。私のクラスメイトの家で飼っている黒猫が仔猫を産んだ。何匹もいるので誰か引き取ってくれないかという話になった。幸いにも全ての猫たちの新居は見つかったが、一匹だけ、引き取り手が寮生の子で、話の行き違いで実際に飼う実家がちょうど引っ越し時期になってしまった。色々あったが、一週間だけ学内の空いていた飼育小屋で仮住まいをしてもらうことになった。世話はクラス全員で交代でするという条件でだ。

 黒い仔猫はたちまち人気者になった。魔術を学ぶ学園で、そこに通う中学生たちは生き物が好きだった。特に黒猫は格別だろう。魔術師に黒猫。鬼に金棒みたいな。ちょっと違うか。

 ともかく放課後の掃除当番に猫当番がくっつき、私は今、小屋に入って猫に餌をあげている。

 自己紹介がまだだった。瀬野せのはるか。魔術師は基本代々魔術師、という界隈での世にも珍しい“転入生”、それが私だ。お父さんもお母さんも弟も魔術は使えない。

 クラスのみんなは親切だけれども、どうしても内輪っぽい雰囲気があるから居心地が悪いのには変わりない。

 そんなわけで、独り猫当番を引き受け薄暗い小屋の中にいる。

 猫が餌を食べている間に、掃除を済ませる。と言っても、実は学校の設備は特殊な魔術がかけられていて、正しく魔術をかけることができれば埃や汚れを簡単に取ることができる。ただし、それを知っているのは先生たちと一部の上級生だけで、知っていても使える人は少ないらしい。みんなにやり方を教えてもいいかと聞いたら黙っておいてくれと言われてしまった。横並びを重んじるのは学校教育の良くないところだと思うけれど、大人数の面倒を見なくてはいけない以上、ある種仕方のないことなのかもしれない。

 私は独り、半自動掃除もどきをしてゴミをひとまとめにし、猫を眺めてぼんやりしていた。サボりだろうが、終われば良かろうなのだ。

 小屋の入り口で、物音がした。

 振り返ると、一人の少年が立っていた。夢のような白銀の髪に透き通るような白い肌、物憂げな眼差しの青い瞳、儚さと聡明さを兼ねた端正な相貌。「イケメン」と一言で片づけられないくらいの綺麗な人。

 ――月城つきしろつばさ。私のクラスメイト。その美しさと、それでいて決して驕らない振る舞いで、大変おモテになっている。

「よう」

 つばさくんは、気楽に声をかけてくる。小屋の中に入ってきながら私に尋ねる。

「なんで独りなんだ?」

「私が独りでいいって言ったからぁ」

「終わるのか?」

「あとはゴミ捨てだけ」

「貸して。行ってくる」

「え」

 私が驚いている間につばさくんはゴミの入った袋を持って飛ぶようにいなくなった。

 いつもなら、本当なら、彼の周りには(女子を中心に)人がたくさんいて、雑用みたいなことは、全部やってもらえるはずなのに。私に声をかけるときは、全員まいてから来ると言っていて。


 どうやら彼は、私のことが好き、らしい。


「俺はお前のことが好きだけど」

 一体どんな話の流れだったか。つばさくんがずいぶん気楽な告白をしてきたのが少し前。

 言葉は軽やかなのに、声と表情はすごく真剣で。噓や冗談でないことは、すぐに分かった。

 でも、私はどうしたらいいか分からなくて、なんだかだいぶ失礼なはぐらかし方をしてしまった気がする。


 ゴミ捨てに行ったつばさくんは、あっという間に戻ってきて、今は二人で仔猫の様子を眺めている。

 つばさくんが話しかけてくる。

「元気そうだな」

 猫の話だ。

「寝てばかりいるけど」

「猫ってそういうものじゃなかったか?」

「飼ったことないから、知らない」

「俺も飼ったことはないな。はるかが教えてくれた本に載ってた」

 私とつばさくんは、最初は「魔術の師匠と弟子」だった。つばさくんが半ば一方的に魔術を教えてほしいと言ってきて、その度に参考書や百科事典を読めばいいと追い返したり、魔術でバトって返り討ちにしたりしていた。

 彼はへこたれなかったが、いつの日からかバトってこなくなった。

 私が次々くりだす魔術を「すげー!!」と見ていた無邪気な子どもだったのに。いつの間にか、向けられるこちらが恥じらってしまうような温度の視線で見つめてきたり、私を助けるように駆け回っていたりするようになった。

 私はそんなつばさくんのことを、どうにもできずにいる。

 偏屈で根暗な私は、そんな風に想ってもらえる価値なんて、ないのに。でも、突っぱねることもできなくて。

 「好き」とも「好きじゃない」とも言えない。どちらかに決まってしまうのが……怖い。

 だから、おかしなことを言って、彼を困らせる。

 私はぼそりと呟く。

「……シュレーディンガーの猫」

「この小屋に毒ガス装置は無いぞ」

「もしかしたら、この猫は本当はもう、私達の見ていないところで死んでいて、今は生きているように見えるだけかもしれない」

「うーん……」

 つばさくんは小さくうめいたけど、ゆっくり仔猫を撫でる。もう餌を食べ終えて毛繕いをしていたから、嬉しそうにつばさくんの手に擦り寄っていく。

 つばさくんはお腹を撫でたり顔を覗き込んだりしてから呟く。

「いや……生きてるでしょ。ご飯も食べたし反応もあるし目もしっかりしている」

「そっか」

 彼は魔術で治療を行う癒術の勉強をしている。生き物のことは私よりも詳しいだろう。彼が「生きている」と言うなら、そうなのかもしれない。


 小屋を閉めて玄関に戻る。下駄箱を見て、何か白い物が入っているのに気づく。

 薄くて、手のひらサイズの小さな、一通の封筒だった。

「おま……それ…………」

 つばさくんは私の手元の封書を指差し、大袈裟なくらい震えている。

 そしてちょっと可哀想になるくらいの小さな声で、

「ラブレター……?」

 と呟いた。私は肩をすくめて答える。

「果たし状かもよ?」

 恋文にしては随分味気ない見た目だしね。

「心当たりは……?」

「果たし状なら?」

 そんなふうに茶化して返す。つばさくんの不安げな表情は変わらなかったが、気にせず開けようとして、ふと違和感に気がつく。

 宛名がない。表裏と返して見てみる。差出人の名前も無し。これは……。

 封筒を軽く振ってみる。魔術的な仕掛けはかけられていなさそうだ。

 とても薄くて入っていても紙一枚、といった感じ。

 私は封筒を立てて九十度ひねる。

 詠唱は……、そうだな……。

「【彷徨せし旅人よ、不定の未来を逆算し、生み出し主の居場所を示せ。

 ――Der Alte würfelt nicht.】」

 私がそう唱えると、封筒の端から青い煙のようなものがふよふよ出てきて、廊下へ伸びていった。

 煙をたどっていくと、隣のクラスの教室に着いた。ドアを開けると、放課後の教室に残っていたのは、男子生徒一人だった。

 俯いていた男子はドアの開く音に期待したような表情でパッと顔を上げたが、私の姿を見て、困惑するような表情に変わる。

 そして、私の手に持っている封筒を見て、焦りと怒りの表情に変わる。忙しいことだ。

「私の下駄箱に入っていた」

 そう言う私に男子は青ざめる。

 声も出せない様子なので、続けてこう言う。

「封は開けてない」

 そして封筒を手渡し、

「せめて差出人の名前は、書いておいた方がいい」

 と、私ばかり言いたいことだけ言って、教室を去る。

 後ろで見ていたつばさくんが、何か聞きたげに口を開きかけたので、

「私宛じゃなかったの」

 と、短く答えた。

 こんな時にどうすれば一番良いか、なんて知らないけれど。まぁ、そんなに悪くはなってないと信じよう。

 私は、探偵でもキューピッドでもないのだから。


 数日後に、手紙の彼と、彼のクラスメイトの女子と、二人連れだって歩いているところを見かけた。

 手紙の中は分からないままだが、あのときもし開けていたら、この結果は得られなかったような気がしている。


 黒猫は、無事、約束の日に引き取られていった。

 さみしがる者もいたが、本来の居場所に行っただけなのだ。

 仔猫の身体は、いつだって温かかった。


 私は猫のように気まぐれに、つばさくんを誘う。

「勝負をしましょう」

「俺は……」

 遠慮するつばさくんに、私はニヤッと笑って言う。

つばさくんが勝ったら、なんでも一個だけ叶えてあげるよ」

「えっ!」

 私の発言に、つばさくんは喜びと戸惑いの表情を見せる。

 瞼をぱちぱちさせて考え込む彼に、私はわざとらしく唇をとがらせて呟く。

「……つばさくんのえっち」

「いや、えっ」

 あーあ、そんなにうろたえちゃって。せっかくのイケメンが台無しだぞ?


 私が、彼の気持ちにこたえられるかは、未確定。


 箱の中は、まだ、秘密。

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私-猫-ヒーレンス 北西 時雨 @Jiu-Kitanishi

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