人生観が変わる千円ディナー

結騎 了

#365日ショートショート 180

 その店では、この世のどんな料理よりも美味しいものが食べられると評判だった。それも、驚くほどの低価格。千円札を持っていくだけで、人生観が変わるほどの味を堪能できるという。インターネットを探してもそれ以外の情報が見つからず、男は自ら足を運ぶことにした。

「やっと着いた……」

 森を抜けた先、まるで推理小説で探偵が訪れそうな洋館がそこにあった。特に看板は見当たらないが、ここで間違いない。ここのはずだ。

「えっと、こんにちは」

 がらん、がらんと、ドアに付いていたベルが鳴った。「こちらのディナーをいただきたいのですが……」。人影のない大広間を、男はゆっくりと歩いた。店員は出てこないのだろうか。ややっ、あれは……

 壁には『順路』の二文字と矢印が掲示されていた。まるで美術館の立て札のようだ。

 促されるままに進んだ先は行き止まりだった。廊下と地続きの、ドアがない部屋。成人男性ひとりが入るだろうか。

 よく見ると、壁にお金を入れる箇所があった。ここに千円札を流し込めばいいのか。よし。すうっ、と当てがうと、お札は吸い込まれていった。直後、ガタン!ガタン!ガタンガタンガタン!!と空間を切り裂く音。あっという間だった。天井から落ちてきた鉄格子は、この部屋の四隅を完全に囲った。

「ちょっと!なんですかこれ!」

 男は焦ったが、時すでに遅し。ここから丸二日、男は飲まず食わずで暮らこととなった。お腹が空き、お腹が空き、お腹が空き……。繰り返される絶望に耐えながらのたうち回る。誰も助けに来ない。助けを呼ぶことも出来ない。閉ざされた洋館の一室で、男は生まれてきたことを憂い始めていた。

 大声を上げる元気もなく、床に転がっていた男。二日目の夜、そこに仮面を被ったスタッフが訪れた。「こちらになります」

 鉄格子を部分的に開閉し、スタッフが差し出したそれは…… 肉だった。鶏肉のソテー。それも、どう見てもこれは外国産の安いやつだ。肉も小ぶりだし、艶が感じられない。とはいえ、このガーリックとスパイスの香りはたまらない。頭がおかしくなりそうだ。

 いただきます、も言わずに、男は鶏肉に齧りついた。飲み込んだそれは一瞬で血肉となる感覚があり、体が急速に温まるのを感じた。美味しい。なんで美味しいんだろう。男は、安物のソテーを齧りながら泣いていた。ぽろぽろと零れ落ちる涙が、どうしても止まらなかった。

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