第5話 デートだと思われてる?

 それからスティグは、私の敬語が取れるまで、毎日のようにイーリィ伯爵邸にやってきた。


「待ってくれると言ったじゃないですか」

「大人しくとは言っていない」

「それは屁理屈へりくつです」


 お陰で随分と砕けた口調になっていた。


「それよりも今日はどこへ行こうか」

「え? 今日も出かけるんですか?」

「その方が早いって気づいたんだ」


 私は申し訳なくて俯いた。


 スティグが求めているのは、カティアだ。敬語が取れれば、元のカティアに戻ると思っている。


 私はどれだけスティグのカティアに近づいたんだろう。


 求婚書を返した罪悪感とはまた違うものに、私は胸を痛めた。


「今日は少し遠くに行こうと思うんだ」

「いつもの街ではないんですか? まだすべて見て回っていませんよ」


 スティグに連れられて、初めて邸宅の外に出たのは二週間前のこと。その時は、邸宅に近い場所を一時間散策さんさくした程度の軽いものだった。


 私が余程興味津々きょうみしんしんだったからなのか、それを皮切りに、スティグはよく外に連れ出してくれた。


 だって、異世界だよ。色々見て回りたい!


 しかし、お父様もスティグが同伴でないと、外出を許可してくれないため、自然とこういう流れができた。


 いや、悪くはないんだけどね。ただ、見送りに出てくるメイドたちの温かな視線が恥ずかしい。


 それでもスティグの誘いを断らないのは、異世界の街並みを見たい欲求がまさっていたからだ。


「馬車を使いたいんだ」

「馬車……ですか」

「嫌か?」


 正直嫌じゃない。乗ってみたかった。


 私が首を横に振ると、そのままスティグと共に玄関を出た。


 すでに何度も見たことがあるスティグの馬車は、紺色の車体をしている。派手さのない、シックな馬車。


 先にスティグが乗り込むのを私はじっと見つめた。カティアは伯爵令嬢なのだから、馬車に乗ったことは数え切れないほどあるだろう。そんな私が失敗するわけにはいかない。


 先に入ったスティグが手を差し伸べた。私はその上に右手を置き、左手でスカートの裾を掴む。ここ三週間で、この所作にも大分だいぶ慣れてきた。


 車内に入り、私は進路方向とは逆の席へ行こうとした。けれど、掴んでいた右手を引っ張られ、スティグの横、つまり上座かみざに座らされた。


「ス、スティグ!?」


 私が慌てて名前を呼ぶと、スティグは嬉しそうに額にキスをする。それに驚いて身を引こうとするが、腰をがっしり掴まれてできなかった。


 これが最近の悩みだった。


 一緒に出掛けるようになってから。いや、初めて私がスティグの名前を呼んでからなのかもしれない。スティグはその度にこうして、私のどこかに必ずキスをする。


 さっきのように、咄嗟とっさに出てもお構いなしなため、ちょっと困ってしまう。


 こんなに喜ぶってことは、カティアはあまりスティグを名前で呼んであげなかったのかな。


 それとも、今の私のように、段々呼びたくなくなったとか……。うん。こっちの方が濃厚のうこうかも。




 ***



「潮の香りがしますね。海が近くにあるんですか?」


 馬車を降りると、転生前に感じたことがある空気に、私は嬉しくなった。知らないものだらけの異世界は、思った以上に私を心細くさせていたようだ。


「あぁ。今日は港の方に行くつもりなんだ。近くまで馬車を使うことはできるが……」

「いいえ、歩いていきましょう。早く海を見たいですが、どんな街なのか知りたいです」


 私はスティグの右腕を掴みながら言った。右手を、彼の左手に乗せながら。


「……分かった。毎度のことだが、俺から離れるな」

「はい」


 離れません、と私は笑顔で答えた。もしも今ここで迷子になったら、私は二度とイーリィ伯爵邸に帰れない。

 だから、今日もしっかりとスティグの左手を握った。すると、スティグも慣れた調子で握り返してくれる。


 最初の頃は、やはり貴族には手を繋ぐ習慣がないのか、手を握っただけでスティグは驚いていた。エスコートで触れるのは大丈夫なのに? と若干じゃっかん不服ふふくに思ったが。


 しかし、適応力があるのか、すぐに慣れてくれたのは有難かった。なにせ離れない方法で、これが一番適していたからだ。


「それで、どこから見たい?」

「そうですね。あそこのお店を見て良いですか?」

「ガラス工房か」

「はい。ここの港町がどういうものかは知りませんが、どこも色々な人たちが集まってくる場所じゃないですか。そういう所は文化が混ざり合って、相乗効果そうじょうこうかを生みます。つまり、人が多く集まる場所には、良い物ができるということです」


 さぁ行きますよ、と私は自慢げに言い、足を踏み出した。しかし、右手が前に行かない。私は催促するように右手を動かす。すると、後ろから不満げな声が聞こえてきた。


「良い物と一緒に、悪い者も入ってくるぞ」

「それは分かっています。十分気をつけますから、一緒に行っていただけませんか? 私一人では行けないので」

「勿論、一人で行かせるわけにはいかないだろう!」


 どうしたんだろう。


 スティグは突然、私の横を通り越す勢いで歩き出した。

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