3. 煙は映写窓から映画の中に忍びこみ、不快な現実となる


 マチウと別れた後、エーゴンは都市の唸り声から逃れる場所を探した。自分の部屋には戻りたくなかった……あの部屋はやつを見捨てたガラクタだらけだった。日はすっかり暮れ、空気は冷たかった──コートを着てくるのを忘れたのだ。

 俺……エーゴンは映画館を見つけ、演目も見ずにチケットを買った。劇場はガラガラで、やつは一番後ろの席に座った。

 映画はさして慰めにならなかった。印象的な螺旋階段のセットは目を引いたものの、内容は惚れた腫れたの陳腐な話に過ぎなかった。俺……鴉──おいらは身繕いをしたり、椅子の詰め物を突き出したりして時間を潰した。

 エーゴンは天井を仰ぎ、真後ろにある映写窓を眺め……そこから煙が吐き出されるのを見た。誰かが煙草を吸っているらしい。

 エーゴンは立ち上がって劇場を出て、映写室の扉を探した。首尾よく錆の浮いた扉を見つけたので、俺はためらうことなく押し開けた。


 中にはマシンガンMG8のような映写機が二台、壁には色んな工具がぶら下がり、切られたフィルムがいたるところに散らばっていた……フィルムたちが震えながら寄せ集まって、もう一羽の鴉となる幻覚が見えた。


「あなた誰?」


 女の声が言った。切れ端の鴉はばらけて床に横たわった。

 女は煙草を咥え、映写機にもたれるようにしてこちらを見ていた。彼女は青い目をしていた。

 おいら──彼……エーゴンは何も答えなかった。その問いに対する答えを、俺は持っていなかった。

 女は作業台で煙草をもみ消し、煙を吐いた。

 エーゴンは言った。


「君は誰だ?」


 女は俺に一歩近づき、鴉──おいらの嘴をつついた。


「私はディーナよ、鴉さん」


 つつき返そうとする鴉を避け、彼女は俺の横を通り抜けた。エーゴンも後に続いた。



 二人は酒場で向かい合っていた。エーゴンは酒を頼んだが、ディーナは水だけだった。

 俺──エーゴンも、鴉も口をきかなかったので、女は一人で喋っていた。数年間モンマルトルで画家の愛人をしていたが、最近ベルリンに戻ったのだという。彼女は煙草をふかしながら、画家たちによる奇妙な遊びについて語った。


「紙を四つ折りにして、他の人に見えないようにして自分の部分を描くの。全員書き上げて完成したものが《優美な死骸》ってわけ」


 俺は呟いた。


「死骸は優美じゃない、まったくもって──撃ち殺されたって、埋められたって……吊るされたって……」


 エーゴンは鴉を抱えるようにして俯いた……おいらは調子を取り戻すべくエーゴンの襟をついばみ、それからガラスの目で女を見たが、何も見えなかった。

 ディーナが言った。


「あなたは戦争に行ったの?」

「ああ」

「それで分かったわalles klar


 俺は立ち上がって彼女を睨みつけた。


分かったklar?何が明らかklarだって言うんだ?」


 鴉は床に転げ落ちた。

 彼女は落ち着いて答えた。


「なんで鴉の屍骸ラーべナースなんか連れているのか、分かったわ……それがあなたの死刑執行人ってわけね」


 俺は急に力を失って座りこんだ。電球がぱちぱちと震える音がやけに大きく聞こえた。

 鴉は床の上から、水色のガラス玉で俺を見ている……俺はやつの目に向かって話しかける。


「俺はいったいなぜ戻ってきた?友人も敵も去っていった……哀れなコンラート!俺は残された、いったい何のために?罰を受けるため!ガラスの目で俺を眺めるのはなぜだ?俺を罰し続けるため!お前は──俺は覚えている、俺は俺のしたことを忘れない!

 すべては起こった──終わった──みんなそう言う。もう終わったことだと。みんな、俺は忘れるべきだと言う!なぜか?お前は生き延びたからだ!

 いまや俺を脅かすものは何もない……俺は去っていった友を待っている!彼が俺の肉を引きずり回して、ここから連れ出すのを待っている!

 だが、彼が戻ってこなければ?誰かが俺を救いに来たら?ああおぞましい──俺はその希望に怯えている!

 いわば、俺は砂漠の中にいるんだ、敵の姿はないが、形のない不安が砂粒となって俺を取り巻いている!じっとしていれば、俺はこのまま砂の中に飲みこまれる……ああ、誰も俺を救おうとしないでくれ!誰かが俺を救いに来る、その想像イメージが、新たな砂となって俺にふりかかる……」


 ディーナは煙を吐き、グラスの縁を指先でなぞった。


「誰もあなたを救わないわ……そんなことできないもの」


 そして、彼女はおいら──鴉の屍骸ラーべナースを床から拾い上げ、テーブルの上に置いた。


「もう行くわ」


 ディーナは立ち上がり、いなくなった。



 俺は夜の街を歩いた。行くあてもなく──だが、いつの間にか自分のアパートの前に立っていた。

 部屋に紐はあっただろうか。どんな紐なら人間を吊るすことができるか、俺は知ってる……何度もやった仕事だ。俺は優美さの欠片もない鴉の死骸ラーべナースを抱えて階段を登った。

 だが、俺は知っている・・・・・──死骸がどれほどおぞましいか、そしてエーゴンが死骸になることをどれほど恐れているか。


 階段を登りきる頃には、エーゴンはどのガラクタを新たなコンラートにするか考えていた。おいらはしわがれた声で言った。


「このいくじなしめ!」

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鴉の死骸 あるいは大都市の幽霊 f @fawntkyn

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