第6話 永遠―12(了)


 数週間、永遠はたくさんたくさん考えた。考えても答えが出なくて、外を歩いてみたりもした。まだ暑いものの、夏が少しずつ遠ざかっているのを感じた。イツとムツを見送った夏が、終わろうとしている。


 あなたを忘れない。それは無帰課が使う祈りの言葉だ。それなのに、永遠は美鶴と伊吹のことを忘れてしまっていた。一番、忘れてはならない人たちを、忘れてしまっていた。


「私、まだ、謝れていない……」


 やるべきことも、やりたいことも、何も分からないけれど、まずは二人に謝らなくては、と思い至った。


 永遠は、管理課に屋敷のことを改めて聞いた。久我家の屋敷は、昔の洋風建築が現代まで残っていることに価値を見出されて、今は観光地として開放されているらしい。管理をしていた者が高齢になり、手放そうとしていたところを、観光協会の目に留まったという。もう個人宅ではないから、行こうと思えば気軽に訪れることが出来る。


「お花を持っていかなくちゃ、怒られてしまうわね」


 かつてのように、美鶴が好きな可愛らしいピンク色の花をたっぷりあしらった花束を用意した。もちろん、あの花も。




 電車を乗り継いで、永遠はかつての久我家にやってきた。久我家をきちんと訪れたことは一度もなかった。美鶴と共に、新しい生活を始めるはずだった場所。観光地らしく、たくさんのヒトが写真を撮ったり、歴史に関する解説ボードを読んでいたり。軽く屋敷内を見て回ってから、永遠は屋敷の裏手にある、小さな墓に向かった。寄り添うように二つの石が並んでいる。永遠は、そっとピンク色の花束を二つの石にまたがるように置き、青々とした芝生に膝をついた。


「……お嬢様、伊吹様、遅くなってしまい、申し訳ございません。約束を、守ることが出来ず、申し訳ございません。お二人を、忘れていて、申し訳ございません」


 背後で、足音が聞こえてハッとした。ここは観光として開放はしておらず、事前に墓参りをしたいと管理者に伝えて入ることが出来た。他にもやって来る人がいるとは思っていなかった。


「おや、先客がいるとは珍しい。――ああ、ここまでで結構。ありがとう」


 車椅子に腰掛けている年配の男性は、押していた職員らしき人に慣れた様子で礼を言って下がらせていた。きっと永遠の声は聞こえていないと思うが、万が一聞かれていたら不審に思われる。


「あの、私はこれで」

「あなた、どこかで……ああ、お墓の場所を聞いてこられたお嬢さんだね。無事に来れて良かった」

「え……」


 戸惑っている永遠を横目に、男性は車椅子を転がして墓の前までやってきた。よく見ると、芝生に平行についた跡がいくつもある。それは車椅子の通った跡。男性は、可愛らしい黄色のミモザの花を供えている。


「……!」


 メイドを辞めてから久我家の近くに来た時、ぶつかってしまった男性、彼はあの時もミモザの花を持って墓参りに行っていた。彼は、美鶴や伊吹の関係者なのだろうか。だとしても、あの時からもう七十年経っている。二十代のまま姿の変わらない永遠が、昔のことを聞くのは不自然だ。


「あなたは、人間ではないのだね」

「!?」

「あなたを見たのは、もう何十年も前のことだ。でもあの時のままだ。きっとそういう存在なのだろうね」


 彼の言葉は確信を持って放たれていた。永遠は答えることが出来ず、無言で目を逸らした。


「もう残された時間が少ない、だから人の理から外れたものの存在が分かる。僕は、昔は古典の教師をしていてね。若い頃、是が非でも感じたかったものを、今になって分かるようになるとは。人生分からないものだね」


 彼は本当に嬉しそうに笑っている。少年が、自分だけの秘密基地を見つけたかのように、楽しそうに。


「あなたの名前を、聞かせてくれないかな」

「……」

「何を聞いても、話したりはしない。話したとしても、年寄りの戯言と、誰も信じはしないさ」

「その前に一つ、お聞きしたいことがあります」

「どうぞ」


 彼はにこにこと一つ頷いた。永遠は、この質問を投げかけることが決定的になると理解していた。それでも、どうしても聞きたかった。


「あなたは、お嬢様の――美鶴様の女学校の先生でいらっしゃいますか」

「ああ、そうだよ。白川さんも通っていた女学校で、古典の教師をしていた。彼女が卒業の時にミモザの花をくれてね」


 永遠は、泣きそうになるのを何とか堪えた。古典の先生、と聞いた時にもしかして、と思った。美鶴の想いは、ミモザの花に乗せて届いていた。そして、今もその想いは生き続けている。黄色いミモザの花言葉は、『秘密の恋』。それを彼も知っていて、知らないふりをして受け取ったのだろう。でなければ、今もミモザを届けてはいないだろう。


 永遠は、大きく深呼吸をして心を落ち着けた。メイドの頃に染み付いた来客を迎える丁寧な礼を、彼に向けた。


「先生、お会いしたかったです。お嬢様の人見知りを直してくださって、ありがとうございました」

「あれは、彼女が自分で頑張っただけのことだよ。……そうか、あなたが永遠さん」

「ご存知だったのですか」

「白川さんが、よく話していた。自慢のメイドだとね」


 永遠は嬉しいやら、恥ずかしいやら、分からなかった。女学校の先生にまでメイドを自慢するなんて。でも、今になって永遠の知らない美鶴を知ることが出来るとは、思ってもみなかった。


 ここまでの会話で、自分が人間ではないと、ほぼ公言したようなものだった。永遠は、改めて彼に向き合った。


「永遠、と申します。最近はミイとも呼ばれております。腕時計の付喪神です」

「付喪神……。ああ、本当に存在していたのだね。あなたたちは、不老不死なのかい」

「不老、は合っています。不死、はある意味ではそうですね。物が壊れない限りは、在り続けます」


 それを聞いた彼は、不気味がる様子もなく、安心したような表情を見せた。反応が予想外で、永遠はつい首を傾げた。


「僕がいなくなったら、彼女たちのことを知る人が誰もいなくなってしまう。忘れられてしまうと、本当にいなかったことになってしまう気がしてね」


 強く風が吹いた。ミモザの花が揺れて、はらりといくつかの花が花束から離れて舞い上がった。永遠の置いた花束はびくともしなかった。


「人ではないあなたなら、いつまでも彼女たちを忘れずにいてくれるだろうか」

「……」

「永遠さん?」

「……私は、ついこの間まで、忘れていたんです。お二人が亡くなっていたことを知って、私が『永遠』であったことを全て、失ったんです。そんな薄情な私では、きっとだめです」


 彼は、慎重に車椅子を動かして、永遠の前までやってきた。情けなさと申し訳なさで俯いている永遠を、彼は見上げてきて慈悲深い笑みを浮かべた。


「辛いことを忘れるのは、自分を守るため。それほどに大切だったから。薄情などではないよ。それでも、あなたは思い出して、ここに来てくれた。充分だと思うよ」

「でも、私は……」

「もしも、一人で生きることが難しいなら、二人の魂を分けてもらうといい」


「魂を?」

「名の一部をもらうことは、魂の一部をもらうことと同じ。先ほど、『ミイ』とも呼ばれていると言っていたね。美鶴さんの『美』、伊吹さんの『伊』をもらって、美伊みいというのはいかがかな」


 彼は、二人の石を手で示しながら、そう言った。二人の名前を、魂の一部をもらって、生きる。それならば、生きていくことが出来るだろうか。針を止めることを選ばずに、いられるだろうか。


「……私が、もらって、いいのでしょうか。そんなこと……許されるのでしょうか」

「二人ならば、許してくれると思うよ。そうだ、僕があちらに行った時に、伝えておくことにしようかな」


 彼は嫌味もなくそう言って笑った。もう一度石に近づいて、愛おしそうに目をつぶり、祈りを捧げていた。


「僕はそろそろ帰るよ。ところで、一つ気になったのだけど、造花を供えるのは、付喪神の慣習なのかい」

「あ……」


 言われてから気が付いた。無帰課での仕事を通じて、贈る花といえば、造花が当たり前になっていた。永遠の中で、何かがすとんと落ちて、納得した。それは同時に、覚悟が出来たことも意味していた。


「はい。私が所属する無帰課の想いそのものです。その花が枯れることのないように、私――美伊がお二人を想う気持ちは枯れることはない、と」

「それは、素敵だね」

 彼はさっきよりも一層安心した表情を見せて、ゆっくりと墓を後にした。


 美伊は、花束の中から一本のピンク色の、椿に似た花を取り出した。そして、伊吹の石の元に手渡すように置いた。


「……永遠の愛を、あなたに」







 今日、本部に新しい仲間が増えるらしい。記憶をなくして、途方に暮れているところを、トキに助けられたらしい。無帰課に久しぶりの後輩が出来ることになる。少し緊張していることを自覚しつつも、もっと緊張して来るであろう後輩のために、意識的に肩の力を抜いた。


「あの、今日からここに、って言われたんです、けど……」

「初めまして。今日からあなたは、ナナよ」

「ナナ……?」


「七番目という意味の、ナナ。同じ境遇の者が自分の前に六人もいると思うと、少し気が楽にならないかしら」

「わたしの他にも、六人も。そうなんですね」


 ナナは、少し表情を緩めてそう言った。最初の不安だけでも取り除けたらいい。そこからはゆっくりと進んでいけばいいのだから。


「あの、お名前、聞いてもいいです、か」


 聞かれてから、名乗るのを忘れていたことに気が付いた。やっぱり緊張している、と照れ隠しのように笑ってから、後輩の質問に答えた。


「私は、無帰課のチーフ、美伊。よろしくね」



(了)


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つくもがみ統括本部―無帰課― 鈴木しぐれ @sigure_2_5

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