7月14日『幽暗』

 アリスさんに熱烈な見送りをされて、私達は海の国を後にした。

 ラビン師匠の魔法で再び世界の狭間はざまを訪れ、白い霧の中を歩く。


「ティア、僕は教えていないけれど、君は浮遊魔法を使えるかい?」


 先を歩く師匠にたずねられた。

 なぜ唐突にかれたのかは分からないが、私は素直に答える。


「浮遊魔法ですか?うーん、使えなくはないですが……。母国の魔法研究所で教わったことはあります。でも私、飛行系魔法全般が苦手で」

「そっか。まあ、割と高度な魔法だからねぇ。……最長でどれくらいの時間、浮遊魔法を使えるの?」

「精一杯頑張って、五分ほどです」

「それだけ使えれば僕が手を出さなくても大丈夫だな。次の世界に行ったら、すぐに浮遊魔法を使ってね。じゃないと危ないから」

「危ない……?」

「行けば分かるよ」


 師匠はレザーリュックから魔杖まじょうを出して、一つの扉の前で立ち止まった。石でできた扉だった。


「今から行くのは土竜もぐら族が管理している国なんだ。正確にいえば、国ではないけれどね」

「土竜族……?獣人ですか?」

「いいや、彼等は普通の人間だよ。彼等の住んでいる場所がちょっと特殊だからさ」


 重そうな石造りの扉を師匠が開ける。ぽっかりと暗い穴が空いていて、冷たい風が向こう側から吹いてきた。


「向こうに行ったらすぐ魔法を使ってね。魔杖を今から手に持ってくぐるように」


 師匠はそう言って念を押してから、片手に魔杖を持って暗い穴へと進み姿を消してしまった。

 この先にどんな世界があるのだろうか。不安混じりの興味を抱きつつ、言われた通りに肩掛け鞄から自分の魔杖を出して、私も足を進めた。



 ◇ ◇ ◇



 浮遊魔法を使った私が辺りの状況を認識すると、師匠に念を押された理由が理解できた。


「え……。何この穴?」


 隣で同じように浮遊魔法を使っている師匠は


「やっぱりここに出てしまったな。できれば底に着くようにしたかったんだけど」


 と呟き、溜め息をついていた。


 私達は大きな縦穴の中にいた。見上げれば、かなり高い位置に青空が見える。底の方を見下ろすと、足元よりはるかに下の方で、ぼんやりと灯りが見えた。


「土竜族の出迎えだ。このままゆっくり、あの灯りのところまで降りるよ」

「はーい」


 師匠と共に浮遊魔法で高度を徐々に下げていく。


 だんだんと、縦穴の底に近づくにつれて、灯りを持っている人間を視認できた。採掘師のような格好をした若い男性だった。

 彼は手に持ったランタンを掲げ、時折左右に振りながら私達が穴底に着くのを待っていてくれた。縦穴の底に降りると彼の持つランタンだけが光源となっていて、周囲は仄暗く、幽暗ゆうあんという言葉がぴったりだった。


「深淵様、お待ちしておりました。自分は土竜族の者です。今から長のところまで案内させていただきます」

「あぁ、頼むよ。ここの換気は今も上手くできているかい?」

「はい。以前、深淵様からご教授いただいた者が代々になっていまして、問題なく地上から空気を取り込めています」

「それなら良かった。じゃ、案内よろしく。君達の世界は日々道が増えるから、僕には把握しきれないんだよね」


 土竜族の彼は「承知しました」と軽く礼をしてから先導してくれた。


 縦穴の底には、いくつかの横穴があった。そのうちの一つへと彼は進んでいく。

 ランタンの灯りだけでは暗すぎると思っていたけれど、横穴には所々、壁に窪みがあって灯りがともっていた。

 歩く道すがら、師匠が説明してくれた。


「ティア、ここは土竜族が代々管理している鉱床なんだ。もっと深い層に行くと鉱石を採掘できるんだよ。彼等は優秀な採掘師の一族なのさ」

「なるほど……。それで『土竜族』なんですね」


 初めて訪れる地下の世界に、私は好奇心がうずくのを感じていた。

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