7月2日『金魚』
異世界転移の術は魔力の消費が激しい。それは知っていたけれど。
こんなに、だとは思っていなかった。
「ラビン師匠〜。すみません、まだ眠いので寝ていていいですか……?」
昼過ぎ、部屋着に着替えてのろのろとリビングに行くと、ソファーで新聞を読んでいた師匠にそう申し出た。
昨日、異世界転移の術を成功させたのはいいものの、すぐに疲れが出てしまった。魔力欠乏症になる一歩手前だったと思う。
師匠と再会したのに感動に浸る間も無く、以前使っていた自室のベッドで気を失うように寝入ることとなった。
ちなみに、私がいなかった間も師匠が部屋の掃除や手入れをしてくれていたようで、ベッドもふかふかだった。
「ティア。今の自分の魔力量、普段と比べてどれくらいまで減っているか分かる?だいたいでいいんだけれど」
「え?どういうことですか?」
「君の魔力量がかなり底上げされてる気がしてね。普段の魔力量を百パーセントだとして、今はどれくらいか?ってこと。感覚でいいから教えて」
「うーん。感覚で、ですか……」
眠気が残り怠くて重い体に、意識を集中させてみる。
今残っている魔力は、普段と比べるとどれほどだろう。
「だいたい、ですけど……。今の状態だと三十パーセントほど、ですかね」
「ふむ」
師匠は私の前に立つと、少し考え込むように腕を組んだ。
「ティア、手のひらを出して。あ、両手ともね」
「?はい」
何をするのかな、と疑問に思いつつも言われた通りに両手のひらを出した。
師匠は私の手のひらの上に、自身の手をのせて、スッと目を閉じた。師匠の手の温もりが、じんわりと伝わってくる。
「……あれ?」
指先から、師匠の魔力が私の中に流れてきた。徐々に眠気も薄れて、体の重さも和らいでくる。
「ちょっとは楽になった、かな?」
いつのまにか目を開けていた師匠は、どうやら私に魔力を分けてくれたみたいだ。
「はい、だいぶ体が軽くなりました。ありがとうございます」
「良かった。じゃあ、遅めの昼食にしようか」
「あ、だったら私が……」
急いでキッチンの方へ行こうとしたけれど、肩に手を置かれ留められてしまい、
「体が本調子じゃない人は無理しちゃダメ」
師匠に黒い笑顔で却下されてしまった。
◇ ◇ ◇
「びっくりです……」
小さなダイニングテーブルの上には、師匠が作ったとは思えない手料理が並んでいた。
目玉焼きがのっているトーストに、具沢山のポトフ、ミニサラダ、そしてメインにはスライスチーズがのったハンバーグ。
え、これ師匠が作ったの?と疑いたくなるが、キッチンでエプロンをつけて手際よく作業するところを見ていたので疑いようがない。
いや、でも、味つけが心配だな。
「ティアを
「な、なるほど……」
「さぁ、どうぞ。召し上がれ」
「……いただきます」
恐る恐る食べてみる。……うん、これは普通に、
「おいしいです!師匠!」
「だろうね。ヘレナさんに何回もダメ出しされて鍛えられたから」
苦笑いしながら話す師匠に、私がここを離れていた三年半という歳月を感じた。
そっかー、師匠も料理するようになったんだなぁ。
なんだか……。
「嬉しいような、寂しいような、複雑な心境です」
「ん?」
「なんというか……。この家での、私の存在意義が揺らいでいる気がします」
師匠の手料理は、おいしくて、嬉しい気持ちはもちろんある。でも、私の役割の一部が薄れてしまったような気がした。
「ねぇ、ティア。君自身は気が付いていないのかもしれないけれど、僕や村の人にとって、君の存在はかけがえのないものなんだよ」
「えー。そうは思えませんけどー?」
我ながら可愛げがないと分かっているけれど、私は明らかに拗ねていた。こんな姿、故郷の教師や
唇を尖らせる私に、師匠は小さく笑みをこぼすと、
「食事中だったけれど、まあいいか。ちょっとついてきて。ティアに見せたいものがあるんだ」
席を立った師匠はそのままキッチンを出て、リビングを通り過ぎ、廊下の先へ。
ん?玄関に、見慣れないものがある。
「師匠、この水槽どうしたんですか?」
木製の棚に水槽があった。中には二匹の金魚がいて、水草の間を行ったり来たりしながら泳いでいる。小さめの
ラビン師匠は肩をすくめて、
「雑貨屋の店主に押しつけられたんだ」
「……はい?」
事情がよく分からない。
首を
「ティアを国へ帰した後、僕がずいぶんと暗い顔をしていたみたいでさ。雑貨屋へ買い物に行ったら、店主に『ラビンさん、辛気臭いよ!落ち込んでいるぐらいならペットでも飼ったらいいじゃないか!』って、半ば強引に譲られてね。飼育道具一式も含めて貰ったんだ」
「お、おばさんらしい、というかなんというか」
雑貨屋のおばさん、世話好きなところあったからなぁ。
その光景が目に浮かび、私は半笑いしてしまった。
「まあ、今思えば譲ってもらって良かったよ。一人でいる寂しさが多少は紛れたからね」
二匹の金魚を眺める師匠の表情は穏やかだった。
「でも、ティアの存在には敵わないかな。やっぱり君がいると家が明るくなる」
師匠にそう言われて微笑まれると、子供っぽい言動をとったことに対して猛省したくなった。
「……拗ねちゃってすみませんでした」
私が素直に謝罪したら、頭を優しく撫でられた。
「お昼ご飯、温めなおして食べようか。ティアに喜んでもらいたくて、ヘレナさんのところで頑張って覚えたからね」
離れていた三年半の月日は、師匠の生活を少し変えたようだ。けれど、その根底にある理由が私だと思うと、あたたかく嬉しい気持ちでいっぱいになった。
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