文披月の物語 〜深淵に落ちた雫は波紋を広げてたゆたう〜

うたた寝シキカ

7月1日『黄昏』

 七月一日の黄昏たそがれ時、小さな洋館の屋上に僕はいた。西の空を見れば、薄雲の合間で太陽が輝いて、綺麗な夕焼けである。

 黄昏時は物事の境界線が曖昧になる。世界の境目さえも、だ。

 だから、あの子にはこの時間帯に魔法を使うように、と手紙でアドバイスした。


「そろそろかな」


 懐かしい魔力の気配を感じて、自然と口角が上がる。

 目の前の空気が蜃気楼のように揺らめいた後、魔力の細かな粒子がキラキラと煌めき始めた。だんだんと魔力の密度が高まり、輝きも増して、一瞬だけ強い光が屋上を満たす。

 ふっと、熱気を含んだ風が通り過ぎ、結んでいた髪が揺らいだ。

 そして、眩い光はおさまり、代わりに、


「ラビン師匠、お久しぶりです!」


 少し背が伸びて、でも屈託のない笑顔はあの頃と変わらない、愛弟子の姿があった。

 足元には大きめの旅行鞄二つと、手提げ鞄一つも一緒だ。


「久しぶり。よく一人で戻ってきたね、ティア」


 ティアを、異世界にある彼女の故郷こきょうへと送って、三年半。

 たった三年半で、たった一人で、この子は異世界転移の術を習得してこの洋館へと帰ってきた。

 もしもティアの魔法が失敗したら、すぐ助けに行こうと思っていたけれど。要らぬ心配だったようだ。


「君の成長には驚かされるなぁ」


 いつかの日と同じように、ティアの頭をくしゃりと撫でる。まだ僕の方が背が高いけれど、手を置く位置はあの頃と違う。


「もう〜、また子供扱いして」


 髪を乱されたティアは言葉こそ不満気だったけれど、どこか嬉しそうな表情だった。


「……おかえり、ティア。あの手紙が届いてから、君の帰りを待っていたよ」


 ティアの頭をぽんぽんと軽く触って手を引いた。

 僕の言葉に、ティアは満面の笑みを浮かべる。


「師匠、ただいま帰りました!」

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