奇妙な獣

 セフィールの叫び声がした藪の向こうから、今度はキースが彼女を呼ぶ大声が聞こえた。

 ルフィールは横に立つピートを、不安そうな瞳で見上げた。

「お姉様に何かあったのかしら?」


 シダのような緑の葉が生い茂る藪の向こうでは、キースが動き回る気配がする。

「私たちも行きましょう!」

 ピートの声に、ルフィールと後ろで古地図を広げていたジョアンヌもうなずく。

 ピートが先行して枝をかき分けて進み、ルフィールたちが後に続いた。

 すぐに藪を抜けた一行が見たのは、鬼のように怖い顔で立ち尽くすキースだった。


「キース、セフィール様は?」

「大きなひょうみたいな獣がくわえていきやがった。くそっ!」

 キースが木の肌を叩く。

「その獣はどっちに?」

 ピートが訊くと、キースは一際太い木の横にある、葉が重なり緑の濃くなっている辺りを指さした。

 するとウォーターという熊のように大きな兵士がそこに駆け寄った。

 四つん這いになり、地面近くの草をかき分け始めた。


「ウォーターさん、なにかわかりそうか?」

「ええ、私の故郷は森の中なので豹などの獣には詳しいんです」

 低い姿勢で地面をなめるようにながめる兵士は、低い声でキースに淡々と答える。


「草やこけがつぶれた箇所を追っていけば、追えると思います」

「では、急いでお姉様を追いましょう!」

 いても立ってもいられないルフィールはすぐに茂みに飛び込もうとした。

「お嬢ちゃん、俺が先に行くよ。毒蛇がいるかもしれないからな」

 毒蛇の言葉にすくむ彼女をウォーターが毛深い腕で制し、腰を落として茂みに入っていった。


 キースは茂みに隠れていくウォーターの大きな体を見届けてから、空を仰いだ。

 密生した葉の隙間からまばらに見える空は明るく、まだ日も高い。

 だが、もたもたしてはいられない。

 キースは兵士の後を追い、茂みに姿を消した。


 ◇◆◇


 なにか冷たいものが顔にかかり、セフィールは目を覚ました。

 ぼんやりとした目の焦点が合ってくるに連れて、状況を思い出してきた。

 慌てて上半身を起こし、周囲を確かめた。

 前を向くと大量の水が勢いよく落ち、カーテンのように視界をさえぎっている。

 どうやら、そのしずくが顔にかかったようだ。

 水のカーテンの向こう側からは、光が射し込んできて明るい。

 振り向くと薄暗い穴が奥まで続いている。


「ここは……、滝の裏側なの……? 私、助かったの?」

 セフィールは大急ぎで立ち上がった。

 かなり大きな穴で、大人が立っても頭をぶつけないくらいの高さがあった。


 濡れた岩肌に触れながら、おそるおそる水が流れ落ちるほうに近づくと、後ろからなにかがセフィールのズボンのすそを引っ張った。

 いやな予感がして振り向く。

 そこには彼女をさらっていったひょうのような大きな獣がいた。

 四角い一つ目の頭がセフィールを見上げて首をかしげ、じっとしている。


「私を巣に連れてきたんだ…………。これからゆっくり食べるつもりなのね……」

 背中を怖気おぞけが走り、力が抜けて座り込む。

 その彼女の動きを、ジジジという虫の羽音のような音を立て、獣の目が追う。


「滝の向こうに逃げても滝壺たきつぼだったら、私、泳げないし……」

 生きた心地がしないセフィールは、なるべく獣を見ないようにして震えた。

 獣はなにをするでもなく、彼女のそばにおとなしく伏せている。


「こんな穴の中じゃ、きっとキースたちも見つけられないよね……」

 小さな心が不安に押しつぶされそうになる。


 なにか武器になりそうな物は……?


 薄暗い穴の中に顔を巡らせてみるが、あるのは岩と石ころだけだ。

 勇気を振りしぼって、恐怖が張り付いた表情で、そばにいる獣をもう一度確認してみる。


 その獣──。

 大きさは大型の四足肉食獣くらい。

 白と黒のひょうに良く似た模様で、尻尾しっぽは太くて長い。

 三角の耳がピンと立っていて、その下に特徴的な大きな黒く四角い一つ目がある。

 その黒い目を凝視していたら、獣がのそりと立ち上がった。


「お腹が減ってきたから、いよいよ私を食べるんだ……!」

 セフィールはぎゅっと目を閉じ、息を飲んだ。

 獣がそろりそろりと近寄ってくる。歩く度に、ギギギと聞き慣れない異音がする。

 もう飛びついてくるころだと思い、セフィールは覚悟を決めた。

 その時、声が聞こえた。


──デバイスと接触、ターミナル・リンケージOK、映像通信開始──


「この声は……? 高速艇で変なカニを見た時にも聞いた声だ……」

 目を開けて獣を見ると、獣は穴の壁に頭を向けてから、少し後ずさりして止まった。

 そして、次の光景にセフィールは驚いた。


 獣の目から光が放たれ、暗い壁に映像が映し出された。

 それは人の姿だった。

 褐色の肌をした長い黒髪の若い男だ。

 やさしい目をしたその男は微笑みかけ、話し始める。

 その声は獣のほうから聞こえてくる。


「セフィール王女様。ようこそ【はじまりの島】へ。僕はハミルズ・ティガ・シンバという者です」

「えっ? あなたはどうして私の名前を知ってるの?」

「王女様、それは今説明しても難しいかもしれないね。まあ、無線通信機で教えてもらったとでもしておこうか」

「無線通信機……?」

「君たちの動きは南大深度海に入ったころから、ずっと知っていたんだよ」

「嘘っ! どこから見てたの?」

「見てたわけじゃないけど……。まあ、あえて言えば空の彼方かな」

「空の彼方? あなたは今もそこにいるの?」

「違うよ。僕はこの島にいるよ」

「もう! 言ってることがよくわかんないよ!」

「ごめんね。僕ね、人と話すのも久しぶりなんだ」


「ねえ、このひょうみたいな獣はあなたの友だちなの?」

「そいつは獣じゃないよ。機械だよ。でも、まあ友だちみたいなものかな」

「これが機械……?」

 セフィールは獣をしげしげと眺める。

 奇妙な顔をのぞいて、体は本物の動物にしか見えない。

 けれど目から光を出して、映像を映し出す獣なんか聞いたことがない。


 じゃあ、私、こいつに食べられないんだ……。

 セフィールは緊張が解け、深く長いため息をついた。


「怖がらせちゃってごめんね。そいつは危険はないから安心して」

「びっくりして、漏らしちゃったじゃない!」

 別に漏らしたわけではないが、そういうことにしておくセフィールだった。


「あっ! ごめんごめん、後で妹から着替えを用意してもらうといいよ」

「あなたの妹って誰よ?」

「僕の妹? 妹の名前はジョアンヌ・ティガ・シンバ。さっきまで君と一緒だったろ」

「え──っ! ジョアンヌ王女があなたの妹ですって……? ってことはあなたは……?」

「そう。ジョアンヌの兄です。セフィール王女様」

「じゃあ、ジョアンヌ王女が探しているのはあなたね」

「困った妹だよ。そっとしておいてくれればいいのに」

「あなた、さっさと出てきて、国に戻りなさいよ。そうすれば、私たちすぐに帰れるから」

「そういうわけにもいかないさ。僕はまだこの島で調べたいことがあるからね」

 言い合いをしているうちに、セフィールはハミルズがすぐ近くにいるんじゃないか、と思い始めた。

 きっと近くに隠れて、自分の様子をこっそり見ているに違いない。

 セフィールはゆっくりと岩肌を見回す。

 すると映像がぷつりと消え、獣が入口のほうに歩き始めた。


「このひょうもどき、触っても大丈夫なのよね……」

 セフィールはおっかなびっくり、その獣の首筋を撫でてみる。

 その体は見た目の印象より、思いのほか硬かった。


「やっぱり、機械なのね……。こいつ」

 そうつぶやいて首筋を叩くと、獣は頭を低くしてうなった。

 セフィールはびっくりして、思わず後ずさる。

 獣は流れ落ちる水のカーテンに向かって、勢いよくんだ。

 セフィールも後を追おうかと思ったが、んだ先が滝壺たきつぼだと溺れてしまうのでやめた。

 ひとり穴に残されたセフィールは、しゃがみ込んでひざを抱えた。

 お腹も減ったし、早く誰か迎えに来ないかな、と思う彼女だった。


 ◇◆◇


「ウォーター、お前、本当にこっちでいいのか?」

 枝に顔をぶつけながら、背の高いバンクスが後ろからたずねる。

「うん、こっちで間違いない。獣はかなり大きくて重いんだろうな。足跡は見つけやすいよ」

「それにしても歩き辛いな……」

 キースが顔に張り付いてきた蜘蛛くもの巣かなにかを引きはがす。


「お姉様、大丈夫かしら……?」

「心配ありませんよ。きっと、神のご加護があります」

 ルフィールはピートが葉を押し上げて作る道を、落ちそうになるズボンを吊り上げながらついてくる。

 ジョアンヌはこんな場所を歩くのに慣れていないせいか、少し遅れ始めた。

 その王女の横の茂みでなにかが動く気配がした。

 彼女は顔を強ばらせ、その音のするほうを向く。

 バンクスがとっさに自動小銃を構え、王女の前に出た。

 みんなは息を飲み、その音のする茂みに注目した。


 そこから獣の顔が飛び出した。

 バンクスは狙いを定め、すぐに発砲した。

 弾は獣の頭を直撃したが、獣は血も流さず平気に動いている。

 今度はキースが拳銃で獣の体を撃った。

 それでも獣は身じろぎもせず、ジョアンヌに向かってゆっくりと歩いていく。

 ウォーターとバンクスが王女と獣の間に立ちふさがる。

 獣は低くうなり、二人の兵士を見上げた。


「何だ……、このひょうみたいな変な獣は……!」

 ウォーターが一つしか目がない獣の顔を見て、戦慄せんりつする。

 獣はジジジと音を立て、二人の兵士を交互に見てから、王女のほうに顔を向けた。


「あなたたち、逃げなさい! 私も逃げますから!」

 兵士の後ろで、王女が声を殺して二人に命令する。

「いえ、ここは俺が何とかします!」

 それにバンクスもつばを飲み込み、うなずく。

 ウォーターとバンクスは獣に飛びつこうと、腰を落とした。

 冷や汗が頬を伝う二人と一つ目の獣がにらみ合う。


「やあ、ジョアンヌ。元気そうじゃないか?」

 突然、獣がのんきそうな声でしゃべった。

 にわかに緊張が高まっていた一行は、それに仰天した。


「その声は……。もしかしたら……、お兄様?」

「うん、そうだよ。これから君たちをある場所に案内しよう。ついておいで」

 獣は呆気あっけに取られる一行の横を素通りして、歩いていく。


「何ですの、あれは……?」

 ルフィールはピートの袖を引いた。

「さあ……、私にもさっぱりわかりません……」

 ピートは自分たちの前を悠然と歩いていく奇妙な獣の背を見ながら、首をかしげた。

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