はじまりの島へ

 ルフィールはジョアンヌから、ラトリッジという艦長を紹介してもらった。

 かなり若そうだが、よく街で見かけるゴロツキみたいな風貌で、目つきが悪く顎が二つに割れていた。

 そのラトリッジが艦長席にいた姉を追い出し、椅子に深く身を沈めた。

 真っ白な艦長帽を几帳面に正してから、前方を指さす。


「総員、出港準備! 本艦はこれより南大深度海に向け出港する! サザンテラル領海を離脱したあと、最大戦速で南大深度海の中心海域を目指す!」


 この艦長司令に、テンションが上がったルフィールも思わず前方を指さした。

 ラトリッジがそれに気付き、彼女を見てグッと親指を立て笑った。


 ただ、この艦長司令に当の兵士たちは少々驚きの色を隠せないようだ。

 前人未踏の荒れ狂う南大深度海の中心を目指すことに戸惑っているのだろう。


「てめぇら、ビビってんじゃねえぞ! 金○引き締めていけよ!」

 ラトリッジは動揺する兵士たちを一喝してから、ルフィールを横目で見て、ニヤリ。

「お前も金○引き締めていけよ!」


「そんなモノ、ついてません!」とルフィールは足を踏み鳴らし大激昂。


 足早に持ち場へと移動する水兵たちの中、キースとピートはやることもなく、突っ立ていた。


「王女殿下、俺たちはなにをすればいいですかね?」とキースはジョアンヌにたずねる。

「そうですね。夜も遅いですし、皆さんお疲れでしょうから、もう寝ましょう。船室は下です」

「そういや、セフィールはどこに行ったんだ? 俺、ちょっと探してくる」

 キースはピートの肩を叩き、艦橋を後にした。


 ◇◆◇


 セフィールは甲板の手すりにつかまり、潮風を体に浴びていた。

 遠くに街の灯が見えるが、夜も更けたせいか、その数も少ない。


 船の先に見えるのは暗い海。

 そこから聞こえてくる波の音に身を任せ、ため息をついた。


「早く国に帰りたいな……」

 ポツリと本音が漏れる。


 だが、彼女の祖国、トライ・ラテラル王国は、クーデターにより王政が倒され、軍部が掌握。

 その傀儡政権が国を統治している。

 もう彼女が帰るべき、かつての祖国はこの世界にはない。


 これから私たちはどうなるんだろう……?


 先の見えぬ未来に、不安を掻き立てられる。


「こんな所でなにしてるんだ?」

 すぐ横にキースが来ていた。


「ちょっと海を見てただけだよ」


「……、国のことを思い出してたのか?」

 キースはセフィールの頭を撫でる。


「うんうん、私たちの国はもうないもの……」

「……」

 キースは一旦口を開きかけたがやめ、彼女の肩にそっと手を置く。


「すぐに出航だってさ。お前カナヅチだろ。ここは揺れて危ないから船室に戻るぞ」

「うん、わかった」


「お前、また吐くかもしれねえし、そうなる前に寝とけ」

「もう、キースの意地悪! この船、大きいから大丈夫だよ」

「だといいがな」


 二人で船室に入ろうとした時、キースはなにか嫌な気配を感じた。

 冷たいなにかが背中を這うような感覚に、足を止める。

 闇に沈んだ艦橋を見上げたが、空に星がまたたくだけで、特にこれといった異変はない。

 後ろを振り返ってみても、甲板には誰もいない。


「気のせいだったか……」

 キースは頬を掻き、鉄の扉を閉めた。


 ◇◆◇


「あ、痛ッ!」

 目覚めたセフィールは、おでこを思い切りぶつけた。

 ぶつけた所をさすりながらつぶやく。

「そういえば、ここ船の中だった……」


 セフィールは狭い船室にある三段ベッドのいちばん下にいた。

 淡い光の白熱球が照らす室内は薄暗い。

 昨晩は疲れのせいで、泥のように眠ってしまった。おかげで船酔いはしていない。


「ところで今何時だろう?」


 くぐり抜けるような体勢でベッドから降り、上を見るとルフィールが一つ上、ピートはその上で寝ていた。

 長身のピートはベッドの横から片足が半分落ちている。

 起きてから足が痺れたりしないだろうか?


 ルフィールを揺り動かしても、「魚雷、一番、三番、ってー」とか変な寝言をつぶやくだけ。

 キースはベッドの横にある椅子で、天井を仰いで大いびきだ。

 とにかく今の時間を知りたいので、セフィールは王女に用意してもらったワンピースに着替え、独り外に向かった。


 白熱球が照らす狭い通路を歩く。

 途中、何人かの水兵に会ったが、みんなやさしい目で挨拶してくれた。

 急な階段を昇り、ドアを開けると、眩い光がセフィールの目に飛び込んできた。


 甲板には艦長がいた。太陽に向かって大きく背伸びをしている。

 セフィールは昨日のこともあり、どうしようか迷ったが、思い切って声を掛けてみた。


「おっちゃん、おはよう!」


 悪人顔のラトリッジ艦長が、その声に振り向く。

「お前は……、難民のガキか」


「おっちゃん、おはよう!」

「おっちゃんじゃないわ。ラトリッジ艦長と呼べ! このガキ!」

 口汚く、顔も恐いが怒っている風でもない。


「今日はとても天気がいいね」

 セフィールは四方の視界を埋める海原をぐるりと見渡した。

 どこまでも続く海原は陽の光を反射し、水面が魚の鱗のようにキラキラと輝いている。


「おうよ! 今日は海は凪いでいて、絶好の高速艇日和だな」

「高速艇日和?」

「今日はぶっ飛ばすぞ。ビビって小便ちびるなよ、このガキ!」

「もうガキ、ガキって、ちゃんとセフィールって名前があるの!」


「そうか、セフィールか。で、お前どこの難民なんだ?」

「トライ・ラテラル王国だよ」

「トライ・ラテラルか。確かクーデターで王様が暗殺された国だよな」

 ラトリッジがそう言うと、セフィールの表情がかげった。


「まあ、命さえありゃ、世の中どうにかなるって」

 ラトリッジはセフィールの頭を遠慮なく撫でるが、ほとんどゴシゴシと擦っているに等しい。


「ところで、お前の親はどうした?」

「二人とも死んじゃった……」とセフィールの消え入るような声。

「そうか……、悪いこと訊いちまったな……。まだ小さいのに可哀想にな」

「いいよ……。もう慣れたから……」


 人一倍、情にもろいラトリッジ。

 それはもう、ほとんどつきあいのない遠い親戚のじじいが死んだと聞いても、もらい泣きするほどである。

 この時、彼のセフィールに対するステータスは、

『弱い』、『うるさい』から、

『弱い』、『可哀想』に書き換わっていた。


「よし、セフィール! 船にいる間は、このラトリッジ艦長を父親だと思っていいぞ!」

「えーっ! 嫌だよ、そんなの!」


「そう、邪険にするな。ほらほら」

 ラトリッジの毛深い手が、セフィールの腰をむんずとつかみ、

「ほれ、ほれ、ほれ、ほれ」と高く持ち上げた。


「どうだ、高いだろう」と言い、ラトリッジはセフィールを持ち上げたまま、グルグルと何度も何度も回った。


「やめてぇ〜! やめてぇ──! やめてぇ〜! やめてぇ──!」

 セフィールの鳥を締め上げるような絶叫が、際限なく甲板に響く。

 多分に空気が読めないラトリッジは、大喜びしているものと思い、絶叫がやむまで回ると、ようやく彼女を降ろした。


 セフィールは思い切りよろけ、ラトリッジの腰にもたれかけ、「うぉっ、うぉっ」とえづくと──、


「うおろおろおろおろぉ────!」


 ラトリッジのズボンに盛大にぶち撒けた。

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