猛将王シンバ

「さあ、皆さん参りましょう! さあ!」


 急かすジョアンヌに、三人は戸惑った。
 セフィールとキースは、まだ気持ちの準備ができていない。

 ルフィールは自分の身なりと、まだ気絶したままのピートを気にしている。


「あの〜、王女殿下、本当に今からなんですか? 夜中にその高速艇は出せるんでしょうか?」

 ジョアンヌは毅然と振り向く。

「大丈夫です! 我が海軍は何時でも出撃できるように訓練しております! 早くしないと父に勘づかれてしまいます」


 王女の気は変わりそうにない。

 セフィールたちは仕方ないので、動きながら考えることにした。

 キースがぐったりしたピートを持ち上げ、ルフィールがそれを手伝った。

「このボンボン、早く起きてくれねえかな」

 ピートを背負ったキースがぼやく。

 セフィールはジョアンヌを見上げる。

「ねえ、王女様はその格好でいいの?」

「ええ、いつでも出航できるように船には私の荷物が積んであるの。無駄にならなくてよかったわ」

 なんともお気楽な答えに、セフィールは、まあいいっか、と思った。


 ニジイロタカアシガニも食べられそうだしね!

 セフィールのお腹が、グウと大きく鳴った。

 せっかく食べた物を酒場でリバースしたせいだろう。


 部屋を出た四人は長い回廊を進んだ。

 先導するジョアンヌはどことなくうれしそう。


「それにしても、この王宮は衛兵をほとんど見ねえな」

 ピートを背負ったキースが、左右に首を振る。

 その独り言にジョアンヌが答える。


「キースさん、それはこの宮殿が堀に囲まれているからですよ。夜は橋を上げているので、空でも飛んでこない限り、何人もこの宮殿には侵入できません」

「お堀くらいなら、飛び越えられるんじゃありません?」とルフィール。

「いえいえ、とても大きな堀が宮殿をぐるりと取り囲んでいるの。それと、もう一つ……」

 そう言いかけ、ジョアンヌの足が止まった。

 どうしたのかとルフィールが前を見ると、回廊のずっと先に人影が見えた。

 灯りが乏しく顔は見えないが、その体は度を超して大きかった。

 大男である。

 ジョアンヌを見ると、顔が強ばっていた。


「あ……、あれは……、お父様……」

「えっ! 猛将王?」

 キースの足も止まり、顔も強ばる。

 大男は暗がりをずんずんと近づいてくる。巨体なだけにもの凄い速さだ。

 すぐに顔がわかるほどの距離になった。

 浅黒く分厚い胸肌が露出した服をまとい、その形相は怒れる虎のように恐ろしい。

 そして、両手に黒光りする半月刀を持っていた。

 大男はジョアンヌたちを一瞥してから、野太い声をあげた。


「お前たち! 私の娘をどうするつもりか? この宮殿で狼藉を働く輩は、理由を問わず即刻死罪である!」

 あまりの大きな声に驚き、セフィールとルフィールは肩をすくめ、その場で小さくなった。


 ジョアンヌが慌てて、大男に駆け寄った。

「お父様、違います! この人たちは私を……」

 大男ことサザンテラルの猛将王シンバは、ギロリと娘をにらむ。

「この者たちが、お前をどうすると言うのだ? 言ってみるがよい」

「そ、それは……」

 言いあぐねるジョアンヌに、セフィールが後方から援護した。

「ジョアンヌ王女はお兄様に会いに行くのよ!」


「なんだと……? もう一度申してみよ!」

 シンバ王が、セフィールに向かい巨体を揺らしながら向かってくる。

 セフィールはあまりの恐ろしさに足がすくみ漏らしてしまいそうだったが、虚勢を張り答える。

「王女はお兄様に会いに【はじまりの島】に行くの! 私がその案内をするの!」


「小娘よ、ふざけたことを言うのも大概にせよ!」

 半月刀を持った太い腕が伸び、セフィールの体を軽々とさらった。

 あっという間に彼女はシンバ王の肩に担がれ、人質となってしまった。

「こら! 降ろせ! 降ろしなさいよ!」

 セフィールがシンバ王の背中を叩くが、王は痛くも痒くもないようだ。


「お父様、その子を放してあげて!」

 ジョアンヌの悲痛な叫びを無視して、王は踵を返し、来た道を戻っていく。

 キースが慌てて、ピートを降ろし、それを追う。

「シンバ王、どうか話を聞いてください! 話せばわかります!」

「聞く耳は持たぬ。どこの馬の骨か知らぬが、我が宮殿に忍び込んだ不逞の輩は死罪と決まっておるのだ。これより、この小娘を処刑する」


「なんだって! ふざけるな! セフィールを放せ!」

 キースは王に体当たりした──。だが、腕の一振りではじき返され、よろめく。

 その隙に王は走り始めた。

 まさに猛虎の突進である。あっという間に遠ざかってしまった。

 残されたキースたちは、大慌てで走って追った。

 しかし、その距離は一向に縮まないどころか、どんどん開いていく。


 そして、ついに長い回廊が途絶え、外の景色が見えてきた。

 王が走るのをやめ、仁王立ちしているのが見える。

 セフィールは相変わらず、その肩の上でジタバタしている。


 しばらくして、キースたちが追いつくと、シンバ王は彼らを見て太太しく笑った。

「遅い、遅い! もたもたしていると、この小娘が大ワニザメの餌になってしまうぞ!」

 王が半月刀を捨て、セフィールを両手で高々と持ち上げた。


 キースは王の背後に大きな堀を見た。

 それは広大な堀で、暗がりの中、真っ黒な水面がどこまでも続いている。

 その水面全体が不規則に波打っている。なにか巨大な生き物が無数にうごめいているようだ。


「お父様、お戯れはもうやめてください! その子を早く放して!」

「ジョアンヌ、ならば訊くが、兄に会いに行くのはもう諦めると申すのか? あんな我が王家を捨てた男など、もう家族でもなんでもないわ!」

「いいえ、お父様。私は諦めません。兄には私の婚礼にも出て欲しいと思っています」

「お前、なにを……」

 怒気をはらんでいた王の表情がふと緩んだ。

 ジョアンヌは父の膝元にすがりつく。

「私が兄を連れ返します。だから、お父様、その時は兄とどうか仲直りしてください」


 王はしばし石像のように突っ立っていたが、やがて、セフィールをゆっくりと降ろした。

 セフィールはよほど怖かったのか、その場にへたり込んだ。


「お父様、わかっていただけたのですね?」

 ジョアンヌが父を見上げ、涙目で笑った。

「ああ、わかった。だが、まだだ」

 王が床に転がる半月刀を拾い上げる。


「この小娘たちが、我が愛しき娘を島へと導くと言う。ならば、お前たちが我が娘を託すに足る者か試してみる」

「お父様、なにを!?」

「なに簡単なことよ。あの男の腕を試すだけだ」

 王が手にした半月刀を一本、キースに放り投げた。

 キースはそれを受け止め、うめく。

「……重てえ刀だな」

「ならば、もっと軽い剣を用意してもかまわぬぞ」

「いや、大丈夫だ」

 キースはそう言うと、刀を軽々と振り上げた。

 それを見て、王が目を細める。

「ほう、なかなか腕が立つようだな。では、参るか!」


 言うと同時に二人が動く。

 キースは疾風の如く、王の背後に走り抜けた。

 王は独楽こまのように素早く旋回し、斜めに刀を振り下ろす。

 キースは地面スレスレまで身をかがめ、それを避け、王の足下を斬りつける。

 それを驚くべき跳躍でかわす王。

 今度は上空から半月刀がキースに迫る。

 まともに受け止めては体格差で不利と、斜めに受け、相手の力を利用して横に逃げる。

 そのあとも、同じような攻防が何度も続いた。

 勝負はシンバ王の攻勢で、キースは守り一辺倒だ。


 文字どおりの真剣勝負だ。

 それを見守るセフィールとルフィールは気が気でない。

 疲れ知らずの王は、嬉々とした表情で、闘いを楽しんでいるようにしか見えない。

 キースは大きく間合いを取り、肩で息をし始めた。

 思いつめたような表情で刀を握り替え、王に向かって突進した。

 王もそれに反応し、迎え撃つ──。


 その二人の間にジョアンヌが飛び込んだ。

「もうやめて!」


 王女を挟み、二人の動きが止まる。


「ジョアンヌ、そこをどけ! まだ勝負がついておらぬ」

 不敵な笑みを浮かべた王が、娘に告げる。

「いえ、充分です。二人ともよく闘われました。それに……」

「それになんだと申すのか?」


「お父様の負けです」

「……!」


 娘になにか言い返そうとしたシンバ王は、背後からの殺気に気付いた。

 首だけで振り返ると、すぐそこに男がいた。

 牧師風コスチュームの男だった。

 男の手のナイフが、王の後頭部に突きつけられている。

 王は脱力したように、半月刀を投げ捨てた。


「わはははは! 確かに私の負けのようだな。かような殺気に気付かぬとは少々油断が過ぎた」

 大音声で笑うシンバ王。


 キースも刀を投げ捨て、その場にしゃがみ込んだ。

「疲れた上に、いいとこをピートにかっさらわれちまった……。あーあ、もうやってられねえ」


 セフィールとルフィールがキースに駆け寄る。

 キースの肩や背中を二人がポンポンと叩いてねぎらったあと、ルフィ−ルが王に向かう。

「私たちは四人でジョンアンヌ王女をお守りします」

 王は身を小さくかがめ、セフィールとルフィールの頭を大きな手のひらで撫でた。

「よしわかった。お嬢ちゃんたち、我が娘をよろしく頼むぞ」

 ルフィールは笑顔だが、セフィールは怒っているようだ。

「王様、さっきは私を殺そうとしたくせに!」

「わははははは、あれはお前たちを試すためだ。許せ」

「まあ、いいよ。もう復讐はしたから。あとでお風呂に入ったほうがいいよ」

 セフィールの言葉の意味がわからず、王が戸惑うが、セフィールは笑うだけだ。


 ちびったのは、王様のせいだからね。

 セフィールは人知れずペロリと舌を出した。


「ところで、そこの浅黒い肌の男よ。お前の生まれはどこだ?」

 王がしゃがみ込むキースに問いかけた。

「俺はトライ・ラテラルだが、父がこのサザンテラルの生まれだ」

「ほう、で、お主の名前は?」

「キース・ゴドフリーだ」

 王は得心したように何度かうなずき、キースの手を握り立たせた。

「ゴドフリーよ。我が娘を頼む」


「では、お父様、私は兄を捜しに行ってもよいのですね」

 ジョアンヌが祈るように手を合わせ、王の前に立つ。

「無論だ。この者たちならお前を任せられよう」

「ありがとうございます! お父様!」

 王女が父の太い腰に抱きついた。

 その様子を見ていたセフィールたちから、思わず笑みがこぼれる。


 ルフィールは憮然とした顔で、ピートの背中を叩いた。

「今日のピートの過ちは、特別に許してあげます」

「え、許すとは? なにかやらかしました? 私?」

 きょとんとするピートであった。


 そこに朗々とした声が響き渡る。


「我が愛しき娘よ! さあ、行くがよい! そして、兄と共にここへ帰れ!」


 シンバ王が、暗い堀の遙か先を指さした。

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