王女の願い事
浴場から出たジョアンヌは、セフィールとルフィールに話があると言う。
セフィールとルフィールはジョアンヌと並んで、太い柱が延々と続く回廊を歩いた。
セフィールの横を歩く妹は、ジョアンヌに用意してもらった真新しい着替えに上機嫌だ。
「ほらほら、見て見て! お姉様、とっても素敵ですわ」
ルフィールはドレスのスカートをひるがえして、何度も回る。
「うれしいのはわかるけど、歩きながらクルクル回ると危ないよー」
無邪気にはしゃぐ妹に、セフィールは苦笑い。
「だってうれしいじゃありません? こんなきれいな格好、久しぶりですし」
ルフィールは本当にうれしそう。
そんな二人の様子を微笑みつつ見守っていたジョアンヌが、声を掛けた。
「ルフィールちゃん、そんな服しかなくてごめんなさいね。子ども用の服があまりなかったの」
クルクルと軽快にステップを踏んでいたルフィールの足がピタリと止まった。
喜色満面だった表情が一瞬にして消え失せる。
「いえいえ、とーんでもないです。ジョアンヌ王女、ぜっんぜん気にしてませんわ。それと、ちゃんづけなしで呼び捨てで構いません」
そう言うと、ルフィールはつかつかと二人の先を早足で歩いていってしまった。
そんなルフィールのこめかみに青筋が浮かぶのを、セフィールは見逃さなかった。
「どうしたのかしら……?」
不思議そうに首を傾げるジョアンヌに、セフィールが小声でささやく。
「ジョアンヌ王女、気にしないで。妹はいつもあんな感じなの。気分屋っていうのかな」
「気分屋さん? 私、なにか失礼なこと言ったかしら……」
もちろん言いましたとも、と言えず密かにニヤリとするセフィール。
三人はそのあと、会話もなく回廊を進んだ。
しばらくすると、明かりの灯った入り口から、男の話し声が聞こえてきた。
近づくに連れ、その声は大きくなった。
「なあ、キースよお、きれいな姉ちゃんとか呼ぼうぜ。王宮だし、わんさかいるに違いないしさ」
その声を聞いた途端、早足だったルフィールはとうとう走り出し、その部屋へ飛び込んでいった。
「今度はなにかしら?」
また不思議そうに首を傾げるジョアンヌ。
「今度も気にしないで……。いつものことなので」
セフィールは部屋に入るのをためらったが、王女は言われたとおり、気にせず入っていった。
セフィールも仕方なく入ると、そこは衛兵の控え室のような場所で、テーブルを挟んでキースとピートがいた。
そのテーブルの上には酒瓶がいっぱい転がっていた。
ピートはいつもの牧師風コスチュームでなく、黒のズボンに白シャツといったラフな格好。
キースも同じ格好で、苦々しい顔でピートと向き合っている。
ルフィールはピートの横に仁王立ちして、ピートをにらんでいる。
ピートはそんな彼女に、
「こんな色気のない子どもを誰が呼んだんだ。子どもはとうにお寝んねの時間だろう」と素っ気ない態度。
その顔は酒気で真っ赤だ。かなり酩酊しているようである。
「ピート! 私はルフィールです。しっかり、こっちを見なさい!」
「ルフィールぅ……? 誰だったっけ……? ……あ、ああ、あの小うるさいガキか。で、そのガキが俺様に何の用だ?」
「……!!」
ルフィールの顔もみるみる真っ赤になっていく。
そんなやり取りに呆然と立ち尽くしているジョアンヌの袖を、セフィールが引いた。
「ねえねえ、ピートの服はどうしたの?」
「ああ、あの人たちの服なら、汚れてたから洗濯に出すように言っておいたわ」
「あちゃー、じゃあ、まだ乾かないよね……」
セフィールに気付いたキースが、声を掛ける。
「セフィール、体の具合はどうだ? 大丈夫か?」
セフィールは彼の横に行き、肩を叩いた。
「うん、私なら大丈夫。それより、キース。ピートはどうなの?」
キースはげんなりした様相で、頭を掻いた。
「どうなのって、いつものとおりさ。今日は酒もいっぱいあるし、言いたいこと言わせて酔い潰しときゃいいかなって思ってたんだが。やっこさん、なかなか、潰れてくれねえな」
そう言い、キースがピートに目を戻した時──、
バコン!
と鈍い音がした。
見ると、ルフィールが椅子を抱えていた。
どうやら椅子の脚で、ピートの後頭部を引っぱたいたようだ。
そのピートはテーブルに頬を貼りつかせ、白目を剥いて気絶している。
「突撃銃があったら、銃剣で背中から刺し殺しているところですわ」
ルフィールは汚物でも見るような目で沈黙したピートを睥睨し、鼻息荒くそんな言葉を吐き捨てた。
セフィールがジョアンヌを見ると美しい顔が引きつっていた。
とんだ難民を王宮に連れてきてしまった、とでも思っているのだろう。
「ジョアンヌ王女、私たちにお話があるのでしょ? さあ、始めましょう」
生ける屍となったピートの横に座るルフィールが誘う。
「ええ……、そうね、じゃあ、始めましょうか……。あの……、ピートさんは大丈夫かしら?」
「このバカの頭なら、装甲車並に頑丈なので大丈夫ですわ。うるさいから、しばらく眠っててもらいましょう」
野菜でも叩くように、パンパンとピートの頭を叩くルフィール。
セフィールとジョアンヌも腰掛け、四人とバカな屍一体はテーブルを囲んだ。
ジョアンヌはすっかり動かなくなったピートをじっと見つめていたが、気を取り直し、おもむろに話し始める。
「実はあなたたちにお願いがあります」
「お願い?」と三人が一斉に返す。
「はい。本当はセフィールさん一人になのですが、そういうわけにもいかないでしょうから、四人にお願いしたいのです」
「王女様が、私にお願いってなに?」とセフィール。
「ちょっと面倒事なので、とても頼みにくいのですが、私と一緒に行ってもらいたい所があるのです」
「それで、王女殿下、その行ってもらいたい所ってのは?」
キースが飲みかけの酒を傾けながら訊く。
「それは、今日酒場でセフィールさんに見てもらった地図の島です」
「地図の島?」
キースが目を丸める。
「キースさんはあの場にいなかったから知らないですね。ちょっと待っててくださいね」
そう言い、ジョアンヌは部屋を出た。
しばらくして戻ってきた彼女は丸めた紙を持っていた。
「それは、あの時の古地図ですね」とルフィール。
「ええ、そうです」と地図をテーブルに広げる王女。キースには初めての地図だ。
キースが地図をのぞき込む。
「なんだ、こりゃ? チンケな文字が並んでるな。なんて書いてるんだ?」
「実はセフィールさんが、この文字を読んでくれたのです」
「えっ! セフィールがこの文字を?」
驚いたキースが横を向くと、「へへっ」とセフィールが鼻の下を指で擦った。
「どうして、お前がこの文字を読めるんだよ?」
「うーん……、わかんないけど、読めちゃった」
「知らない間に勉強したとかじゃないよな。勉強嫌いのお前がそんなのありえないしよ……、痛ぇっ!」
セフィールに思い切り足を踏まれ、うめくキース。
「ほんと、理由はわからないけど、読めちゃったの!」
「不思議なこともあるものですわ。私は全然読めませんのに」
ピートの頭に手のひらをのせたルフィールがぼやく。
「本当かよ?」
半信半疑のキースに、ジョアンヌが答える。
「間違いありません。私の恩師の考古学教授も太鼓判を押しています」
「マジなのか……。世の中には不思議なこともあるもんだな。まあ、ちょっと変わったヤツではあるがな……、痛ぇっ!」
涙目のキースが地図に視線を流しながら問う。
「で、その行ってもらいたい所というのは……?」
ジョアンヌが立ち上がり、地図の島の上に手を置いた。
「それはこの島、【はじまりの島】です!」
キースが目をこらして地図の島をのぞき込む。
どう見ても、そう広くもなさそうなただの島だ。
「王女殿下、この島になにかあるんですか?」
「実はこの島に私の兄がいるかもしれないのです」
「王女殿下のお兄様が……? その島に?」
「はい、私の兄は考古学を学んでおり、世界中の遺跡などを旅しているのです。それが、ある時からパタリと連絡が途絶えてしまって……」
ルフィールが二人の会話に割り込んだ。
「王女様のお兄様といえば、王子様ですよね? そんな身分の方が世界中を旅しているのですか?」
「ええ、兄は王室や王族のことなど一切興味がなく、この世界の謎をとき明かすことしか頭にありませんから」
「この世界の謎ってなに?」と今度はセフィール。
セフィールの問いにジョアンヌは立ち上がり、テーブルの上にすっと両手を差し伸べ、手のひらを向かい合わせた。
すると、彼女の両手の間に仄かな紅い光が生まれた。
その光が揺らぎ始めると、テーブルの上の地図がバサバサと音を立て、波打ち始めた。
風が起きているのだ。
「なんだこりゃ!」
奇妙な現象にキースは椅子を引き、テーブルから遠のいた。
セフィールとルフィールは驚きを隠せず、口をポカンと開いている。
風は徐々に強くなり、みんなの髪や服も風になびき始めた。
「このくらいでやめておきましょう。私はまだ、この力の制御ができませんので」
ジョアンヌが手を戻すと、光は消失し、風もやんだ。
「そ……、それはもしかしたら魔力なのですか?」
いまだ驚きが冷めやらぬ表情のルフィールが問う。
「そうとも言いますね。まだ私がこの力を手にしてから、それほどたってはいませんが」
「これが正統三十三王家に受け継がれる魔力という物なのか。本当にあるんだな。初めて見たぜ」とキースも驚きを隠せない。
セフィールはよほどびっくりしたのか、首が前のめりになり固まっている。
「兄が世界中を回っているのは、この力の起源である
「
「ルフィールちゃん……。いや、ルフィール、そのとおりです。兄は創造主の正体が知りたいのです」
「そりゃあ、大変なことだな。誰もこれまで解明できなかったことだし、下手すりゃ、聖教徒の連中からにらまれちまう」
「そうなのです。まあ、兄は元来気長なので一生を賭けて、その謎に挑むつもりなのでしょう」
「ということはだ……」
キースが椅子ごとにじり寄って、テーブルの上の地図をバンと叩いた。
「この島にその謎をとく秘密があるってことだな」
「そのとおりです、キースさん。あなた方に同行して欲しいのは、この文字を読みとくことができるセフィールさんが必要だからです」
その言葉にキースがセフィールを見ると、彼女は先ほどジョアンヌがしたように両手をテーブルの上に差し伸べている。
その顔はいつになく真剣で、かなり集中しているようだ。
そんなセフィールの背中をキースが叩いた。
「おい、セフィール。お前にゃ無理だ。やめとけ、恥ずかしいから」
声を掛けられ、セフィールは我に返り、手を引いた。
「そうだね……。私たち、王家じゃなくて、ただの難民だもんね。ははは」
その言葉にセフィール、キース、ルフィールの三人が笑った。
ただジョアンヌだけは笑いもせず、そんなセフィールをじっと見ていた。
キースが居直り、ジョアンヌに問う。
「それで、俺たちに行って欲しい、この島ってのはどこにあるのですか?」
「はじまりの島は、南大深度海の中心にあると言われています」
「南大深度海の中心!?」
キースたち三人は驚きの声をあげた。
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