セフィールの異変

 フロアをつん裂く銃声に、ルフィールは慌てて両耳を覆い腰を落とした。

だが、しっかりと目だけは走るキースとピートの姿を追っていた。


 幸い咄嗟に銃声に反応した彼らは、俊敏に床に転がり第一掃射を逃れた。

 ルフィールは耳から手のひらをはずし、テーブルの下から目だけ出して様子をうかがう。

 流れ弾に撃たれた客のうめき声が、あちこちから聞こえてくる。


 銃を持った黒装束たちは、テーブルの陰に消えたキースたちの行方を追い、移動を始めた。

 巨漢がいち早くキースの姿を捉え、銃を持つ太い腕を伸ばした。


「私のキースになんてことするの!」

 その腕に、そばにいたセフィールが飛びつき噛みついた。


「痛ぇ! このメイドの小娘が! 邪魔すんな!」

 巨漢が豪腕を振り回し彼女を薙ぎ払う。


 小さなセフィールはいとも簡単に振り払われ、テーブルに背中からぶつかり悲鳴を上げた。

 その隙にキースが、顔を上げ起き上がろうとしたが──。


 ◇◆◇


 巨漢は腕を一直線に伸ばし、男に向け銃を向けた。


「あばよ。お前に恨みはないが、国のためだ」


 引き金に力を込めようとした瞬間──。

 一陣の風が吹き抜けた。


 極北の海に飛び込んだかのような、絶対的な冷気に巨漢は引き攣るように息を飲む。

 驚きの声も出せず、目だけを動かす。


 自分が撃とうとした男は顔を強張らせたまま、こっちを凝視して固まっている。

 その周囲の者もそれぞれの姿勢でピクリとも動かず、まるで蝋人形館にでもいるようだ。


 その中、視界の端に光を感じた。

 凍えた首をかろうじて動かし、その先に目をやる。


 つい今し方振り払った少女の体から、淡く青い光が陽炎のようにゆらゆらと立ち昇り揺れている。

 少女の射抜くような目が、こっちを捕らえる。

 その視線にただならぬ戦慄を覚え、逃げようとするが石にでもなったかのように体が動かない。

 少女の口が動く。


重力歪曲崩壊グラビティディストーション


 その声と同時に、手の銃が音もなく一点に吸い込まれるように収縮していく。


 次の瞬間──、


 巨漢の意識は飛んだ。


 ◇◆◇


 キースは、撃たれることを覚悟した。


 致命傷から逃れることのみを意識し、身を急激に捻る。

 腕がテーブルに激突し、思わずうめく。


 ところが、不思議なことに一向に銃声がしない。

 痛むのも今ぶつけた腕だけだ。


 銃がジャムったか!


 そう心で叫び、己の幸運を噛み締め、

 跳ね起き、巨漢に向け、拳を上げ、その腕を振るった。


 が──、その拳は見事に空を切った。


 惚けたように辺りを見回すと、巨漢は頭から床にめり込むような姿でぶっ倒れていた。

 しかも、その他の黒装束たちも全員思い思いの格好で床に突っ伏している。


 いったい、なにがあったんだ?


 キースが黒髪をむしるように掻いていると、横から声がした。


「キース、これはいったいどういうことでしょう?」


 相棒のピートだった。

 彼も今の銃撃を掻い潜ったらしく、負傷した様子はない。

 二人して首を傾げていたところへ、女の声。


「あなたたち、この女の子を!」


 見ると、大層な美人が倒れたセフィールを揺すっている。


「セフィール! 大丈夫か!」

 キースはセフィールに駆け寄った。


 ◇◆◇


 ルフィールは自分の目を疑った。

 姉が巨漢に飛びつき、振り飛ばされた辺りから記憶が怪しいのだ。


 そのあと、巨漢はキースに向けて銃を構えたような気がしていたが?


 その巨漢だけでなく、押し入った黒装束たちはことごとく床に倒れている。


 キースたちが倒しちゃったの?


 それにしては、その光景を全然憶えていない。

 ぼうっと突っ立っていたら、ピートが自分を見つけ早足で寄ってきた。


「ルフィール様、お怪我は?」


 その声に安堵し、頭のカチューシャと身につけたメイド服を整える。


「私は大丈夫ですわ。それよりお姉様は?」

「セフィール様なら、キースがあちらで」


 ピートの指す先で、キースとジョアンヌ王女が倒れたセフィールを介抱している。

 ルフィールも手伝おうと急ぐ。


「キース、お姉様は大丈夫ですの?」

「ああ、大丈夫のようだが……。なあ、ルフィール、さっきこいつがそこの巨漢に飛びついた辺りまでは憶えてるんだが、その先ってどうなった?」

「お姉様が振り飛ばされたのですよね」

「そうそう。だが、俺の訊きたいのはその先だ。ピートもわからねえらしい」

 横に立ったピートがそれにうなずく。


「ピート、そうですの?」

「はい、ルフィール様。聖従者ホーリースクワイアともあろう者がまったく面目ないことです」

「そうですの……。では、ジョアンヌ王女はどうでしょう?」


 ルフィールの言葉にキースとピートが顔を見合わせる。

「ジョアンヌ王女……?」

「ええ、このお方は、この国のジョアンヌ王女ですわ。あなたたち、先ほどの話をカウンターの裏で聞いてたんじゃありませんの?」

「いや、俺はセフィールの声がしたんで、そっちにフライパンぶん投げただけなんだけどな……」

「キースに同じく……。ルフィール様、これまた誠に申しわけありません」


 ジョアンヌが立ち上がり、三人を見やる。

「まあよいではありませんか。それよりあなたたち、警護兵と救護兵を呼んでいただけませんか? この暴漢たちを連行しなければいけませんし、客とこの女の子を救護しないと」

「了解しました! 電話してきます」

 ピートが走っていく。


「それで、ジョアンヌ王女殿下……ですか? こいつらはどうしてぶっ倒れてるんですか?」


 キースの問いに、王女の顔は冴えない。

「それが……、実は私にもわからないのです。青い光を一瞬見たような気もするのですが……、気のせいかしら? それよりここ、なんだか寒くありません?」

「そういえば、確かに寒いですわ。ク、クシュッ!」

 ルフィールは小さくクシャミをして、ぶるぶると震えた。


 キースはしゃがみ込んで、床に倒れた巨漢の顔をのぞいた。


「こいつ恐い物でも見たように、目をひん剥いてるよなあ。図体がこんなに床にめりこんでるし……。ところで、持ってた銃はどこに行ったんだ……?」


 その言葉にジョアンヌが眉根を寄せ、つぶやく。

「これは……、もしかしたら……。魔力……?」

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