働いてもやっぱり、吐く

 勝手口から店を出たキースとピートは、路地裏に面した塀の隙間に身を隠しながら進んでいった。

 南国のうだるような暑さのせいか、ゴミ置場から漂う残飯の強烈な匂いが鼻を突くが、二人はグッとこらえる。

 キースは塀の破れた箇所から黒装束の男たちを観察した。

 よく見ると、黒装束とはいっても、黒いシャツに黒いミリタリーパンツで顔に好き好きにペイントしているくらいだ。装備も軽装で銃を持っている者は見当たらない。


「なんだか、これまでとは勝手が違うようだな……。そうだな……。手短に言うと、あまり強そうには見えない」


 ピートはフライパンを口元に寄せ、声を落としてそれに答える。

「要員は現地調達に切り替えたんじゃないでしょうか……」


「ありえるかもな。ギルモア卿も精鋭ばかり送りこんでたんじゃ、本国が手薄になっちまうだろうしな」

 キースの脳裏にギルモア卿の太々しい顔がよぎったが、喝を入れ、その忌まわしき映像を吹き飛ばした。


「キース、それでも油断は大敵ですよ。ルフィール様たちの所へ急がなければいけませんし」

「そうだな、チャチャッと片づけるか!」

 その声を合図に塀を飛び越え、路地に躍り出る二人。


 二人の突然の出現に驚いた数名を、キースはフライパンで横薙ぎに一斉に殴りつけた。

 小気味よい打撃音と共に、バタバタと黒装束が昏倒して道に転がっていく。

 同じくピートも後衛にいた数名を演舞を舞うようにフライパンで倒していった。


 無線機を持った男が交信し始めたので、キースはナイフを投げて無線機を叩き落とす。

 その男に駆け寄り、すかさず後ろから首を締め上げ、尋問する。


「おい! お前ら、誰に頼まれた! 答えないと、ちょっとだけ天国を拝むことになるぞ」


 男は血走った目を剥き、ジタバタと手足を動かしていたが、キースがさらに力を入れたところ、おとなしくなった。


「いけね! 天国の門、くぐっちゃった?」


 慌てて手を緩めたら、その男はズルズルと死んだ魚のように地面に転がった。

 男を見下ろすと、息はまだあるようで、シャツの胸の辺りが動いている。

 その胸には『サザンテラル解放戦線』と書いてある。


 倒れた男に黙祷していたピートがつぶやく。

「サザンテラル解放戦線ってなんでしょう?」

「さあ? この国の名前だし、ゲリラかなんかだろう。それにしてもひどく弱えけどな」

 キースは無線機に突き刺さったナイフを回収しながら、肩をすくめた。


 ◇◆◇


 入り口から黒装束の男たちが次から次へと流れこんでくる。

 その様子を見た客が怒号や悲鳴を上げ、店内は騒然となった。

 総勢十名ほどの黒装束は入り口の扉をふさぐように横一列に並び、人の壁となった。

 その半数くらいは、見せつけるように自動小銃を胸の前にかざしている。

 その中、群を抜く巨漢が一歩前に出た。

 浅黒い顔の中、爛々と輝く目が威嚇するようにフロアの客をなめ回す。


「我々はサザンテラル解放戦線である! 裏口は既に制圧している。お前らに逃げ場はない! 騒ぐ者、動く者は容赦なく撃つ!」


 その一喝に客の大声で満ちていたフロアが瞬時に静まり返った。


 ルフィールはフロアの中央で凍りついたように立ち尽くしていた。

 ギルモア卿の差し向けた殺し屋が来たと思ったのだ。


 キースとピートは調理場だし、フロアを見回してもセフィールの姿が何故か見当たらない。

 ちょっと前まで姉がいたはずのテーブルでは、例の男女二人が黒装束の男たちを凝視して、緊張している。


 あの、バカ姉はこんな非常時にどこに行きましたの?


 ルフィールは息を飲み、頭を巡らし調理場のほうへと目をやった。

 調理場は通路の先の壁越しにはなるが、先ほどくらいの大騒ぎとなれば、さすがに聞こえているはずだ。


 ピート、お願い! 早く来て!


 ルフィールが目をグッと閉じ、願いを込めたまさにその時──。


「らっしゃいませ〜。お客様は何名様でしょうかぁ? ヒクっ! 禁煙席はぁ、当店はございませんですよぉ、ヒクっ! それで、よろしいっすかぁ? ヒクっ!」


 トイレのほうから現れたセフィールがひょこひょこと黒装束の巨漢に歩み寄り、中途半端なお辞儀をした。


 巨漢は突然現れた女の子に戸惑っているのか、口を半開きにして、彼女をただ見ている。

 セフィールはといえば、トロンとした目で、口がにやけている。


「本日はぁ、食べごろの生ぐさい魚のゲロがぁ、大漁のニジイロバカアシガニとぉ、ヒクっ! あいまって、季節の旬で、ころ合いのオススメですよぉ。ヒクっ!」


 意味不明の口上をひとしきり聞いた巨漢は、夢からさめたように表情が引き締まった。


「なに言ってるんだ、この小っこいメイドは? ちょっと来い!」

 男の太い腕に引き寄せられ、セフィールが捕まってしまった。


「ウグッ! あっ、あっ! お客様! あんまりお腹を押すと、出るっ! 出ちゃう!」

「出るって、なにがだ? 黙って人質になってろ! このメイド風情が!」

「ちょ、ちょっと、待って! ダ、ダメだってば! タンマ! タンマ!」

「やかましいメイドだな! ジタバタしないで、じっとしてろ!」

 巨漢はさらに腕に力を込めた。


「グフッ! ぐはあああぁぁぁっ! うおろろろぉぉぉ──」


 ついにセフィールがリバースした。

 巨漢の太い腕と床は吐瀉物でベチャベチャだ。

 巨漢は鬼のような形相でセフィールを見下ろしたが、彼女はといえば、ぐったりして身動き一つしない。


 ルフィールはそれを見て怖気が走り、鳥肌が立った。

 お姉様の空気読めないっぷりは、対戦車地雷級ですわ……。


 思いがけず汚れてしまったが、人質がおとなしくなったのを機に、巨漢が顎で隣の角刈りの男に指示を出す。

 角刈りが前に出て、自動小銃を天井に向けて片手で掃射した。

 照明が砕け割れ、天井から木くずがパラパラと舞い落ちる。

 店内は再び緊張に包まれた。


「続けろ!」

 巨漢に促され、角刈りはフロアをぐるりと見回してから声をあげた。


「この中にジョアンヌ王女殿下がいらっしゃるはずである。

 我々は殿下を保護するためにここに参上した。

 我々、サザンテラル解放戦線は、王女殿下と序列第七聖位のイーステラル国皇太子とのご成婚に断固反対する。

 この暴挙は我がサザンテラル王国を彼の国イーステラルの属国へとおとしめるものに他ならない」


 角刈りの口上に次いで、巨漢が腰のホルダーから拳銃を取り出し、セフィールの頭に突きつけた。

 そのセフィールは意識でも失ったのか、沈黙したまま、まったく動かない。


「さあ、ジョアンヌ王女殿下、ここに出てきていただきたい。我々は決して手荒なことをするつもりはない。殿下を保護したら、ここから速やかに撤収する」


 姉が銃を突きつけられ、ルフィールの顔は青ざめた。

 男たちは自分たちへの殺し屋ではなかったものの、これでは同じことだ。

 しかし、武器・・も持たない今の自分には手出しのしようがない。


 キースとピートはなにをしているのか一向に現れない。

 ただ状況を見守るしかない自分を腹立たしく思い、拳を握り締めた。

 もはや、これまでかとルフィールの心が折れかけた時──、

 一人の女性が立ち上がった。


「あなたたち! 今すぐ、そのお嬢さんを放しなさい!」


 見ると、さっきまで姉と一緒にいた怪しいマスクの女性だった。

 その女性はマスクをゆっくりとはずした。

 彼女の顔があらわになると、店内のそこかしこから驚嘆の声が湧き上がった。


「あれはジョアンヌ王女じゃないのか?」

「こんな場末の酒場に王女殿下がどうして?」

「おお、ジョアンヌ王女にこんな場所で出逢えるとは、なんという僥倖ぎょうこうであることか!」


 王女と呼ばれるその女性は、それらの声に動ずることなく歩き始める。


「なにをしているのです。私、ジョアンヌはここにいます。そのお嬢さんを解放しなさい!」


「殿下!」

 同席していた男性客が呼び止めたが、ジョアンヌは黒装束の一団に確実に近づいていった。


「おお、これはこれは、まさしくジョアンヌ王女殿下。では、我々とご一緒に参りましょう」

 巨漢は恭しい声音で頭だけ下げると、セフィールを手放した。


 と──、セフィールがカウンターに向かって、大声で叫んだ。


「キース! 今すぐ来なさい!」


 その叫び声と同時に、二つのフライパンが飛んできて、巨漢と角刈りの頭を直撃した。

 角刈りはのけ反ってぶっ倒れたが、巨漢は苦々しい顔で頭を振るだけだった。


 その隙に、カウンターから飛び出したキースとピートが疾風のごとくフロアを駆け抜ける。

 黒装束の男たちがキースたちに向けて、自動小銃を構える。


「畜生! 邪魔者は撃ち殺せ!」

 そう叫ぶと、巨漢も素早く体制を整え、銃をキースに向け、引き金を引いた。

 轟音が酒場に鳴り響いた。

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