没落王女、酔っ払って消える
セフィールは男性客と女性客に執拗に引き止められ、結局そのテーブルに同席することになった。
ルフィールも姉と地図のことが気になったが、二人ともさぼるわけにはいかず、仕事に戻った。
セフィールはマスクをした怪しい女性客の横に座った。ところがどうにも、気を抜くと眠気が襲ってくる。
テーブルの上には濡れてヨレヨレになった地図が広げられ、それを取り囲むように清涼酒の入ったジョッキや小料理が並んでいる。
セフィールは襲い来る眠気に耐えながら、彼女たちの話を聞いた。
「君はどうしてこの文字が読めるのだ?」
気難しそうな男性客が向かいの席から尋ねてくる。
頭は白髪混じりだが綺麗に整えられ、皺のない白シャツに革製のベストと、身なりはきちんとしている。背筋は行儀よくピンと伸び、先生か学者のように見える。
セフィールは眠い目を擦りながら、問いかけた。
「おじさんは学者さんなの?」
男性客はいかにもといった感じで胸を張り、鷹揚に答えた。
「ああ、そうだとも。私は王立大学で考古学を教えている」
「へえー、大学の先生なんだ。すごーい」
男性客は一つ咳払いをすると、まんざらでもない顔をして目を伏せた。
男性客の素性がわかったので、今度は女性客もと思い、横を向いたが、彼女はうつむいて目を逸らした。
じっと、彼女を見てみると、足元まで覆ったコートで服装はわからないものの、髪や耳につけた飾りや化粧の具合から、どこか高貴な雰囲気が漂ってくる。
こういった人種をセフィールは、自分の国でもよく目にしていた。
肌が露わになっている腕を見ると、仄かに褐色で、この辺りでよく見かける人種であることがわかる。
さらに食い入るように見ていたら、男性客が咳きこんだ。
だが、どうもわざとらしく、セフィールの関心を逸らそうとしているようだ。
「ごほっ、ごほっ! 君、君! 先ほどの質問の答えがまだなのだが……」
「えーっと、なんだっけ?」
「君がどうしてこの文字が読めるのか、ということだよ」
その言葉にセフィールは改めてテーブルの地図を眺めた。
地図自体は何の地図だかさっぱりわからないが、周囲に書いている文字は苦もなく読むことができた。
その文字はこの世界の共用語であるアルファベティカより種類が圧倒的に多いみたいで、様々な形の文字が並んでいる。
「読めるけど、どうしてかはわかんない。どうしてだろう?」
「君、島の形で、この島の名前がわかっただけなんじゃないだろうね?」
「いや、そんな島、知らないもん」
と──、ここまで静観していた女性客が口を開く。
「では、お嬢さん、とりあえずここに書いていることを、そのまま読んでいただけませんか?」
とても上品で澄んだ声だった。
短い言葉だったが、ゆったりとした語り口に高貴な気配を感じる。
やはり、この女性は貴族かなにかなのだろうとセフィールは思いつつ、地図をのぞき込み、そこにある文字を読み始めた。
◇◆◇
キースは調理場から食材を取りに勝手口を出たところ、異変に気付いた。
急ぎ足で調理場に戻り、ピートの肩を叩いた。
「ピート、どうも囲まれたようだ」
その言葉にピートが何気ない素振りで窓から外をのぞくと、黒装束の男たちが数人、手信号で合図を送りあっていた。その指先の一つがこの酒場を向いていた。
無線機のようなもので話している者もいるようだ。長く銀色のアンテナが街灯を反射して光っている。
「ピート、奴らは銃を持ってるか?」
「ここからじゃわかりませんが、持ってないほうが変でしょう」
「だよな。そろそろ見つかるころかもしれないとは思っていたが、今回は案外と早かったな」
「では、キース。準備しましょう」
その声を合図に二人は素早く調理帽と前掛けを脱ぎ捨て、調理場にあるナイフとフライパンを共に手にした。
「銃がなけりゃ、楽勝なんだがな」
中腰で勝手口に近づきながら、キースがピートにウインクした。
前掛けを脱いだピートはいつもの牧師風コスチュームで、胸から聖印を取り出し、黙祷していた。
それを見たキースが、
「いちいち聖職者さんは大変だな。たまには省略したらどうだ?」と皮肉る。
「いえいえ、万が一でも地獄には堕ちたくありませんからね。これまで
「ああ、そうかい。じゃあ、不信心な俺なんか地獄行き確実だけどな」
「ご心配なく。キースの分も毎回ちゃんとお祈りしてますよ」
「さすが、俺の相棒だ。いつも、ありがとよ」
キースとピートは互いに見つめあい、ニヤリと一笑いしてから、勝手口を開けた。
◇◆◇
「はじまりの島、我々は天よりここに降り立ち、久遠の平和をこの新世界に流布せしめん。
我々はこの地を聖なる地と定め、一切の災厄を祓うべく、子々孫々に至るまで何人たりとも、この地への回帰を禁ずるものとする。
その
ただ、我々の聖なる濃き血を受け継ぐ者、その者が大海を渡る時、漆黒の海は島への道を指し示すであろう」
地図に書かれた文字を読み上げたセフィールは「ふう」と一息ついた。
喉が渇いたので手元にあった飲み物を無意識に一気に飲み干した。
すると、胃がカッと燃えるように熱くなり、頭の血が一瞬で沸騰するような感覚がした。
なんか、体がビリビリ痺れて、すげー、いい気分!
セフィールの口元がへにゃと歪んだ。
そんなセフィールの異変には気付かず、二人の客は語られた内容について興奮気味に論じている。
「間違いない! やはり、この島こそ殿下の探していた島だ!」
「ええ、私もそう思います!」
「おそらく、漆黒の海とは南大深度海のことでしょう」
「ですが、ラザフォード先生、南大深度海といえば、年中大嵐でその海域を横断できた船はこれまで一隻もありません。その海を渡るにはどうすればいいのでしょう?」
「それは、殿下、この古文書にも書いてありますように、聖なる濃き血を受け継ぐ者、つまり世界に三十三ある王室の正統なる血を受け継ぐ者であれば、荒ぶる南大深度海をきっと越えられましょう!」
男性客こと、ラザフォードはあまりの興奮に喉の渇きを覚え、ジョッキを手にした。
長年誰も解読できなかった古文書が、たった一人の少女によりとき明かされたのだ。
しかも、偶然立ち寄った酒場で──。
本当にギリギリのタイミングだった。
これ以上、解読が遅れれば殿下の望みが達成されることは永遠になかっただろう。
次々と溢れてくる感慨を噛み締めながら、ジョッキを傾けた。
だが、そのジョッキは空っぽだった。
あれ? まだまったく飲んでないはずだったが?
倒れたのは殿下のジョッキだと思っていたが、思い違いか?
向かいの席を見ると、女の子の姿が消えていた。
「ラザフォード先生! あの女の子がいつの間にかいなくなってしまいました!」
女性客が慌てて、店内を目で追う。
「なんと! あの子には、まだ聞かねばならないことがあるのに!」
ラザフォードがジョッキをテーブルに叩きつけ、立ち上がったその時──。
酒場の入り口が大きく開き、黒装束の男たちが飛び込んできた。
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