Day2:九条院家の崩壊
九条院邸に着いた。
屋敷の周辺には何台も車が駐車しており、テレビで見たのと同じようなスーツ姿の男たちが慌ただしく動いている。
僕らは車を降り、玄関へと向かった。すると、その中の一人が僕らを制止した。
「この屋敷にご用ですか? 今は捜査中なので関係者以外は入るのはご遠慮していただきたいのですが」
物腰は柔らかいが眼鏡の奥の眼光が妙に鋭かった。
「私もこの家の関係者ですが」と麗ちゃんが毅然と答えた。
「ということは、あなたは九条院のお嬢さん? では、なおさらご遠慮していただきたい。証拠物件を保全しないといけないのでね。社長からは許可はいただいてますから」
「父から?」
「ええ、病院におられる
麗ちゃんはその言葉にしばし
「服だけ取りに入りたいのですが、同行していただけませんか?」
「うーん……、まあいいでしょう」
奥歯に物が挟まったような感じだったが、男は許可してくれた。
男は近くにいた女性職員を引き止め、麗ちゃんに同行するように指示した。
若い女性職員に連れられ、彼女が屋敷に入っていく。
それを見送りながら、僕はおずおずと男に訊いた。
「あのー、テレビで言ってたことは本当でしょうか?」
男は冷たい目で素速く僕を一瞥してから、面倒くさそうに、
「テレビ? テレビがなんと言ってるかは知らないけど、私たちはそれなりの確証がないと動かないよ」と答え、去っていった。
どうしようかと突っ立っていると、両手で箱を抱えた職員が次々とぶつかってくる。
なんとなく居辛い雰囲気に、僕は冴島さんの車まで戻った。
冴島さんは車の脇に立ち、遠巻きに屋敷のほうを見ていた。
「冴島さん。この先どうなるんでしょう?」
彼は屋敷のほうを眺めながら、低い声で返答した。
「知り合いの者に探りは入れてます。ちょっと時間はかかると思いますけどね」
「知り合いって、警視庁の?」
「ええ、それと警察庁と」
僕には警視庁と警察庁の違いがわからなかったが、冴島さんも動いてくれているようで、少しだけ安心した。
二人で無言でしばらく立っていると、キャスターバッグを転がしながら麗ちゃんが出てきた。
僕は彼女に駆け寄った。
「麗ちゃん、中はどうだった?」
「応接間は地検の方でいっぱいね。久しぶりに賑やかになるのがこんなことだなんて悲劇ね。とにかくあとのことは執事の
「服は持って来れたんだね?」
僕は彼女のキャスターバッグに目を遣った。
「ええ。でも、服よりも大事なものがあったの」
そう言うと、麗ちゃんはポケットからある物を取り出し、僕に見せた。
「それは……」
「そう。これはフロスティピンクの口紅。私のここいちばんの時には絶対に必要な物よ」
彼女の白い手に光る黄金色の小さな円筒。
その口紅の色──。
フロスティピンクは彼女の勝負色なのだ。
◇◆◇
僕らは車で九条院フィナンシャルグループ本社に向かった。
品川の九条院邸から内幸町の本社ビルまで、何度も通ったことのある道だ。
でも、今日ほど先を急ぐ気持ちになったことはない。
車中、麗ちゃんは手にした口紅をじっと見つめている。
「麗ちゃん、それ塗らないの?」と訊くと、
「まだ使うには早そうね」とポケットに戻した。
「宝谷専務ならびに副社長、常務、総務部長は検察にて事情聴取だそうです」と前から冴島さんの声。
「それでどうなの? あと、グループ会社の社長は?」
麗ちゃんは冴島さんのシート後部をつかみ、身を乗りだした。
「参考人として事情聴取なので、じき戻れるでしょう。グループ会社の社長には特になにもないようです」
「逮捕じゃなかったんだ。よかったー」と僕はうっかりしたことを言ってしまい、思わず口をつぐんだ。
麗ちゃんの眉はぴくっと動いたが、冴島さんが、
「逮捕があるとすれば後日ですよ。私はそんなことはないと信じていますがね」とフォローを入れてくれた。
「とにかく重役会議を至急やらないと」
そう言い、麗ちゃんは前髪をわさわさといじった。
「今本社に残っているのは
「そう、小栗さんが。じゃあ連絡してみるわ」
麗ちゃんはすぐさま携帯を取り出し、話し始めた。
いよいよ、僕らは渦中の本社ビルに乗り込む。
気を引き締めていかないと。
◇◆◇
報道陣が大挙している正面口を尻目に裏口に回った。
そこも少数のテレビ局クルーが張り込んでいたが、冴島さんは巧みに強行突破した。
僕と麗ちゃんは車を降り、地下駐車場から役員専用エレベータに乗り、高層階へと上がった。
エレベータを降りると、痩身中背の中年男性が立っていた。
小栗執行役員だった。
「小栗さん、すぐに会議はできる?」
「はい、お嬢様。全員既に揃っております」
彼は一礼し、答えた。
それにうなずき、麗ちゃんは彼と一緒に数歩進んでから、急に振り返った。
「あ。郁は──、二階の喫茶店で待っててくれない?」
僕は無言でうなずく。
そう。いくら僕が麗ちゃんのつき添いとはいっても、社外の人間だ。
会社の経営に関わることはできない。
二人の姿が部屋に消えるのを見届けてから、僕はエレベータのボタンを押した。
柔らかいチャイムと共にドアが開く。
この瞬間──。
いつも感じるけど、なんとなく寂しい気がする。
まあ、いつものパターンなんだけどね……。
特に今日は彼女にとって一大事であるだけに、全然役に立てない自分が情けない。
エレベータに乗り込み、下界を見下ろしていると、空虚な気持ちが僕の心を満たしていく。
別に僕なんていなくても同じだよね……。
僕は当事者の気になって、空回りしてただけなんじゃないか?
同じような疑問が何度も心に渦巻く──。
チャイムの音が僕を呼んだ。
扉が静かに開く。
さあ、ここがお前の世界だぞ、と言うかのように。
彼女は高層階の人間、僕は下界が似合いの人間。
それは前からわかりきったことじゃないか。
考えすぎるな。気楽に行け──、郁。
僕はなにかを否定するように首を振ると、喫茶店へ向かった。
◇◆◇
喫茶店に入って、まだ昼食をとってないことに気付いた。
視聴覚室での、あの忌まわしい出来事ですっかり忘れていた。
こんな時でもお腹は減るもので、軽く食事をとろうとメニューを眺めたが、麗ちゃんも食事をしてないのは同じだった。
我慢して、ココアだけ注文する。
ガラス張りの喫茶店からは外がよく見える。
道沿いには報道陣の取材車が沢山並んでいる。
だが、店内にはそれらしき一行は見当たらないので、ビルの中には彼らは入れないのだろう。
店員が数名窓辺に立ち、心配そうに外を眺めている。
勤務時間のせいもあり、客は僕一人。
いつもなら他にも社員らしき姿が見受けられるのだが、今日はみんなそれどころじゃないのだろう。
あ! そういえば僕と麗ちゃんは午後の授業をサボって出てきたことになるんだ。
麗ちゃんは事情が事情ということになるけど、僕はなんと説明すればいいのやら……。
ほどなくして、ココアが届く。
ウエイトレスさんは見知った顔で、僕がいるので、麗ちゃんがあとから来るだろうとわかっているかもしれない。
甘い香りのココアに口をつけた。
空きっ腹に甘さと暖かさが心地よく染み渡っていく。
静かな店内はまるで別世界だ。
どろどろした事件とも関係なく、学校とも関係なく──、
そこに今いる僕はいったい何なのだろう?
ココアを飲み干してしまった僕は、今回の事件について考えようとしたが、いま一つイメージがつかめなかった。
ただ、マスコミがあれだけ大々的な扱いをしてるので、社会的インパクトはかなり大きいことは僕にでもわかった。
なにがきっかけで、こういうことになってしまったのかな?
それについて、まさに今、麗ちゃんは上で話し合っているのだろう。
いつもより長い時間が過ぎていく。
道沿いの報道陣の車も数がかなり減ってきた。
街灯が一つ二つと灯り、喫茶店に客が増え始めたころ、麗ちゃんが入ってきた。
「郁。お待たせ!」
麗ちゃんは軽快にそう言い、僕の前に座った。
しかし、その顔は疲れきった感じだ。
「お疲れ様。どうだった?」
「それがね……」とうつむき加減に、先を言い淀む麗ちゃん。
「今回の件はおそらく社内の人間がリークしたんだろうって」
「え、どういうこと? それじゃ、自分で自分の首を絞めるようなもんじゃない?」
「いいえ、郁。これは反九条院家の仕業だと思うの! リークした情報自体、捏造されたものに決まってるし」
麗ちゃんがにわかに顔を上げ、語気荒く言い放った。
「で、でも、九条院グループの人間には違いないんでしょ?」
「おそらく九条院を破綻させたあとで、どこかが関連企業を安く吸収してしまおうといったシナリオじゃないかしら」
悔しそうに唇を噛む彼女。身内に裏切られ、華族としてのプライドを大きく傷つけられたのだろう。
「それで、これからどうするの?」
僕の問いに、麗ちゃんはテーブルの上から僕の手を握りしめた。
「皇爵が今京都にいるの。先ずは今回の不祥事を皇爵にお詫びしないと。郁も一緒に来てくれるわよね?」
「京都に、これから?」
「そうよ。リニアで今から京都に行くのよ」
思いがけない展開に僕は戸惑った。
これから、麗ちゃんと京都に!?
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