Day2:五稜篤

 朝、僕と麗ちゃんが冴島さんの車を降りるなり、学園の正門で最悪な男に出くわしてしまった。


 麗ちゃんが疲れきっている今日は、こいつだけには会いたくなかった。

 だが、ストーカーのように彼女につきまとってくるこいつには、無理な相談だろう。


 その男は、朝一からの偶然に喜んでる様子で、大股で真っ直ぐこっちに歩いてくる。

 男は僕らの正面に立つと、その長身から僕らを見下ろし、ニヤリと笑った。


 その男──、五稜ごりょう子爵家長男坊、五稜篤ごりょうあつし

 この男の笑い方は人を見下すようで、いつ見ても嫌な感じだ。


「よう、九条院。今日という記念すべき日に、お前に朝一で会えてほんとラッキーだぜ」


 僕は麗ちゃんの手を引き先を急いだ。

 こいつとは話をするだけ時間の無駄なのは、経験でよくわかってるからだ。


「おい! 九条院家の腰ぎんちゃく。お前なんか麗とは釣り合わないから、いい加減に諦めたらどうだ。何回言わせりゃ、理解するんだ」


 僕と麗ちゃんが釣り合わないことくらい承知だ。けど、何度聞いても腹の立つ言葉だ。


「いいから、行こう! 麗ちゃん。相手にするだけ無駄だし」

 麗ちゃんの手を引くが、彼女はその手を振りほどき、立ち止まった。


「お! 今朝は相手をしてくれるのか? 丁度よかった。やっぱ、今日は記念すべき日かもな」


 麗ちゃんは肩にかかった髪をさっと払い、篤の顔をにらみつけた。


「あなたこそ、私のことを悪く言うのはかまわないけど、郁には口出ししないでくれる。こっちこそ何度言ったら、あなたは理解するのかしら。記憶力ゼロなんじゃない?」

 篤は笑みを固めたまま、彼女の言葉を聞き流している。


 いつもと少しだけ雰囲気が違うような気がするけど、僕の気のせいだろうか?

 その篤が冷めた目で麗ちゃんを見た。


「ああ、わかったよ。郁に口出しはもうしねえ。というか、その必要もなくなるかもしれないしな。どうせ、お前もこいつに見捨てられるぜ」

「何のことかわからないけど、郁には二度と口出ししない、ってことだけは忘れないでね。じゃあね」


 そう言い捨てると、麗ちゃんはきびすを返し、僕の手を引いた。


 離れていく僕らの後ろから、篤が叫んだ。

「麗! 俺だけはお前を見捨てないぞ! 必ず、俺の愛人にしてやるからな!」


 僕はその言葉が気になった。やっぱりなにかがいつもと違うような?


「ねえ、麗ちゃん。今日の篤、変じゃない?」

 麗ちゃんは苦虫を噛みつぶしたような顔で、吐き捨てる。

「変って、あいつは四六時中変じゃない! まともな時がゼロなくらいよ!」


 それはそうだけど、なにかが引っかかる。

 早足で歩く麗ちゃんに手を引かれながら、僕は考えた。

 そして、昇降口に近づいたころ、ようやく気付いた。


 そうだ! 篤はいつもは「お前を俺の妻にしてやるから」というのが口癖だったんだ。

 それが、今日は「愛人」だ。

 この心境の変化はどうしたものだろうか?


 ◇◆◇


 校内に入り、廊下を歩いてると、今度は三池沙織みいけさおりが僕らを呼び止めた。

 彼女は麗ちゃんのクラスメイトだ。


「ご機嫌よう、九条院さん。学内連絡網のメールはご覧になったかしら?」

 縦ロールの髪をいじりながら、独特の甘い声でけだるそうに言う。

 三池さんもどこかいつもと様子が違い、斜に構え、薄い笑みを浮かべている。


「ええ、見ましたけど、それがなにか? 三池さん」

「いえ、ご覧になったのならよろしいですわ。では、お昼休みに視聴覚室で。決してお逃げにならないように」

 そう言い捨てると、彼女はすたすたと歩いていった。


「何の上映会か知らないけど、逃げるなってなによ。変な人ね」

 麗ちゃんは去っていく彼女の後ろ姿をにらみながらつぶやいた。


「ねえ、篤といい、三池さんといい、今日はなにかおかしくない?」

「どうせ、三池さんご贔屓ひいきの五稜財閥の自画自賛プロモーションビデオかなにかじゃないかしら?」

「そうかな? 嫌な予感しかしないんだけど」

「昼休みに視聴覚室に行けばいいだけじゃない。悩むだけ時間の無駄よ」


 麗ちゃんは成績優秀で性格がはっきりしているせいか、ライバル心で彼女のことをよく思ってない華族生徒も多い。

 麗ちゃんと別れ、教室に入ると、その一群の女子生徒たちが窓際でひそひそ話をしていたが、僕が入ってくるなり、ピタリと雑談をやめた。

 僕が席につき、前を見ると──、


『昼休み、視聴覚室にて特別上映会開催、全員参加のこと』と黒板にでかでかと書いてある。


 ちょうど入ってきた男子生徒の一群がそれを見て、嬌声をあげた。

「えー、昼休みに上映会かよ。何の上映会だよ、まったく! かったりーな。飯どうすんだよ」

「ばっくれようぜ、どうせつまんないお知らせかなにかだろうし」

「ほんと、飯時にやるなっちゅうの!」


 どうやら、上映会の内容を事前に知ってるのは一部の生徒のようだ。

 やはり、今日はなにかが変だ……。

 予鈴が鳴り、僕の心にわだかまりを残しつつ、授業は始まった。

 そして、ついに運命の昼休みが訪れた──。

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