Day1:皇爵と麗ちゃん

 表へ出ると、横殴りの暴風雨で九条院邸前のポーチは屋根が用を成していなかった。

 エントランスに置かれた植木はことごとく鉢が割れて見るも無残に転がり、ロータリーの中央に立つ芭蕉の木がバサバサと凄い音を立ててたなびいている。


 ところがそんな中にも、ひとり立っている男がいた。

 冴島さえじまさんだ。


 九条院家の専属ドライバーで、足を痛めて警視庁を辞め九条院グループに入ったと聞いている。

 長身で細身だが、この強い風の中でも身じろぎもせず真っ直ぐに立っている。

 その姿に麗ちゃんが声をかける。


「冴島。あなた、傘くらいさせばいいのに」

「いえ、お嬢様。どうせ、この風ですから。それよりお急ぎを」


 冴島さんが素速い身のこなしで黒塗りの車の後部ドアを開く。

 麗ちゃんと僕は大急ぎで、それに飛び乗った。

 車に乗り込むと、助手席にはもうひとり男の人がいた。

 見覚えのある薄い後頭部は宝谷たからや専務だ。

 その専務が身をよじってシート越しに顔を出した。


「お嬢様、このたびはわざわざご足労あいすみません。先方がどうしても九条院家の者と直に話がしたいと言われますもので──。オヤジさん……、失敬、社長の容態がよろしければ、無理を押してでも出ていただいたのですが──」


 麗ちゃんは髪を拭いていたタオルを置くと、専務に頭を下げた。


「この土砂降りの中、宝谷専務に足を運んでいただき、こちらこそお礼を言わなければなりません。父の代わりは会長亡き今、私が努めるのが筋というものでしょう」

「あは! そう言っていただけると私も心強い。さすが、お嬢様だ」

 専務はぺしっと額を叩き、姿勢を戻した。


 僕も、さすが麗ちゃんだと思った。

 先日、他界してしまった麗ちゃんのおじいちゃんこと、会長が自ら跡取りとして教育しただけのことはある。

 その会長の口癖は、こうだった──。


「経営に男も女もない。あるのは道理だけだ」


 その言葉どおりに会長は孫で一人っ子の麗ちゃんには、いつも厳しく接した。

 僕は昔から麗ちゃんご指名のつき人のような感じだったから、何度も会長には会ったことがある。

 会長から麗ちゃんが叱られると、僕まで身がすくむように恐ろしかったけど、そんな会長は正月には麗ちゃんを必ず横に侍らせ、いつも上機嫌だったのを忘れられない。


 僕がそんなことを回想してる間に、冴島さんの運転する車は既に邸外へ出ていた。

 まるで滝の中を走るように、雨滴が窓をひっきりなしに流れ落ちていく。

 麗ちゃんは窓を心配そうに眺めてから、前を向き身を乗りだした。


「冴島。間に合いますか?」


 その問いに──、

「間に合わせます」と冴島さんの即答。さすが、プロだ。

「一般道は水浸しでどうかわかりませんが、華族専用道路ならまず大丈夫でしょう」

 と宝谷専務も太鼓判。


 確かに一般道は予算不足で補修もせずに長年放ったらかしのひどい状態だ。

 こんな豪雨じゃ排水もままならず、水浸しに違いない。

 だが、華族専用道路は名前の通り、華族のみが使用できる道路であり、財源が別枠で確保されてるので、補修も滞りない。これは華族特権の一つだ。


 やがて、車はその華族専用道路に入った。

 こんな豪雨でなければ、運河の向こうの人工島に、廃墟と化した高層ビルの群れが見える辺りだ。

 取り壊すのもままならず放置され、荒れ放題のその姿は日本経済の卒塔婆のようにも思えるのだが、その風景も今日は窓打つ雨でまったく見えない。


 僕ら四人を乗せた九条院家の車は、東京の中心、旧皇居跡地へと進む。

 日本華族の頂点、桐松院とうしょういん皇爵本家を目指して。


 ◇◆◇


 桜田門を通り、車は桐松院邸敷地内へと入っていった。


 この界隈──、旧皇居跡地は華族制度復活の際に、政府と天皇が合議を行い、国内経済活性化のため天皇に明け渡していただいたのだが、その際に堀も埋め立てられたらしく、今では国内企業の本店と、それらの企業を経営する華族の邸宅が並ぶ日本経済の心臓部となっている。


 僕は皇居というものを知らないが、昔は東京観光では定番のスポットだったそうだ。

 なお、華族制度における爵位だが、上から皇爵、侯爵、伯爵、子爵の四つがあり、九条院家は伯爵、そして、桐松院家は最高位の皇爵だ。


 麗ちゃんのつき人のような僕でも、皇爵にはこれまで一度もお目にかかったことがない。

 だが、桐松院家と九条院家は先代同士が仲がよかったと聞いているので、麗ちゃんには余裕だろうと思い、横を見ると──。


 麗ちゃんがさかんに前髪をいじってた。

 これは、彼女が緊張している時の癖だ。

 僕がなんと声をかけるべきか、戸惑ってると、前から渋い声。


「お嬢様。まだ少し時間がありますから、この辺りで少し車を停めましょうか?」

 ミラーで麗ちゃんの様子を察したのか、冴島さんのフォローが入った。

「わは! なんだか緊張しますな! 私も桐松院家は久しぶりですし」

 と、宝谷専務。言葉の割にはしゃいだ感じだ。


 前々から思ってるのだが、この専務のおじさんはお気楽というか、肝がすわってるというか……。

 まあ、そんな胆力だから大企業の専務を任せられてるのだろう。


 もう一度、麗ちゃんを見ると、あの癖はすっかり治まり、いつもの彼女に戻っていた。


「大丈夫です。このまま進んでください」との麗ちゃんの指示に、車はゆっくりと桐松院邸奥深くへと進み──、停まった。


 傘を手に、皆で車を降りる。

 雨はまだ激しく降っているが、風はやんだようだ。地面は一面が玉砂利で、泥にぬかるむこともなかった。

 前を見ると、まるで神社のように立派な邸門。

 白光りする無垢の木材が神々しくライトアップされている。


「ここの瓦は京都におられる天皇陛下から寄贈されたそうです。いつ見ても、やっぱり凄い邸門ですな」

 宝谷専務はそう言い、一つ咳払いしてから、インターホンに向かった。

 すると、専務が服装の乱れを確認する間もなく、門が開き──。

 そこには、上品な和服の女性がひとり立っていた。

 その女性は深々と一礼をし、僕らを屋敷へと導く。

 白木の柱が延々と続く長い渡り廊下を抜け、ようやく僕らは桐松院家の屋敷にたどり着いた。


 僕は軽く深呼吸をしてから、麗ちゃんに言った。

「いよいよだね。頑張って」


 麗ちゃんは僕の手をぎゅっと握り、答えた。

「まかせなさい。私は正念場には強い女よ」


 ◇◆◇


 陽に燦々と照らされまぶしいほどに輝く白い砂。

 その砂原の中ほどには、澄んだ水をたたえた大きな池があり、錦鯉が何匹も泳いでいる。

 聞こえてくるのは時折、その鯉が水面を打つ音のみ。

 いや──、僕のお腹もちょっと鳴ってるかもしれない。

 そろそろ夕飯時だし。

 かなり緊張してるはずなのに、意外と僕も宝谷専務に似て図太いのかもしれない。


 しかし、座敷の横に広がる内庭のこの明るさはなんだろう?

 照明なんだろうけど、まるで本物の太陽が照りつけてるように自然だ。

 外は土砂降りだというのに、ここだけ別世界みたいだ。


 僕が、身を乗りだして上をのぞき込もうとすると、「みっともないから、やめなさい」と麗ちゃんから手の甲をつねられた。

 僕が痛がっていると、宝谷専務の声。


「日々之さん、お珍しいですか? これは自然光に近いフルスペクトルライトで桐松院グループの電気メーカーが開発しているものですよ。しかし、これだけの広さの庭を照らすとなると、かなりの数になりますな」


「凄いですね」と僕は専務の言葉に相槌を打ち、今度はこの広い座敷が何畳か目で数えようとしたら、「きょろきょろしないの!」、とまた麗ちゃんに叱られた。


 お腹が減ったせいで鼻がよく効くのか、真新しい畳の匂いがやたらと鼻につく。

 麗ちゃんに叱られないように、じっとしてると、正座した足が痺れてきた。

 麗ちゃんはどうかなと様子を見ると、きちんと前に手を揃え微動だにしない。

 考えると、今日は九条院グループへの融資を、桐松院家へお願いに上がったのだから、滅多な真似はできないのだ。

 僕も足の痺れになんか負けてる場合じゃない──、と思ったけど、ちょっと厳しいかも……。


 その足がかなりジンジンし始めたころ、廊下側の障子が一斉に開き、その中央から一人の老人が入ってきた。

 かすり模様の和服を隙なく着こなした体つきは、老人らしく細かったが、そこらの老人とは比べものにならないほどのオーラを全身から放っていた。


 この老人が、桐松院静流とうしょういんしずる──、国内に数多あまたの傘下企業を有する桐松院グループの総帥、そして華族の頂点に君臨する皇爵その人だ。


 テレビや新聞では顔を何度も見たことがあるが、本物は漂う空気の次元が違う。

 皇爵は、僕らの対面に座ると、僕らを一人一人ゆっくりと見回した。

 その眼差しは思ったより柔和で、麗ちゃんのおじいさんに通じるものあるような気がした。

 宝谷専務が畳に手をつこうとしたが、それを手で制し、麗ちゃんが畳に手を揃え、口上した。


「このたびは、皇爵様に謁見が叶い、恐悦至極に存じます。九条院グループの都合により、皇爵様の手間を煩わせ──」


 そこまで言った時、皇爵がそれをさえぎり、一喝した。


「堅いことはもういいよ。お嬢さん。手っ取り早く話をしようじゃないか。お互い貴重な時間なことであるし」

 とてもよく透る声で座敷の隅にまで響き渡るようだった。

 これに対し、麗ちゃんは驚くでもなく、慌てるでもなく、切れ長の目は凛々と輝き、皇爵を見据えてた。

 正念場に強い麗ちゃん、いよいよ臨戦モードだ。


「皇爵様、失礼ではありますが、私を女だと思って手加減などなされぬようお願いいたします。ビジネスに男も女もありません」


 そんな強気な発言、融資のお願いに伺ったのに大丈夫なのか、と僕は心配になり、皇爵の様子を見ると、皇爵はポンと膝を打ち相好そうごうを崩した。


「ほう! これは九条院の御大が女に生まれ変わったようではないか」

 皇爵は呵々かかと笑った。


 ◇◆◇


 商談に入ると快笑していた皇爵の顔から笑みが消え、射抜くような眼差しに変わった。

 これが、経済破綻で転覆寸前の日本を大蔵大臣として舵巧みに乗り切り、国政から引退後もいまだに権勢をふるう人物の眼力かと思うと、身がすくむような思いがした。

 幸い、その視線の向かう先は僕ではなく、麗ちゃんなのだが、まあ、僕は単なるつき添いで皇爵の眼中にはないのかと思うと、それはそれで、さびしいような気もする。


 その麗ちゃんはというと、背筋をぴんと伸ばし、何の資料も見ずに、皇爵から問われた九条院グループ傘下の各企業の現況を説明している。

 時折、宝谷専務のフォローは入るものの、これが高校に入ったばかりの学生であるとは信じられないほど、微細に渡りグループ企業の業務内容や経営状況を把握している。

 僕と一緒にいない時の麗ちゃんが、会長だった祖父や、彼女の父である社長から跡取りとしていかに厳しく躾けられていたかが手に取るようにわかるようだった。


 皇爵は腕組みをし、その全神経を目と耳に集中させているようだ。

 おそらく、麗ちゃんが少しでも言い淀むことがあれば、それを皇爵は決して聞き逃すことはないだろう。


 僕らの──、といっても僕は九条院グループの人間ではないけど、僕らの麗ちゃんは、立て板に水が如く一つも言い淀むことはない。

 そして、長かった九条院グループ企業の説明が終わり、いよいよ本論である九条院グループへの融資のお願いに話題が切り替わった。


「それで、九条院グループの代表としてお嬢さんは、桐松院になにを望むのかな?」

 皇爵が腕組みをとき、麗ちゃんに訊いた。


 麗ちゃんは、一つ軽く咳払いをして、皇爵を改めて見据えた。


「実は九条院の家電グループを御社のグループにお引き受け願いたいと存じております」


 皇爵の表情に、わずかながらの驚きが見受けられた。

「ほう。家電グループといえば、そちらの、いわば稼ぎ頭ではないのかな? それを桐松院に譲ると?」

「はい、私ども九条院はフィナンシャルグループを中核とする金融に力を集中し、再編したいと考えております」


 皇爵がパンと卓を叩き、これまで以上に厳しい口調で彼女に問い正す。


「仮に桐松院が御社の家電を買い取った場合、ある程度、いや──、かなりの規模で人員整理が必要となろう。路頭に迷う従業員が出ることになるが、それはどうするつもりかね? それでなくても失業者数がうなぎ登りの、このご時世だ。九条院グループの代表企業が人員の大幅削減を実施することになれば社会的波紋も大きかろう」 

「そ、それは……」

 初めて麗ちゃんが返答に窮した。


 頑張れ、麗ちゃん!


 僕は心の中で応援することしかできない。

 宝谷専務は身を少し乗りだし、いかにも麗ちゃんに助け船を出したいような様子だが、これは彼女への試練と考えてるのか、ぐっとそれをこらえているようだった。


 唇を噛みしめ思案していた麗ちゃんが、その口を開く。


「従業員が迅速に再就職できるよう、私どもが支援に尽力いたします」


 皇爵はまるでその答えを予見してたかのようにニヤリと笑った。


「立派だな! 立派すぎる。教科書どおりというか毒がなさすぎる!」

 その皇爵の言葉に、麗ちゃんが戸惑う。

「と言いますのは……?」


「いいか、お嬢さん。我が桐松院と九条院は先の経済危機では共に私財を投げ打ってまで、その復興に尽力した。それが仇となり、九条院の経営がいささか思わしくない羽目になってしまっているのは、仇としかいいようがない。だから、企業も人間と同じように治療が必要なのだよ。身動きが取れなくなる前に切り捨てることも必要だ。企業も努力が必要なように、失業した個人も各々がやはり努力はしなければいけない、と私は考えているよ」


 僕には麗ちゃんの言ってることも、皇爵の言われることも道理のような気がした。とにかく、大事を取るために小事を捨てることは、トップの人間としては必要不可欠な資質であることはわかる。

 そんな厳しい選択は、優柔不断な僕にはとてもできそうにないけど……。


 僕がそんなことを考えていると、さらに皇爵の追い討ちが──。

「経営縮小となると華族墜ちの可能性もありえる。ところで、九条院のお嬢さんは、華族を棄てる覚悟はあるのかね?」


 この問いに麗ちゃんは、少し思案して──、

「は……、はい、覚悟はあります。ですが……」

「ですが、なんだね?」


 ここで、防戦一方だった麗ちゃんは迷いが振り切れたかのようにきりりと答えた。


「華族としてのプライドはあります」

 麗ちゃんの言葉を噛みしめるかのように、広い座敷に静寂の間が訪れた。


 華族としてのプライド──。

 僕は麗ちゃんから、その気概を常日ごろ感じてはいたが、はっきりと彼女の口からそれを聞いたことはなかった。

 プライド高き彼女と、優柔不断な僕。そのちぐはぐな組み合わせ。

 僕は本当にこんな所にいてもいいんだろうか、という疑問が頭の中を駆け巡った。


 短い静寂を破ったのは皇爵だった。


「プライドか──。いい言葉だが、それは華族であろうがなかろうが、心の持ちようではないかと私は思うよ」

「では、失礼ですが、皇爵様は爵位を棄てることはできるのでしょうか?」


 その問いに皇爵は一笑して返す。


「無論──。元々、私は若き折りは名もなき一人の男であった。皇爵などというものは私が成してきた生業なりわいへのおまけのようなものと考えている。だから、名を棄ててじつを取ることが必要となれば、いつでもこの爵位など棄てる所存だよ」


 麗ちゃんは皇爵の顔を見つめ、微笑し、頭を垂れた。

「このたびはよい勉強になりました。私も皇爵様のような心境に達することができるよう、自分を鍛え直します」


 ここに至り、場の空気が変わった。

 ピンと張りつめていた物がどこかへ消え失せたような──。

 皇爵の表情も好々爺然とし、穏やかな眼差しで麗ちゃんを見つめてる。

 すると、その皇爵の視線が僕に移動した。


 なにか質問されそうな、ヤバ気な雰囲気!

 とても麗ちゃんのように上手な答えは返せないし……、ピンチかも!

 と──、やっぱり来た!


「そこの坊やはお嬢さんの彼氏かな?」

 坊や? その呼び方は、ちょっと引っかかるけど男子では小柄なほうだし……。

 でも、簡単な質問だ。

 安堵で緊張から一気にとろけるように解放される僕。

 あ、さっそく答えなきゃ。


「いえ、違います。僕は幼稚舎のころからの彼女の幼馴染みです」


 この僕の答えに、麗ちゃんが真っ赤な顔で、廊下まで聞こえるような大声をあげた。


「ちょっと、郁、あなた! なに、即答してるのよ!」

 滅茶苦茶力一杯、二の腕をつねられた。


「痛い! 痛いから、やめてってば、麗ちゃん!」


 この顛末を皇爵は目を剥いて見入っていたが、麗ちゃんが我に戻り、そそくさと姿勢を正すと、


「ははは! 九条院の御大も経営の指南はできても、恋の手ほどきは無理だったようだな」

 パンパンと膝を打ち、豪快に笑い飛ばす皇爵。

 とんだ道化役となった僕は、耳が熱くなるほど恥ずかしかった。

 それにしても麗ちゃん、強くひねりすぎ。これは絶対、内出血してるよ。


 あー、でも日本の経済を左右しかねないほどレベルが高いこの会合で、僕はといえば、こんな道化役だとは……。

 まさに、「とほほ」の一語に尽きる。

 そこへ、僕の汚名返上を賭けるべく、皇爵の新たな質問があった。


「九条院のお嬢さんが認めるほどの男だ。一つ質問をしてもいいかな? 今、日本に必要なものはなんだと思うかね?」


 ちょ、ちょっと……、今度の質問はレベルが高すぎ、というか日本経済の頂点の人間になにが必要かと訊かれても……。

 悪い汗を体中から吹き出しながら、ついつい口から出た答えが。


「そ、それは……。みんなが明るい未来を思い描ける社会だと思います」


 皇爵は黙って僕を見ている──。


 正解ですか……?

 てんで話になりませんか……?


 僕も上目遣いに皇爵の顔を見た。

 と、皇爵は一つ卓を叩き、うなずいた。


「ほう。これはお嬢さんの彼氏なだけはある。なかなかいいことを言うじゃないか」

 僕の隣で、麗ちゃんも満足げにうなずいている。


 なんか、ラッキーなヒットのような。

 熟考した答えじゃないだけにちょっと気後れはするけど……。


 まあ、ここは無難に難局は乗り切った感あり、ってことでよしにするか。

 過度の緊張がとけたせいで、僕の空きまくりのお腹が大きく鳴る。

 って、鳴るなよ! こんなタイミングで!


 それを聞き逃すはずもなく、皇爵はまた爆笑した。

「なんとも豪気な腹の虫だな! そういえば夕飯時を大きく過ぎたころだな。なにか持たせるとしよう」

 パンパンと手を叩く皇爵。


 麗ちゃんに恥をかかせちゃったかもと思い、隣を見ると、案の定真っ赤な顔で肩を震わせてた。

 こりゃ、ここを出たあとで内出血がまた増えるかも……。


 それから、次々と運ばれた豪勢な料理に舌鼓を打ちながら、商談は順調に進み、目論見どおり、九条院グループの家電企業群を桐松院が買い上げることに内定した。

 宝谷専務も肩の荷が降りたせいか、そのあとの食べっぷりは筆舌に尽くし難いほどだった。

 麗ちゃんはさっきの僕の件でまだ怒っているのか、食が進まないようだ。


 全てが終わり、桐松院家を去る間際、皇爵が麗ちゃんに言った。


「お嬢さん。あなたはもっと学生らしくあってもいいんじゃないかな。確かに経営者としてあなたほどの資質を持つ人間は他の華族を見回しても見つけるのが難しいくらいだが、若いころはもっと自分の人生を楽しんだほうがいいと思うよ」


 麗ちゃんと僕の二人はその言葉をありがたく頂戴し、深々と一礼した。

 もう二度と皇爵にお会いする機会がないかもしれない僕は、しっかりと記憶に留めるようにその姿を眺めた。


 外に出ると、雨は小降りになっていた。

 冴島さんの車に乗り、商談の確かな手応えに安堵する僕ら。

 宝谷専務の長いため息が社内に響く。

 お気楽専務といえど、今日はさすがに緊張はしてたようだ。

 冴島さんは僕らの様子から察したのか、今日の成果についてなにも問わず、黙って車を走らせた。


 主役の麗ちゃんはさっきからずっと黙っている。

 どうせ、僕のことで怒ってるのだろう。

 見ると顔が赤いし、口が半開きで息遣いも荒いような──。


「お嬢様。大丈夫ですか?」と冴島さんの声。

 それを聞いて、自分の鈍さに我ながら腹が立った。


 僕は慌てて、麗ちゃんの額に手を当てた。

 凄く熱い!

 僕は叫んだ。


「冴島さん! 急いで病院へ!」

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